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2011年08月27日

吉田の火祭り

 ----------------- #吉田の火祭り --------------- 


 8月26・27日は「吉田の火祭り・ススキ祭り」が、パインツリーから
1キロ程離れた場所で催されます。この火祭りに、今年も
大松明を奉納させて頂きました。その大松明が、先日歩道に
奉安され出番を待っています。

◎今年も行います”火祭り御祝企画” その1  「パインツリー松明ハンテイング」

 横町信号から北の場所に松明は設置されます。
8月20日頃から28日迄、横たわった写真(パインツリーの名前あり)か
火の付いたもの、火の付かないものでもOK、こちらを探して写真(デジカメ・携帯も可)で
撮り清算時見せて下さい。大松明奉納記念として10%OFF させて頂きます。
 後で結構です、メールへ添付し owner@kashibesso.com まで送って下さればHPに
掲載させて頂きます。
 宿泊され、火祭り見物に行かれるお客様は是非、ご参加下さい。土産代が出ちゃいますよ!

 *今年参加されたお客様3組 合計15700円の割引をさせて頂きました。

◎火祭り御祝企画 その2 「パインツリーの松明に点火する権利」

  8月26日宿泊されるお客様の中から、この権利を一番最初に発見され
 松明点火を希望されるお客様に差し上げます。
  日本三奇祭に数えられる”吉田の火祭り”この祭りの日に、いらしたお客様だけに
 この栄誉ある権利が与えられます。きっと思い出に残るご旅行になる事でしょう!

   *今年ネットで応募があったのは1件で、27日宿泊される方だった。27日だと
   火祭りが終わった翌日である、折角のお申込みだったが次第をお話し、お断り
   させて頂いた。
    26日の当日、2泊されている中村さんグループを河口湖までお送りする際
   松明点火のお話をご案内させて頂いたところ「やってみたい~!」となり
   18時頃、フロント前に集合出発のお約束を頂いた。
    約束時間になり、フロント前に車を用意し待っているとコンドミニアムから
   出て来たカップルのお客様が、傘を持ち火祭り見物の雰囲気だ。お声を掛けると
   大当たり、一緒にご案内する事となった。

    中村さんグループ5名・松原さん2名の、ご案内となった。車で直近の信号迄
   送らせ、お山さんと明神さん二基の休憩する横町信号へ向かった。祭りの雰囲気を
   楽しみながら、御輿の奉安されるお旅所へと向かう。途中に安置してあるパイン
   ツリーの松明をご案内しながらお旅所へと歩いた。お旅所では祭りの見方など
   ご案内させて頂きながら御輿の入場を待つ。そして御輿入場!注連縄を鳳凰の
   口ばしで切り怒涛の勢いでお旅所へ、歓声が上がる。とって返した勢子が大松明に
   取り付き天高くと立ち上げる。ヤニ木を付けた竹ざおが市長に渡され大松明の上に・・
   拍手と歓声に包まれた中、勢子は上町下町に分かれ、大松明が点火され火の海が
   街に広がって行く。

    広がり行く火を追い越して、パインツリーの松明安置場所へ戻る。
   上から見ると大松明の火が次から次へと向かって来る。サー!次だ。
   勢子が勢い良く大松明を立ち上げ、世話人の口上が暮れ行く上町に響く。
   「パインツリー様大松明に火が入ります、皆様、点火されましたら拍手を
   御願いします!」中村さん達が緊張した面持ちで、ヤニ木に点火された竿を大松明の
   上に載せると周囲の皆さんから拍手が上がった。 

    嬉しかったのは、同道した松原さんも一緒の行動をとり、お付き合い下さった事だ
   大松明をバックに記念撮影までして頂いた。参加された2組のお客様には、きっと
   吉田の火祭りが生涯忘れる事がない、メモリアルな記憶として刻まれた事でしょう。 

    その場所で解散し、所属する御山倶楽部が金鳥居上で行う、火祭り賑やかし
   イベントテントへ向かったが、街灯が消され、大松明と民家の灯りだけの火祭りは
   初めてだった。御山じまいと木ノ花咲耶姫の故事から伝承されて来た吉田の火祭り。
   県下で暴力団の抗争があり露天商が祭りに出店出来ないが、お陰様で、いにしえの
   吉田の火祭りを想い起こす結果となった。燃え盛る火の海を見て歩き、御山に感謝し
   無病息災を祈る。神域でもある上吉田に最も相応しい祭りとなった気がした。
    世話人は元より、吉田の火祭りに関係さた皆様に感謝して。
    
          中村さんグループ


      #松尾神社例大祭!




 松山地区にある松尾神社の例大祭が今年も盛大に催行された。
13時、本殿で神事を執り行い、お魂の移された神輿は町内を巡幸に出発する。
その隊列は、神社の旗を先頭に獅子神楽保存会の太鼓や笛・こどもクラブの
太鼓牡牝2頭の踊る獅子に先導され、子供達の引く太鼓山車に神輿が続き
各地で神事を執り行い、19時頃帰還し、神社で還幸祭を取り行ない祭が
終焉となる。

 松尾神社は、およそ480年前から松山地区の村氏神として祭られ、ゴンゲン
サマ・ウジガミサマと呼ばれ地区の人々の心の拠り所として愛されています。
祭神は大山昨命 (オオヤマクイノミコト)で国家安泰、衣食住、酒造り、山の神
水の神、縁結びの神、安産の神、そして疱瘡の神とも古来から伝わっています。
4月に催行される例大祭で、神輿を礼装して静かに担ぐスタイルは、もっとも
特徴的で、昔々の祭り時、神輿が暴れた時松山地区に流行病が発生した
そうです。それ以降、松尾神社の神輿は「ゆーっとよー!ゆーっとよー!」
(ゆっくりとの意味)と担がれ受け継がれ今に至っています。

 氏子総代と呼ばれる各地内の6地区から選ばれた6名が1年間の祭りを執り
行い行事は暮れの神社大掃除から始ります。1年間の汚れが着いた大鈴を
磨く方、力を合わせワラをより、注連縄を一生懸命ワラから創りだす先輩方の
素晴らしい巧みの技の卓越した技量に頭が下がります。山へ行き形の良い
松の枝を取り、神社の各祠に飾ります。新しく結いなおした賽銭箱の上にある
大鈴を鳴らす紐を取り付け作業は終了しますが、神社に注連縄として奉納
する為に、わざわざ田んぼの端にワラを作って下さる方、また、祭りの際に
使う放送設備の配線をして下さる方もいらっしゃいます。皆さん、ゴンゲンサマ
松山を愛する方々です。

 祭りは、何より地域の人達の協力無くしては出来ない、いかに祭りの輪に
人々を巻き込み盛り上げて行く事が出来るかが重要なポイントです。氏子総代
の力だけでは到底催行出来ないのが祭りです。老若男女が一同に会し事を
成すのが祭りです。コミニテイが希薄になりつつある現在、松山地区には良い
意味での村があり、良き祭りがあります。祭りは世代を超えて気持ちが一つに
なれる祖先からの贈り物、この火を絶やさず後世に継承したいものです。
すべての行事が簡素化の流れの中で薄れ行くコミニテイー。時代の流れだからと
云って地域まで希薄な関係になって行って良い物だろうか?人生の先輩に
尊敬と感謝を忘れず敬意を表する事は素晴らしい事です。そんなシステムが
松山地区にはまだ残っているし、良き伝統を、住民は誇りとしなければいけ
ない。松尾神社には、そんな住民を集約する力があります。
 我が松山には心の拠り所、松尾神社・権現様があります、ありがたい事です。

 2012年4月15日 例大祭動画
    

投稿者 pinetree : 2011年08月27日 11:47