平成30年度 観光サービス部会研修旅行・福島原子力第一発電所 平成30年6月17・18日
----- 行 程 表 ----- 6/17(日)
6:00 商工会議所発=<中央道>=八王子JCT=<圏央道>=久喜白岡JCT=<東北道>=白河IC=塔のへつり(見学)
=大内宿(見学・昼食)=白河IC=<東北道>=郡山JCT <常磐道>=いわき中央IC=常磐湯本温泉スパリゾートハワイアンズ(泊)
6/18(月)
8:30ホテル発=いわき中央IC=<常磐道>=広野IC=福島第一原子力発電所(研修・見学・昼食)=広野IC=
=<磐越道>=小野IC=太陽光発電設備CATV富士五湖(見学)=矢吹IC= =久喜白岡JCT=<圏央道>=
=八王子JCT=<中央道>=商工会議所着 20:20
宿泊場所 福島県いわき市常磐藤原町蕨平50 ホテルハワイアンズ
塔のへつり 塔のへつり(とうのへつり)は、福島県南会津郡下郷町にある景勝地。河食地形の奇形を呈する好例として 国の天然記念物に指定されている。「ヘつり」とは会津方言で、川に迫った険しい断崖のことである。 大川が形成する渓谷で、大川羽鳥県立自然公園の一角を占める。1943年(昭和18年)、河食地形の特異例 として国の天然記念物に指定されている。一帯は第三系凝灰岩凝灰角礫岩、頁岩などが互い違いになっており その軟岩部が長年の歳月による侵食と風化の作用によって形成された柱状の断崖である。一帯は樹木に覆われ ており、新緑や紅葉の頃は一際美しい。(ウイキペデイアより)
ー 大内宿 ー 大内宿(おおうちじゅく)は、福島県南会津郡下郷町大字大内にある、江戸時代における会津西街道 下野街道の「半農半宿」の宿場の呼称。明治期の鉄道開通に伴って宿場としての地位を失ったが、茅葺屋根の 民家が街道沿いに建ち並ぶ同集落の通称、あるいは観光地名として現在も受け継がれている。1981年(昭和56年 に重要伝統的建造物群保存地区に選定され、福島県を代表する観光地の1つとなっている。なお、当地の方言 である会津弁で大内は「おおち」(歴史的仮名遣い:おほち/あふち)と発音・表記されるため、標準語・共通 語の「おおうち」との対立がある。また、以前の記録では天正18年(1590年)伊達政宗の小田原参陣、 同年の豊臣秀吉の奥羽仕置きに当宿場を通行した記録がある。(ウイキペデイアより)
江戸時代の街並みを今に残す「大内宿」。下野街道の両脇に藁葺き屋根の古民家が30軒程並び、目を 閉じると大名行列の「下に〜〜!下に〜!」の声や、往来する旅人の息遣いが聞こえてきそうな佇まいである。 13時を過ぎ、チョットだけ遅い昼食を三澤屋さんで取った。勿論メニューは名物のネギ蕎麦セットだ。 以前、TVの旅番組で見たが、蕎麦のお椀の縁に青ネギが1本鎮座する様は豪放で合理的、1本ネギを 箸のように使い、蕎麦を食しながらネギをかじるスタイルには驚いたが、これも良かろう!辛くしたければ 余計にネギをかじれば、誠に合理的で都合良い。緑の葉を残し白い部分を全部食べつくし、大内宿を 味わったが、後から口内がヒリヒリとして2度味わう事になるとは思わなかった。
ー 常磐湯本温泉スパリゾートハワイアンズ ー
映画の「フラガール」を見てから、いつかは行ってみたいと思っていた場所で、今回、来られて良かった。 ハワイアンズは、ひと言で言えばハワイをイメージした巨大テーマパーク!広い!広い!食事へ行くのに ホテルの中で迷子になりそうである。食後に行ったハワイアンショーは出演しているのが日本人?くらいで 腰の振り方、ショーの構成も25年前にハワイのショータイムで観たものと同じで、どこか懐かしさを感じた。 ダンサーの中に蒼井優と山崎静代が出演していないか探したのは言うまでもない・・・ショータームは あっと言う間に過ぎた。
ー 福島第一原子力発電所 ー
観光サービス部会に、事故を契機に部会を休んでいた東電さんが復活、そこで事務局と部会長が今年の 研修旅行先を福島第一原子力発電所と決め、東電さんにオファーしたところ快く承諾して頂き、研修先と なった。富岡町から大熊町へ入ると街の雰囲気は一変する、帰宅困難地域の通り沿いにある民家の入り口には バリケードがしてあり、我が家の近くにある黄色い看板が目印の「幸楽苑」も草に取り囲まれ、まったく違う 印象に7年の時の重みを感じた。 バスが脇道でUターンする時、草むらの中に土地改良を記念する石碑があった。この石碑を建てた時 この地域の方は、どれほど喜んだ事か窺い知る事が出来る。この土地で美味しいお米を向こう何十年も作り 続ける為の苦労が、3,11に気泡の如く消えうせ、自分達まで帰宅困難地域となり、追い出されるはめとなって しまった。可哀想過ぎる。福島の皆さんは強い、もし自分達が、このような環境に置かれたらと考えると、とても 冷静ではいられない。困難を克服し、生き抜く力を持つ皆さんに敬意を表したい。
発電所の視察は富岡町の東電施設から始まった。施設の中で大まかな説明を受け、携帯電話・カメラは この施設に置いて行く事になった。気張って、撮ろう!と思っていたのが拍子抜けになってしまった。
送迎のバスに乗り、原発発電所迄行き、入退域管理棟へ入る。まずは入り口ゲートでチェックだ、ゲートは まるで競馬のスタート用具に似ている、柵が開き一人ずつ一人用ゲートに入るとチェックされ奥の柵が開き 隣室へ入る。さらに、もう一回、今度は病院にあるMRIを縦にした器具が並び、順々に狭い中へ一人ずつ入り 渡されたタグを所定の位置にかざすと扉が開き、やっと施設内へ入所出来た。物々しいセキュリテイーである。
バスに乗車し構内へ入るとALPSと呼ばれるタンク郡が目に飛び込んで来る、施設内のほぼ1/3を占める タンク郡は巨大で圧倒されそうだ。施設内は津波や爆発の面影はあまり無く、片付いており、凍土壁の機械を 観ているうちに2号機原子炉建屋前に来ている。建屋まで直線距離30メートル、テレビで見た、あの原発だ。 建屋の周りは外壁で囲んであるので面影はないが、大きく開いた入り口の奥に、あの水色の外壁は見覚えある。
この原発が、あと5メートル高い位置にあれば・・・原発内で使用していた電源が400ボルトではなく、通常 日本で使われている200ボルトか100ボルトであれば・・・、そして民主党の管総理大臣でなかったら・・・ こんな事にならなかったのではないか・・・残念でならない。どれだけの人々が辛苦を舐めさせられた事か・・・
1日4000人以上の人が廃炉に向けて作業をしているが、廃炉は30年〜40年先との事だ。何気なく 電気を使っているが、福島県の皆さんに思いを寄せたいと思わざるを得ない。過日、新聞に載っていたが、 政府は汚染水を処理した後に最後まで残った放射性物質トリチュームを含んだ水を貯めているタンクを撤去し トリチューム水を処分する方針を固めた事が7月11日分かったが、処分と云う事は海への放出しかない。 現在680基、貯蔵量89万5千トンに上り、政府の小委員会において議論されているが原子力規制委員会の 更田豊志委員長は「海洋放出が唯一の方法」として東電に早期実施を迫っているが、海への放出は沿岸の 漁師から始まり、環境破壊を恐れる世界中の国々からブーイングを受ける事にならないか危惧されてならない。
15年間、観光サービス部会の研修旅行に参加しているが、今までで一番重く、辛い研修だった。
武川部会長の会社で運営している太陽光発電所を視察した。
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