2008年04月26日
御師 旧外川家住宅竣工式典
御師 外川家竣工式典 富士吉田市 地 図
4月26日 10時0分 気温9℃ 御師とは 1 2
御師・旧外川邸竣工式典が催行された。
御師とは富士講と呼ばれる富士登山信仰する方々の宿泊や、登山のお世話をしたり
富士信仰の布教をした人々だ。その歴史は古く、室町時代から続く、金鳥居から富士山側の
上吉田を中心に最盛期には100軒を数えたと云う。
室外で式典を終え、室内神殿前にて玉串奉奠を行い、齋藤先達による御炊き上げが始まる。
座敷に茣蓙を引き、その上に塩を盛り真ん中に凹みを作る、線香を富士山型に組立て先達が
火を付け祈祷が始まり、講の人達も唱和する。先達が燃え上る火に「焚き符」と呼ばれる
占いの紙札をくべると、燃え上がったままユラユラと天井にまで付く勢いで上がり、消えながら
落ちて来る。その様子をみて先達が占いをするのだそうだ。
その後、燃えて灰になった線香と、塩を集めてサラシで包み、参加者の患部に当てがい病気
退散の祈りを捧げる塩加持の儀式へと進む。参加者は拝み手を合わせ患部を告げると先達は
その病んだ部分に塩加持をあて、祈祷する。塩加持の済んだ参加者の顔には晴れ晴れとした
笑顔が浮かんだ。
(齋藤先達の杖) (上吉田まちづくり委員会と下宿有志によるお持て成し)
塩加持の後、暫くして北口本宮冨士浅間神社・代々神楽保存会による三種類の舞が奉納
されたが、昔は、登山の無事を祈って神楽を奉納し、下山すると、登山無事終了を祝って
奉納する日々が富士登山の期間中の7・8月は毎日続いたそうだ。広間に大勢のお客様が
座して、横笛や太鼓が鳴り響き舞手が踊る神楽の様子は、さながら活況だった古の富士講を
目前にした感があった。
外川邸の主は先輩だが、50歳そこそこの若さで病魔に倒れ亡くなった。競技スキーの選手で
白馬の合宿でお世話になった事が思い出される。残念な事に後継者が無く、建物の老朽化が
進み、取り壊しの話が持ち上がったが、母屋は1768(明和5)年、離座敷は明治初期の建築とされ
1960年代まで富士講の人たちを受け入れてきた。御師の家を特徴づける要素をほぼ完全な
状態で残して保存状態は良好で、建築当初の部材の大半が残されている事により、富士講の
盛衰と御師の家の展開を知る上で貴重な資料とされ、富士吉田市で買い上げる事となった。
そして、修復工事を終え今日を迎えた。外川先輩の無念さは、如何ばかりだったと思うが
こうして外川家・御師の家として開放され、末永く皆さんに観て貰える事で、喜んで頂けると
思う。冥福を祈りたい。
富士吉田市歴史民俗博物館の敷地内に御師・小佐野家住宅の復原建物があるが、一般住宅の
真ん中にあり、生活感・匂いが感じられる外川邸の公開は、市民の誇りとなり、市民に
富士吉田市に住まう自信を、取り戻すきっかけになればと願いたい。
上吉田まちづくり委員 遠山喜一郎
4月中は、観覧無料です。
5月中は、配布チラシをご持参いただければ、観覧無料となります。
開館時間 午前9時30分~午後5時(入館は4時30分迄)
休 館 日 火曜日(火曜日が祝日の場合は、その翌日)
観 覧 料 大人100円(80円)小中高生50円(40円)
※()内は20名以上の団体料金
※博物館を利用の際は、外川家チケットを受付に提示ください。差額分で博物館をご利用いただけます。
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投稿者 pinetree : 2008年04月26日 20:25