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2008年06月20日

徐福伝説

 徐福伝説 

  
  はす池至近にある「徐福雨乞地蔵祠」  祠から200メートル東の小山にある「太神社」

 富士吉田には徐福伝説が伝えられている。
富士吉田市を中心とした富士山の北麓は、約1000年前から織物が織られていた、まさに
織物のふるさと。その歴史をひもとくと、実はさらに昔の2200年前以上にさかのぼることができ
中国から織物が伝えられたという伝説が残されています。紀元前219年、秦の始皇帝の家来の
徐福がこの地に織物の技術を伝えたというもの。
 秦の始皇帝の東方蓬莱の国(日本)の不死(富士)の霊山に不老不死の霊薬を探するという
名を受けた徐福は、大勢の部下を連れ東海の浜から峠を越えて、阿祖谷(現在の富士吉田市
大明見)から大室の原に入ったという。
 しかし、そんな霊薬などどこを探してもあるはずもなく、故郷に帰れば、始皇帝に首をはねられる
というので、この地に定住。幸い、中国は古代数千年も前から”養蚕・機織(はたおり)”が盛んな国で
徐福らもこの技術の巧みだったことから阿祖谷の里人に教えたのが富士吉田織物「甲州織」の
起源だとされています。
                      富士吉田織物協同組合HPから

 福源寺 鶴塚

*鶴塚の由来
  始皇帝が蓬莱の国日本へ、徐福を遣わして不老不死の薬を探させたが、徐福はその途中で
  不死山(富士山)にて他界してしまった。そして3羽の鶴となって舞いあがったが
  うち一羽が死んでここ福源寺に落ちて、それを葬った塚が鶴塚と伝えられています。
  鶴に化した徐福は、富士山麓の村民を守ったので、土民達は後を慕い、地名を都留郡
  (つるごおり)と名付けたのだそうです。

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投稿者 pinetree : 2008年06月20日 09:39