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2006年08月13日

西方寺

   引接山 西方寺 富士吉田市・小明見 地図
   
   引接山 西方寺  甲斐28番霊場

 所 在 地   小明見         Tel 0555-22-0299
 宗   派   浄土宗
 本   山   知恩院
 本   尊   阿弥陀如来   
 寺 宝 等   開山守木尊十一面観世音菩薩 他
 堂字状況   本 堂    1226年 創建 
          庫裏、鐘楼、武家造山門、経堂、開山堂、弁財天堂、秋葉堂、寺宝倉、庭園

 西方寺は、嘉禄2年(1226)、清和源氏の血を引く新田大炊助義重の五男の祖底禅師(経義)によって
開山された。当初は臨済宗の寺であったが、その後、文録元年(1592)、浄土宗に改宗した。寺の所在地も
何度か変わり現在地に移ったのは享保年間(1716~36)である。山門を入ると左手に祖底禅師が父の
義重より授かったという十一面観音を祀った観音堂がある。
 境内にはホトトギス派の俳人・高浜虚子の「筆塚」がある。毎年4月には「虚子忌」が開かれ、大勢の
俳人達で賑わう。寺宝として、県内で最も古い大小の「弥陀種子(梵ぼん字・ぼんじ)の板碑」(卒塔婆そとば
そとば・の一種、鎌倉期に盛んに作られた)がある。県の重要文化財に指定されている。また、 裏街道の鎌倉
街道が通っていた関係からか、富士北麓には古くから亡命者が隠れ住むことが多かったという。
 西方寺には、明治20年代、当時清国に支配されていた朝鮮から、わが国に亡命していた独立運動の
志士・朴永孝、金玉均らが滞在していた。書院には朴永孝の書の額が掛かっている。 また、勝海舟や
大隈重信などの要人も訪れている。
 太平洋戦争の東京大空襲で徳川家の菩提寺である芝増上寺は焼け落ちたが、恵心僧都(えしんそうず)の
作とも伝えられるこの阿弥陀如来像(黒本尊)を家康公は深く尊崇し、陣中にも奉持して戦の勝利を
祈願した。その歿後増上寺に奉納された、この黒本尊が現在も無事なのは、当時の住職が命を懸け
東京から黒本尊を疎開させた為で、本山からの感謝状も残る。

                                        甲斐百八霊場より

投稿者 pinetree : 2006年08月13日 23:26