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2008年05月27日
五月晴れ!
五月晴れ!
田んぼに映る、逆さ富士を求めて農道公園へ行った。
田植えが終わったばかりの苗間に、久し振りにスッキリ晴れた御山が逆さになって映っていた。
毎年見る事の出来る富士吉田市の風物詩だ。只、今年は残念ながら御山に残雪が多い為、まだ
農鳥の姿が見えないが、後10日もすれば見えるようになるだろう。
明見湖へ回った。
工事中だった「はす池体験工房」が平成19年12月22日竣工していた。明見湖周囲も整備され
自然公園 として開放されており、公園内では自然観察、ウォーキング、釣りなど自然とのふれあいを
楽しむことが出来る。また、富士の里環境ネットや、小明見地区の皆さんが中心になり
「はす池体験工房」を使って、身近な野生生物との共存を探ったり、勉強の活動拠点として活用している。
明見湖は、通称”はす池”と呼ばれて市民に親しまれているが、かっては、富士八湖の
(富士五湖・四尾連湖・明見湖・駿河の浮島沼、後に泉端に変わる)ひとつとして
富士山信仰の富士道の垢離場(こりば)<禊の場所>であったと言い伝えられている。
はす池至近にある「徐福雨乞地蔵祠」 祠から200メートル東の小山にある「太神社」
富士吉田には徐福伝説が伝えられている。
富士吉田市を中心とした富士山の北麓は、約1000年前から織物が織られていた、まさに
織物のふるさと。その歴史をひもとくと、実はさらに昔の2200年前以上にさかのぼることができ
中国から織物が伝えられたという伝説が残されています。紀元前219年、秦の始皇帝の家来の
徐福がこの地に織物の技術を伝えたというもの。
秦の始皇帝の東方蓬莱の国(日本)の不死(富士)の霊山に不老不死の霊薬を探するという
名を受けた徐福は、大勢の部下を連れ東海の浜から峠を越えて、阿祖谷(現在の富士吉田市
大明見)から大室の原に入ったという。
しかし、そんな霊薬などどこを探してもあるはずもなく、故郷に帰れば、始皇帝に首をはねられる
というので、この地に定住。幸い、中国は古代数千年も前から”養蚕・機織(はたおり)”が盛んな国で
徐福らもこの技術の巧みだったことから阿祖谷の里人に教えたのが富士吉田織物「甲州織」の
起源だとされています。その後、徐福は亡くなり、鶴になり、故郷の秦の国を思い偲んでいたというが
その鶴も数千年後には死に、死んで落ちたところが富士吉田市の福源寺の境内。この境内の
片隅にある鶴塚の碑は、徐福の化身の鶴が眠っている所とされています。 富士吉田織物協同組合HPから
福源寺 鶴塚
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投稿者 pinetree : 2008年05月27日 10:09