2006年06月28日
まちづくり先進地視察研修旅行
まちづくり先進地視察研修旅行 福島県・会津若松市 平成18年6月26・27日
「プツ・プツ・プツ・プツ♪」月曜日の早朝、電話が鳴った。「寝ぼけまなこで、誰だ!こんなに早く・・・
電話掛けて来て・・・」 隣で寝ている家内に「良いよ出るな!・・・ブツブツ・スヤスヤ」電話が切れた。
また、電話が鳴った「プツ・プツ・プツ・プツ♪」 再度の電話にムッツリしながら「もし・もし!」
「おはようございます!遠山さんですか!桑原です」会議所の担当からの電話でした。「何どうした?」
旅ツ・旅行ですけど・・・」「エツ!明日じゃないの?」「今日26日ですけど・・・」眠い目を擦りながら
後ろの壁に掛けてあるホワイトボードを見ると26・27日に旅行と書いてあった。 勘違いである。
ボードの曜日の所に、日曜日は赤マジックで数字に丸く印を付けて置くのだが、その印が24日に
付けてあったので、旅行は火曜日と完全に思い込んでしまったのだ。まったくの勘違いであった(^^ゞ
「忘れてましたか?・・・どうします?」「ん~ン!」そしたら桑原君が「河口湖I・Cから乗るんで
寄りますヨ!」その一言が無かったら旅行を断っていた所だった。 速攻で着替え、バックへ
必要な物?を詰め込み、玄関を開けた所へバスが止まりドアが開いた。「皆さん、おはよおう
ございます!ご迷惑をお掛け致しましたm(__)mすいません!」と言いながら、視線を避ける様に
空いている席に座った。 超ー!カッコ悪~い出発だった!
行 程 表
26日 バス・富士吉田 → 中央高速 → 首都高 → 東北自動車道 → 会津河東IC
→ 会津・渋川問屋(研修・昼食)七日町通り見学 → 芦の牧温泉・大川荘(泊)
27日 ホテル → 桐屋夢見亭(蕎麦打ち見学) → 桐屋権現亭(研修・昼食) →
→ 会津河東IC → 帰路 → 18:30着
大変忙しい中、時間を作って頂き渋川恵男(しぶかわ ともお)氏に、お話を頂いた。
帰郷した当時「よそもの3人組」と呼ばれ、煙たがられていた人達を中心に町の活性化を図り
まちなみ協議会を作り、地域における活動の普及に尽力されている。明治から昭和にかけて
海産物を扱う大店だった渋川問屋の代表で、塵ひとつない床は、黒光りする程磨き込まれており
2階は旅館になっていた。1階は料理屋でもあり、それぞれに趣のある部屋で食事を楽しむ事が
出来、「鰊の山椒漬」「棒たら煮」「こづゆ」などの会津郷土料理を提供し、お客様の舌を喜ばせて
くれる宿でもある。案内の方に聞いたら日曜日は200人近い方が食事にいらしたそうだ。
まちづくりのカリスマに共通する所がある。淡々としたお話の中に、力強い説得力と培ってきた
自信があることだ。ひょっとすると毎日かもしれない?全国からお話を聞きにみえるお客様に対して
力まず驕ること無く飄々と話してくれる、ほんとうにありがたい事だ。
お話の後、会議所の方の案内で七日町通りを散策したが、郷土料理にしても、まち並みにしても
我が富士吉田市と比べてみると歴史の重みの違いを感じてしまう。
芦ノ牧温泉・大川荘
翌日は蕎麦でまちおこしを提唱している唐橋宏氏を訪ねた。
凄い人に出会った。蕎麦道へ入って35年、とってもパワフルで行動的な人だ。頂いた経歴を
見て驚いた、日本だけではなくネパール・タイ・オーストラリア・イタリアまで蕎麦の種を蒔き
ネットワークを持つ方だった。
お話の中で印象に残ったのは、土地の食べ物を如何に生かし、地味豊かな食べ物にするか。
行政の垣根を如何に越え連帯するか。住民意識がスズメの学校では無く(竹やぶのスズメは
目的意識も無くあっちこっちを向いている事)メダカの学校(上流に向かって一緒に泳ぐ事)が肝心。
今の富士吉田市に置き換えてみると胸が痛くなる。
取り合えずは、自分ちに、いらっしゃるお客様を大切にし、基礎を築き、余力が出来たら社会に
還元するとしたい。
投稿者 pinetree : 2006年06月28日 21:05