パインツリー・オーナーの旅行記

この掲示板に、
オーナーの旅行記・・・旅行に出かけたつれづれを書いてみました。
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遠山喜一郎 Friday, 6/21 09:27

  第33回 先進地視察研修旅行! 令和元年6月12・13日  1泊2日

              行  程  表

6月12日  9時0分  富士吉田市商工会議所発 
             中央道ー首都高
      11時0分  四谷 消防博物館        
      12時    月島(もんじゃの昼食)  
      14時    柴又帝釈天
      16時    上野 水月ホテル鴎外荘 
              堀内会頭を囲んで懇親会     
  
6月13日 9時30分  ホテル出発  
      10時    豊洲見学
      11時40分 築地場外見学昼食
      13時    赤坂離宮迎賓館見学 
      17時    富士吉田着

 富士吉田市商工会議所観光サービス部会の研修旅行だった。
当初、研修先に選んだ首都圏外郭放水路・夜間の川崎工業地帯が曜日の関係やアチラの都合で、見学
出来ないのが残念だったが、柴又で好きな彫刻がタップリ見学出来たり、赤坂離宮も想像以上に立派で
驚いた。
 


  消防博物館





 四谷・消防博物館

 四谷交差点脇にある消防博物館は展示品も充実しており、消防分団長を体験された武川部会長の
説明が的を得ていて聞いていて勉強になった。モンタージュ映像のコーナーでは年甲斐もなく、
消防団員のモンタージュに挑戦、上手く顔が枠にはまり、それらしく見える写真が撮れて嬉しかった。
ここは小学生になる孫達を連れて来たら喜んだ事だろう。

 もんじゃ焼き・一樹

 昼食は月島地区にあるもんじゃ焼きの店、一樹へ入店した。
店主からもんじゃの作り方のレクチャーを受け、それぞれの鉄板に汁をこぼさぬ様具を載せるのだが
上手・下手があり面白かった。めんたいもんじゃ・カレー味もんじゃ・閉めはお好み焼きだったが
味は普通、美味くも不味くもない普通味だった。もんじゃ焼きは男が4人で鉄板に向かって
格闘するものではなく、男女で店に入り共同作業して楽しむのがベストではなかろうか・・・。

  柴又帝釈天 







 初めての柴又帝釈天、トラさんとサクラの故郷。商店街も風情があり良い感じだ。
帝釈堂の内外には、数多くの木彫がほどこされているが、特に帝釈堂内陣の外側にある、十枚の
胴羽目彫刻は仏教経典の中でも最も有名な「法華経」の説話を選び出して彫刻したものである。
この法華経説話彫刻は、当山第十六世観明院日済上人の発願になるもので、篤信者鈴木源次朗氏の
丹精協力を得て、 大正末期より昭和九年に至る十数年の歳月を費して完成したものである。
                               (帝釈天HPから)
 本堂にお参りして、何気なく右側にある彫刻のご案内に目が止まり、観覧料を支払い入場すると
帝釈堂を取り囲む彫刻の法華経絵巻の素晴らしさに魅了された。細部に至るところまで精密に
彫られており、人の表情も生き生きとしている。良く戦火を逃れ消失しなかったものだ。
 お堂の裏手には邃渓園と呼ばれる回遊式の庭園があり、こちらも良く整備されており、帝釈天を
訪ねた際は、是非見学して欲しい場所でお奨めだ。

 上野・水月ホテル鴎外荘

 都心とは思えない静かな環境で天然温泉付き、こちらのホテルもやっぱりお薦めだ。
宴会の席には女将が来てくれ挨拶もあり、今時、珍しくもある。
 水月ホテル鷗外荘は、敷地内に明治の文豪・森鷗外の旧居を保存しており、名作「舞姫」を
執筆した部屋や庭を保存している。明治の文学に触れる事が出来る宿で、こうしたストーリーが
ある宿は楽しく魅力的だ。  




 9時30分にホテルをチェックアウト、今までの部会旅行で一番遅いチェックアウトだったが
これも、また良し。豊洲へ向かった。バスを降りて歩行者専用通路を歩くと、右手の都心方向には
真新しいビルが立ち並び、手前側は杭内の巨大クレーンが作業をしている。この場所も、巨大なビルが
建つのだろう。
 
豊洲

 長い通路を歩き場内を見学したが、マグロの競りは早朝しかやっていない。ただ、ガランとした
場内を3階位の高い窓から見下ろすだけで詰まらない。以前の築地と違い、エアコンの利いた清潔な
場内で働く人々には優しいかもしれない。レストラン街も中に集約されており、こ綺麗で機能的だが
面白味に欠ける気がした。 

   築地・場外市場

 豊洲から10分程で築地に到着。平日だが昼時、結構混んでいる。この雑踏の方が性に合っており好きだ。
1時間見学をして”すしざんまい本陣”で昼食となった。

 赤坂迎賓館

 次に赤坂迎賓館を訪れた。バスから見える鉄製の門扉の印象が強く、通路のその奥に建物が鎮座している。
思っていたより巨大な伽藍で裏口の方から中に入ると、セキュリテイーチェックもされ、その係りの人員も多い。
修学旅行の学生達の列に続く。明治42年に建てられたネオ・バロック様式の本館は国宝だ。”羽衣の間”には
天井から吊るされたバカラのシャンデリア3基が圧倒的な存在感を醸し、正に豪華絢爛の世界で、シンデレラが
今にも現れそうだった。晩餐会が催される”花鳥の間”には、その食器を収納する食器棚がドーンと鎮座して
豪華である。玄関ホールにある大理石の丸柱は角材を削って丸柱にしたもので、現在は環境破壊に繫がるとして
造る事が出来ないそうだ。”朝日の間”で使っている柱はピンク系の大理石、実に豪華だ。こうした迎賓館を
持つ日本に生まれた事が誇りに思えてくる建物であった。
 山梨県から2時間で行ける東京だが、その懐は実に深く、その幅も限りなく広い。遠い研修地も良いが
もっと東京を研究し、研修先を見付ける努力をしても良いのではないかと思った。



遠山喜一郎 Saturday, 4/27 19:28

  久米島フィッシングツアー! 平成31年4月22・23・24・25日  3泊4日

              行  程  表

 22日 4時30分  富士吉田発 7時40分発、那覇空港10時25分着、2時間の乗り継ぎ待ちを
            利用し、タクシーで国際通りを観光。那覇空港から久米島14時15分到着。
          
 23日 9時     ミーフガー近くの防波堤で五目釣り

 24日 7時     真泊漁港から祐太丸にてマグロ釣りへ 14時終了ホテルへ 

 25日 9時     儀間漁港五目釣り バーデハウスで入湯
            久米島空港 16時50分〜那覇空港18時35分〜羽田空港20時55分着
            富士吉田着 23時50分      



 退職後、初めての旅行は気の合う妹の旦那と三泊四日の久米島フィッシング旅行だ。
22日4時30分出発!道路も空いており6時には羽田空港に到着してしまった。前日、何気なくカーナビの
画面に羽田空港の地図を出してチェックし、案内開始をクリックしておいた。
 翌日は問題なくスタート。カーナビの案内に従い羽田空港まで来た。ところがである、P3・P4?P4の
3階へ車を止めた?何かおかしい!?通路を使い出発フロアへ行くとANAのカウンターしかない、受付の
女の子に尋ねると私達が乗る日本空港はP1・P2だと云う!あいたたツ!やってしまった。来た道を戻り、
駐車料金300円を支払いP1へ向かった。
 まだ、出発まで時間があるから良いが、時間すれすれのチェックインだと心臓と体に悪い、気を付けよう!

 フライトは那覇空港での乗り継ぎで2時間待ちだ、タクシーを使って国際通り迄出掛けた。港には16万
トンの巨大船が停泊している、中国からのお客様で4000人が街に繰り出していると云う。ホントだった。
国際通りは中国人で溢れている、ドンキで鼻水止めの薬を買ったら爆買い客の最後尾に並び、レジを終えるのに
10分も掛かった。昼食は焼肉店で食べたが、昔、富士吉田にあった1380円で食べ放題の店に似ており、
どこか懐かしいレトロな感じがあったが、肉の種類は少なく味も料金通りだった。



 約30分のフライトで久米島に着いた。途中、眼下に見える座間味諸島に心引かれる、昔、ダイビングをしていた頃、
潜りに来たかった場所で、まだ、その思いは残したままである。

 空港でレンタカーを借りて、予約したサイプレスリゾートホテルへチェックイン!荷物を置いて着替え、島の探索に
向かった。周囲50キロ程の島、翌日竿を出す場所を検討、足場の良い車えびの養殖場近くの港湾に決める。
途中、餌や撒き餌を買う為グーグル先生に近くの釣具店を探すと3軒がヒット!端から探っていくとお休みの店もあり
3軒目の”マンボウ”がヒット!色々と指南を受け、買い物を済ませてクーラーバックが無い事を告げると店主の
使っているクーラーを「これ使って!」と、貸して貰った親切なオヤジさんだ。



 島を時計回りに回る。観光の最初に行ったのはミーフガー、巨大な岩が割れており、女性が拝むと子宝に
恵まれるそうだ。写真を2〜3枚撮っているとバスも1台駐車場へ入って来て、押し出されるように、その場を
後にした。崖に作られた坂道を上がって行くと「具志川城」の看板がある、15世紀頃築城されたもので、国指定
史跡になっている。積み上げられた城郭の石を良く見ると、貝の化石があったりするので、考古学のお好きな
人には堪らない場所だと思う。次は、サトウキビ畑の中を走っていると「熱帯魚の家」の看板が目に入って来た。
誘われるように進むと海岸線の小さなPに車を止めた。岩礁の割れ目にはチョウチョウ魚や青く輝くルリ
スズメダイがいる事から「熱帯魚の家」と呼ばれているのかな・・・。
242号線を山から下って行くと、遠くに「ハテの浜」と呼ばれる7キロ続く白い砂浜、砂州が見えた。この
砂浜は良くCMに使われるので有名だ。

     
 ドリンク・つまみを買った「モリ」    「居酒屋・武吉」      
 
 今回、宿泊するホテルは食事代別のプランだった。ホテルのレストランで金額を見るとコース料理で予約制だ
オジイが2人で顔を見合わせ、する食事ではないし絵にならない。オジイには、やっぱり居酒屋程度が似合っている。
タクシーでジンジンロードの居酒屋「武吉」へ送って貰った。広い店内は殆んどが地元のお客様で、隣のテーブルだけが
関西の客で、船を使いジギングを楽しんだそうだが、オデコと言うのが気になった。地魚の刺身を肴に泡盛の
「久米島」を飲むと酔うほどに一日の疲れがドーツ!と出て1時間程で良い気分!タクシーを呼んでホテルに
帰るとバタン!グー!目が開いたら朝、マグロと並びツーショットの夢を見る間も無く起床するのであった。



















遠山喜一郎 Wednesday, 2/6 18:22

”KYCK会グアム旅行”   
               平成31年1月28〜31日 3泊4日
 
 いつも一緒にプレーや練習をするゴルフ好きの仲間が、昨年の11月”加津”のカウンターでゴルフ談議。
たまには温かい所でプレーしてみないかと云う話が持ち上がり、浮上したのが今回のグアムゴルフ旅行だった。
会の名前はキック会、単純に皆の名前の頭文字をくっつけただけの即席、男3人+女3人で出掛けた。
 車の混雑が心配されたので仮眠は車中、空港近くの酒々井P辺りで取る事にし、車2台に分乗した。

 今回の旅行は贅沢旅行、飛行機はビジネスクラスを使い、ホテルはオンワードHの最上階23階の
コネクテイングルーム、ゴルフ場は世界ゴルフ場100選に選ばれた事があるマンギラオGCの2ラウンド、
初めての連続に期待は高まる。たまには、こんな贅沢も良いかも・・・。

       28日  

 0:30 相馬君宅集合出発   

 4:30 成田USAパーキング到着  




 7時30分にビジネスクラス利用者が無料で使えるサクララウンジが開いて中に入れた。名物のカレーを
少しだけ頂いたが、確かに美味しかった。ラウンジは平日の早朝から、粗満席で次から次へと入れ替わる。
飛行機へ乗る時にも優先搭乗、一回使ってしまうと、また使いたくなってしまうのだろうな。あっ!そうだ。
何と、河口湖の知り合いらしき顔をラウンジで見つけ、声を掛けると本人だった。凄い確立に驚いた。

 エコノミーの座席は横に8席だが、ビジネスクラスは4席だ。シートもフラットの平らになり足を伸ばして
寝る事が出来て快適だ、睡眠中トイレに行く隣席の客に起こされる事も無い。嬉しかったのは携帯電話のAC
コンセントがあり充電出来た事。窓の外を見ると成田闘争で最後まで戦った民家が、まるで檻の様なネットに
囲まれ残っている姿が、まるで墓のようにも見えて、悲しみを誘う。あの闘争はいったい何っだのだろう!?



 15時にはグアムに着いた。1時間の時差は有難く腕時計を1時間早めた。機体を離れ空港建屋に入ると、
モアっとした空気とコロンの甘い香りが漂って来る、13年振りのグアムの匂いだ。  
 スーツケースとゴルフバックを送迎車に積み込み、皆で車に乗り込んだ。久し振りのグアム、空港は
新しくなっていたが、街の景観は以前と変わらない気がした。



 ホテルは空港からは遠いオンワードHの23階、湯船からはオーシャンビューの特別室。ただ、難点が
一つ、それはベッドが外人仕様になっており高いのだ、ベッドに腰掛けると足がブラブラし、上に乗るには
身をベッドに投げて転がるのが一番だった。自分は背が低くは無いが、こんな感じだった。背の低い方は如何
だったろうか!?    



 19時、ホテルの3階”嵯峨野”で鉄板焼を食べてワインを飲んだ、グアムの夜に乾杯!!
長い1日だった、疲れもあり22時には寝てしまった。

     29日

 5時30分起床、送迎バスはロビーへ6時30分に来る。交代でシャワー浴びて仕度を整えた。
まだ暗い、小雨の中バスはゴルフ場へと向かった。早朝から対向車が沢山走っていたり、ランドセルを背負った
子供たちを親が送迎したり、グアムの朝は結構早い。30分程走るとマンギラオGCに到着、コースと海を
見下ろす絶景のレストランにて朝食を頂く、海の沖には雲が湧き、太陽が雲の隙間から放射状に光を放ち
綺麗だ。この景色を眺めながら食べる朝食は、今までで一番かも知れない。





 8時30分 プレー開始!会心の当りでナイスショット!で、始まったが海から吹く風に悩まされ
名物ホール12番の入り江越しホール、5番アイアンでのナイスショットもグリーンに届かず海ポシャ!
5人全員が太平洋にボールを寄付した。明日もあるさ、クラブを預け送迎バスへ向かうと、丁度出発した
ところ、12時30分迄、昼食を取りながら時間調整した。



 夕飯はレストラン・ローンスターでステーキ&ロブスターを頂いたが、ボリュームがあり、ご飯は
そっくり残してしまった。お運びさんが美味しいと言いながら持って来るソースは有料なので気を付けないと
いけない。日本人は優しいからカモられてしまう、かも・・・また、レシートのチェックも忘れずに、二重に
付いている事もあるよ、気を付けて。

 「 2日目も 遊び疲れて グアムの夜 遊びも行かず ベッドの子守♪  」  

    30日 




 2日目のマンギラオGC、6時30分の送迎バスに乗ると雨が降って来る。
初日と同じように、レストランで雨を見ながら朝食を取っていると、雲が流れ晴れ間が見えて来る。
1番テイーグランドに立つ頃には虹が出て陽が射し込んで来る。ナイスショット!ボールは青空に
真っ直ぐ吸い込まれて行く、気持ち良〜い、最高だ! 

 12番名物ホール。Uテイリテイーで打ったボールは真っ直ぐグリーンへ、海に落ちない、グリーンに
転がらない。行ってみたら崖とグリーンの1メートルの間にあった、惜しい。このグリーンへワンオンすると
証明書が貰えるのだ。もうチョット、後30センチの所だった。後ろ髪を引かれて、また、いつか証明書を
取りに戻って来たいものである。





 午後からは曇りで肌寒い中、バナナボートとジェットスキーを楽しんだ。新しく買い求め、持参した
水中カメラも海に沈め1枚、半水中写真が撮れた。
 夕食は繁華街で適当な場所で、と云う事で赤いバスに乗りショッピングモールへ、ウインドーショップして
ザ・プラザ内にあるテンテコ舞で日本食が恋しくなり焼きうどんを食べたが激マズで懲りた。

    31日 




 ツアーデスクに日参し、船長に連絡して貰ったが海況が悪く2日間トローリングが出来なかった。だめ元で
昨日、聞いて貰ったらOKが出て予約が出来た。6時30分、送迎があり海に出られる。
 買って置いた酔い止めのクスリを皆に飲んで貰った。アガットマリーナまで30分程で到着、グアムの
海に出た。結構波は高かった2階から1階、1階から2階へ上ったり下ったりを繰り返す中、ルアーを流す。
最初の2時間は釣れなかったが、10羽程の鳥を船が追いかけると当りがあり、50センチのキハダマグロが
ヒット。5人全員がロッドを握りリールを巻き上げる事が出来、釣果はキハダマグロ1本・カツオ3本が釣れ
それぞれの旗が2枚支線にはためいた。マリーナに帰り、キハダを調理し刺身にしてくれ頂いたが、身が絞まり
コリコリして美味しかった。
 船上で仲間の格闘シーンを写真に撮ろうとしたらバランスを崩し左舷船べりに打ち付けられるアクシデントが
あった。その昔の柔道経験の成果が出たのか、咄嗟に顎を引き、上手に当ったせいか怪我が無く、皆に
迷惑を掛ける事無く済んだのが本当に良かった。

   
 キングス・レストラン    グアム空港     

  
 帰りの機内から見えた夕焼け・光のグラデーションが素敵過ぎる


  オンワードホテルの水槽で泳ぐ魚達

 あっと言う間に過ぎた4日間、気の合う仲間と出掛ける旅行は格別の趣きがある。マンギラオの
練習グリーン奥に半円を描いた虹、1番ホールのアゲンストの風を切り裂き青空に飛行したストレートボール、
ワンオン出来なかった悔しさを打ち消し癒してくれた12番ホール入り江の海色、クルーザーに乗船しトロー
リングに出たアガット沖フィリッピン海の紺碧の色、釣り上がったキハダマグロが断末魔にクーラーボックスを
尾で叩く音、そのシコシコとした食感、ショッピングセンターを歩くと甘く優美に香る南国の風。とても短い
4日間ではあったが五感で味わい堪能する旅となった。また、いつか来てみたい!そして、12番ホールに
チャレンジしてワンオンさせる次への希望を繋いでくれてありがとう!また、行くぞ〜〜〜! グアム♪

  2月1日0時20分 富士吉田着
 

オーナー Saturday, 11/3 21:05

八友会伊豆旅行”大島を訪ねる旅”   
                     10月28〜29日
 
 9:00 満君宅集合出発   

10:30 箱根神社  
   
12:00 三島スカイウオーク

12:20 三島”うなよし”
  
13:30 沼津港市場見学
      大型展望ビュオ      

15:00  さかなやアネックスH茜 
 
      チェックIN рO55−948−1511   

18:30  宴会
       
      =  16日  =
 
8:00  ホテル チェックOUT 

 9:10  熱海港出発(高速船) 
  
 9:55  大島着

       レンタカーで三原山観光       

15:40  大島港発

16:25  熱海港着 

18:30  富士吉田着

 毎年恒例の松山地区同級生”八友会”の旅行だった。
PCが得意と云う事で行程や行き先、時間割を幹事に任され、船の予約や島で使うレンタカーの
手配をし、借りたマイクロバスの助手席に乗り込みナビゲーターまで勤める念の入れようだが、
それは決して嫌いではなく、むしろ好きかも知れない

 マイクロバスは大型免許を持っている小山田君が運転し、定刻通り富士吉田を出発した。
段取は2名の幹事で行うが毎年微妙に個性が出る、今年の幹事は場当たり的、バス旅行に付き物の
酒の用意がされておらず、御殿場のコンビニで降りて全員で酒の買出し、その時間は30分を費やした。
 早速、買い求めたビールのプルトップが引かれ、旅の無事を祈り「乾杯!」。飲み始めると共に
調子は揚がり宴会モードに突入して行く。  



 車が箱根に入ると仙石原のススキの白い穂が膨らみ、風で風紋の様に揺れて綺麗だ。程なくバスは
神社の赤い鳥居の下をくぐった。駐車場へ向かう車列の最後尾に並ぶ。上天気の日曜日、行楽に箱根を
訪ねる人々は想像以上に多く驚いた。杉の巨木の中に造られた石段を登ると本殿があり、旅の安全
家内安全も一緒に祈願した。国道1号線から箱根町に入って来る道路は酷く渋滞している、逆方向に
向かっている事に安堵した。  



 混んでいたので時間が押し、予定していた”山中城跡”はパスし”三島スカイウオーク”も車中から眺め
行った事にした。昼食は三島の”うなよし”と決めていた。昔から富士吉田を出て伊豆に旅する時は、
行き帰り、どちらか必ず関所の様に立ち寄る店となっており、ご他聞に漏れず、今回も食事処となった。
並うな丼を食したが4000円だ、まさに値段はウナギ昇り、20年前と比べると約倍誓い値段だろうか、
良く味わって頂いた。



 腹ごなしに沼津港へ立ち寄った。やはりこちらも混んでおり駐車場も空きが無い、港湾の向こう側に
1台だけ止めるスペースを発見!路駐した。大型展望ビュオは新しく、まだ誰も来た者がいなかった。
こちらは津波を止める開閉型水門で最上階は展望台になっていた。見晴らしが良いので天気が良い
時にはお勧めだ。この日は愛鷹山の後ろに雲が出て富士山を隠し、お顔が見れなかったのが残念だった。
 15時には”さかなやアネックスホテルにチェックインした。

               = 29日 =


 
 翌日は晴天!御山も観える。雲ひとつ無い上天気に心も弾んだが、部屋の窓から御山を写すとサンバレーの
看板が邪魔をする。まツ!しょうがないか・・・。 7時55分、ホテルをチェックアウトした。
下田街道を北上し伊豆中央道へ間宮仁田ICから乗った。ところがである、予定の熱函道路へのアクセス
大場函南ICには下り口が無いのだ「えツ!」絶句である。しかたない、次のIC迄行くしかない、ところが
運悪く渋滞の列に並ばされてしまった。困った、熱海を出る高速船は9時10分、間に合うだろうか!?
次の三島玉沢ICで下りてUターン、また伊豆中央道に乗ってとんぼ返り、こんどは大場函南ICで下りて
熱函道路を熱海へと向かう。余裕を持って宿を出たが何てこった。運転手の実君を急がせる訳にも行かないし
熱海へ下る道路はきつい傾斜で有名、車を飛ばせ!などとは言えない。手に持ったスマホの道案内と到着時間を
気にしながら時計を比べ、間に合う事を願った。海が見える。10分前、熱海の街へ入った。2分前、市営
駐車場の手前で携帯が鳴る「遠山様の携帯で・・・今日のご予定は?」「今、駐車場の前です」。間に合った!
幹事と一緒に切符売り場へ走り、切符を購入、高速船に最後の乗客として飛び乗った。良かった〜♪

 高速船は早い、水中翼船でジェットを海水を噴射して走るのだが、白波が飛んでいるのに揺れない。
45分程で大島に着いてしまった。快適な船旅である。



 大島到着。予約していたトヨタレンタカーの送迎車に乗りショップへ、2台を借り、分乗し三原山観光へと
向かった。島内の印象は落葉樹が少なく緑溢れる島で車が少ないが、さすが東京都、道路の路面が平らで
ポコポコが無い。三原山が見える駐車場へ車を止めた。天気は快晴、海の向こう側には雪を被った御山が
観える。御神火茶屋前から三原山を見ると1986年11月19日に噴火した溶岩が流れ出し、焼けた後が
山肌に残り、TVのニュースで元町港から撮った映像、赤く噴出す溶岩に御神火茶屋の建物のシルエットが
印象的で今でも火山噴火の恐怖感が忘れられない。同じく、火山の近くに住む者として御山の安泰を願わず
にはいられない。



 山から元町へ下ると11時30分、スマホで近所の食事処を探し”雑魚や紀洋丸”へ飛び込んだ。
「海の玉手箱」を食べたが、刺身が新鮮で酢飯と相性が良く合い美味しかった。

 火山博物館

 地層大切断面

 波浮港

 筆島



 帰路も岡田港、レンタカーを返し送って貰う。15時40分の高速船に乗り込むと快適で居眠り、気が付くと
伊東の近く、アッ!と云う間に熱海港へ着水。ところが、ここで終わらないのが八友会の旅行。入る時には
問題なく入った駐車場のゲートが、出口は幾分低くなっており車の屋根が当たる。さて困った。管理室は
無人だ、ゲートの電話を使うが呼んでるだけで繫がらない。船乗り場へ尋ねるが要領を得ない。そうこう
している内に20分経過してしまう。この駐車場は熱海市営だ、市に電話し駐車場の係りに繋いで貰うと、
直ぐに向かうと言う。10分程で係りが来て入り口ゲートを開けて貰い、そこから脱出出来た(笑)

 19時、富士吉田へ到着。1泊2日の小旅行ではあったが無事帰って来れた事、色々な笑い話が出来た事
仲間で出掛ける旅行は楽しい。来年は何処へ行けるかな・・・。



オーナー Saturday, 10/20 15:15

西伊豆旅行! 平成30年8月26・27日

          ----- 行   程   表 -----
 8/26(日)
11:30 パインツリー発 → 13:15  清水港 →  駿河湾カーフェリー → 14:25  土肥港 → 西伊豆クリスタルビューホテル


 8/27(月)
9:00 ホテル発 → 10:00 中木港 → ヒリゾ海岸 → 12:00 下田市 → 16:30 富士吉田市

 今年は1月に父親と叔母が亡くなり葬式を出しました。8月26・27日は、この地方で最大の祭り
”吉田の火祭り”が催行されますが火祭は清浄であることが求められ、特に死はケガレとして避けられます。
江戸時代の『富士日記』には(薪を用意せず)「残れるは忌み有る家のみなれば」とあります。家の中で
じっとしているか?家を出て旅行に行くか?の選択を要求される訳です。

 『甲斐国志』には、「此村忌服アルモノハ、忌服令ニ拘ハラス、仮令ヒ忌服前年ニアリテモ一年ノ間ハ
社参ヲ止メ、祭前七月十七八日迄ニ他所ヘ出行キ、祭日ニ逢フコト能ハズ、篝火ヲ挙ゲズ、祭終リテ漸ク
家ニ帰ル、之ヲテマニ出ルト云」とあります。不幸があることを「ブク(服)がかかる」と呼ばれております。
 ブクの家の者は、火祭の神輿や火を見ることを避けなければなりません。ブクの年の火祭には忌みのために
火祭に支障があったり、不幸が起こってはいけないので、泊まりがけで町の外の親類の家や旅行に出かけます。
これを「テマ(手間)に出る」と言い、近所の家からその家に対してテマ見舞いとしてうどん粉やそば粉などを
タマアブチという漆器桶に入れて贈られました。テマに出るとき着てゆく着物を「テマ着ともよびました。
テマに出た人は、火祭が終わった日の朝には帰ってきました。また、上吉田から逃げずに家に閉じこもって
火祭をやり過ごすこともあり、これをクイコミといいました。 北口本宮冨士神社HPから

 そんな風習が伝わるこの地です。例に従いカミさんと共に伊豆へ逃れる事と致しました。さて、伊豆と
云っても広うございます、予約は前日、夕焼けと海の綺麗な西伊豆のホテルを2軒目の電話でゲット予約した。

 清水港フェリー乗り場



 雲見海岸

  ヒリゾ海岸



 何気なくホテルの部屋で夕日を見ていたら、「テマ(手間)に出る?」吉田から逃げるのは何故?と疑問が
浮かんだ。葬式は家の一大事である葬儀に3〜6日、毎週7日、49日、そして1周忌と故人を亡くした
悲しみもそこそこに慌しく1年が過ぎて行く。家に残った、そんな家人を古人(いにしえびと)は、何とか
休ませてあげたい、公に旅行にも行かせてあげたいと、叡智を絞り生み出したシステム。それが「テマ
(手間)に出る」。もし、そうだったら、何と素敵で素晴らしい風習だろう、などと西伊豆の地で、つらつら
考えるのだった。  

 翌日は奥伊豆、中木のヒリゾ海岸を訪ねた。この地は、今まで何十回も伊豆に来ているのだが初めてである。
中木の看板を右折すると係りが3人立っており、近くの空き地に車を止めるよう案内された。カンカン照りの中
徒歩で500メートル程歩かされると、漁港の近くに瀬渡し船の案内所がありチケットを購入し、船乗り場に
並んだ。瀬渡し船はピストンで行ったり来たりを繰り返しているので1回待ちで乗船出来た。船に乗ると5分程で
ヒリゾ海岸に到着したが、凄い!海岸は人とテントで一杯だ。取り合えず見ただけで船に乗り帰って来た。
ヒリゾ海岸は超有名なシュノーケルポイントで透明度を誇る水道となっている。夏の終わりの月曜日に
この、混み具合だ、夏の土日は車を止める所が無くなるだろうな。

 夏の終わり、思い掛けずカミさんと手間で出掛けたが、良き休暇となった。留守を守る専務夫婦に感謝だ。


 





オーナー Thursday, 8/9 19:05

平成30年度 観光サービス部会研修旅行・福島原子力第一発電所 平成30年6月17・18日

        ----- 行   程   表 -----
6/17(日)

 6:00 商工会議所発=<中央道>=八王子JCT=<圏央道>=久喜白岡JCT=<東北道>=白河IC=塔のへつり(見学)

  =大内宿(見学・昼食)=白河IC=<東北道>=郡山JCT <常磐道>=いわき中央IC=常磐湯本温泉スパリゾートハワイアンズ(泊)

6/18(月)

 8:30ホテル発­­=いわき中央IC=<常磐道>=広野IC=福島第一原子力発電所(研修・見学・昼食)=広野IC=

  =<磐越道>=小野IC=太陽光発電設備CATV富士五湖(見学)=矢吹IC= =久喜白岡JCT=<圏央道>=

  =八王子JCT=<中央道>=商工会議所着   20:20

    宿泊場所  福島県いわき市常磐藤原町蕨平50 ホテルハワイアンズ  





  塔のへつり
塔のへつり(とうのへつり)は、福島県南会津郡下郷町にある景勝地。河食地形の奇形を呈する好例として
国の天然記念物に指定されている。「ヘつり」とは会津方言で、川に迫った険しい断崖のことである。
 大川が形成する渓谷で、大川羽鳥県立自然公園の一角を占める。1943年(昭和18年)、河食地形の特異例
として国の天然記念物に指定されている。一帯は第三系凝灰岩凝灰角礫岩、頁岩などが互い違いになっており
その軟岩部が長年の歳月による侵食と風化の作用によって形成された柱状の断崖である。一帯は樹木に覆われ
ており、新緑や紅葉の頃は一際美しい。(ウイキペデイアより)





  ー 大内宿 ー
大内宿(おおうちじゅく)は、福島県南会津郡下郷町大字大内にある、江戸時代における会津西街道
下野街道の「半農半宿」の宿場の呼称。明治期の鉄道開通に伴って宿場としての地位を失ったが、茅葺屋根の
民家が街道沿いに建ち並ぶ同集落の通称、あるいは観光地名として現在も受け継がれている。1981年(昭和56年
に重要伝統的建造物群保存地区に選定され、福島県を代表する観光地の1つとなっている。なお、当地の方言
である会津弁で大内は「おおち」(歴史的仮名遣い:おほち/あふち)と発音・表記されるため、標準語・共通
語の「おおうち」との対立がある。また、以前の記録では天正18年(1590年)伊達政宗の小田原参陣、
同年の豊臣秀吉の奥羽仕置きに当宿場を通行した記録がある。(ウイキペデイアより)






 江戸時代の街並みを今に残す「大内宿」。下野街道の両脇に藁葺き屋根の古民家が30軒程並び、目を
閉じると大名行列の「下に〜〜!下に〜!」の声や、往来する旅人の息遣いが聞こえてきそうな佇まいである。
 13時を過ぎ、チョットだけ遅い昼食を三澤屋さんで取った。勿論メニューは名物のネギ蕎麦セットだ。
以前、TVの旅番組で見たが、蕎麦のお椀の縁に青ネギが1本鎮座する様は豪放で合理的、1本ネギを
箸のように使い、蕎麦を食しながらネギをかじるスタイルには驚いたが、これも良かろう!辛くしたければ
余計にネギをかじれば、誠に合理的で都合良い。緑の葉を残し白い部分を全部食べつくし、大内宿を
味わったが、後から口内がヒリヒリとして2度味わう事になるとは思わなかった。







 ー 常磐湯本温泉スパリゾートハワイアンズ ー




 映画の「フラガール」を見てから、いつかは行ってみたいと思っていた場所で、今回、来られて良かった。
ハワイアンズは、ひと言で言えばハワイをイメージした巨大テーマパーク!広い!広い!食事へ行くのに
ホテルの中で迷子になりそうである。食後に行ったハワイアンショーは出演しているのが日本人?くらいで
腰の振り方、ショーの構成も25年前にハワイのショータイムで観たものと同じで、どこか懐かしさを感じた。
ダンサーの中に蒼井優と山崎静代が出演していないか探したのは言うまでもない・・・ショータームは
あっと言う間に過ぎた。 

  ー 福島第一原子力発電所 ー


 観光サービス部会に、事故を契機に部会を休んでいた東電さんが復活、そこで事務局と部会長が今年の
研修旅行先を福島第一原子力発電所と決め、東電さんにオファーしたところ快く承諾して頂き、研修先と
なった。富岡町から大熊町へ入ると街の雰囲気は一変する、帰宅困難地域の通り沿いにある民家の入り口には
バリケードがしてあり、我が家の近くにある黄色い看板が目印の「幸楽苑」も草に取り囲まれ、まったく違う
印象に7年の時の重みを感じた。
 バスが脇道でUターンする時、草むらの中に土地改良を記念する石碑があった。この石碑を建てた時
この地域の方は、どれほど喜んだ事か窺い知る事が出来る。この土地で美味しいお米を向こう何十年も作り
続ける為の苦労が、3,11に気泡の如く消えうせ、自分達まで帰宅困難地域となり、追い出されるはめとなって
しまった。可哀想過ぎる。福島の皆さんは強い、もし自分達が、このような環境に置かれたらと考えると、とても
冷静ではいられない。困難を克服し、生き抜く力を持つ皆さんに敬意を表したい。 




 発電所の視察は富岡町の東電施設から始まった。施設の中で大まかな説明を受け、携帯電話・カメラは
この施設に置いて行く事になった。気張って、撮ろう!と思っていたのが拍子抜けになってしまった。

 送迎のバスに乗り、原発発電所迄行き、入退域管理棟へ入る。まずは入り口ゲートでチェックだ、ゲートは
まるで競馬のスタート用具に似ている、柵が開き一人ずつ一人用ゲートに入るとチェックされ奥の柵が開き
隣室へ入る。さらに、もう一回、今度は病院にあるMRIを縦にした器具が並び、順々に狭い中へ一人ずつ入り
渡されたタグを所定の位置にかざすと扉が開き、やっと施設内へ入所出来た。物々しいセキュリテイーである。

 バスに乗車し構内へ入るとALPSと呼ばれるタンク郡が目に飛び込んで来る、施設内のほぼ1/3を占める
タンク郡は巨大で圧倒されそうだ。施設内は津波や爆発の面影はあまり無く、片付いており、凍土壁の機械を
観ているうちに2号機原子炉建屋前に来ている。建屋まで直線距離30メートル、テレビで見た、あの原発だ。
建屋の周りは外壁で囲んであるので面影はないが、大きく開いた入り口の奥に、あの水色の外壁は見覚えある。

 この原発が、あと5メートル高い位置にあれば・・・原発内で使用していた電源が400ボルトではなく、通常
日本で使われている200ボルトか100ボルトであれば・・・、そして民主党の管総理大臣でなかったら・・・
こんな事にならなかったのではないか・・・残念でならない。どれだけの人々が辛苦を舐めさせられた事か・・・

 1日4000人以上の人が廃炉に向けて作業をしているが、廃炉は30年〜40年先との事だ。何気なく
電気を使っているが、福島県の皆さんに思いを寄せたいと思わざるを得ない。過日、新聞に載っていたが、
政府は汚染水を処理した後に最後まで残った放射性物質トリチュームを含んだ水を貯めているタンクを撤去し
トリチューム水を処分する方針を固めた事が7月11日分かったが、処分と云う事は海への放出しかない。
現在680基、貯蔵量89万5千トンに上り、政府の小委員会において議論されているが原子力規制委員会の
更田豊志委員長は「海洋放出が唯一の方法」として東電に早期実施を迫っているが、海への放出は沿岸の
漁師から始まり、環境破壊を恐れる世界中の国々からブーイングを受ける事にならないか危惧されてならない。

15年間、観光サービス部会の研修旅行に参加しているが、今までで一番重く、辛い研修だった。


  
          武川部会長の会社で運営している太陽光発電所を視察した。       


オーナー Friday, 5/18 21:28

     浜松「ぬくもりの森」 平成30年5月15日 

 連休も終わり一段落、カミさんを連れて浜松「  ぬくもりの森  」へ出掛けた。
「ぬくもりの森」は以前SNSで見つけ、気になっていた施設だ。聞くところによると年間16万人の
観光客が訪れるという。現在、 富士吉田市剣丸尾西土地区画整理組合 の理事長を拝命しており、出来たら
組合事業地にお招き出来ないものだろうか?と考え、視察兼、売り込みも・・・などと考え、出掛けた。







 「誰も見たことのない夢の世界を創りたい」と願い、佐々木茂良氏が創った「ぬくもりの森」。 
レストランドゥスールの窓枠に置かれた小物や、窓見える景色を計算して作られたファンタジーの世界。
水車小屋やギャラリーの配置は実に絵になる。レストランの個室から見える美しい光景から生まれ、今も
ゆったりした時間と共に流れている。木漏れ日の降る中庭は緑に覆われ、ウグイスが鳴く。

 佐々木氏は2016年、施設の完成を見ることなく逝去したが、建物に込めた想いや意思、建築への
こだわりスピリッツは創造力と共に、今も、ぬくもり工房のスタッフに受け継がれている。
  メルヘン感が凄い非日常空間、それが「ぬくもりの森」。









 食事のコースも終盤、コーヒーを飲みながら係りの子に名刺を渡すと、感じ良く対応してくれ
インフォメーションを訪ねるよう案内してくれた。丁度、係りが席を外しているとの事で名刺を渡し
「ぬくもりの森」を後にした。
 駿河湾SAで休んでいるところへ電話が入り、話の向きをさせて頂いた。食指を示して貰えると
良いのだが・・・。

 
 


オーナー Wednesday, 5/9 19:14

    チーム松山「大人の遠足」  平成30年5月6日 



 所属するチーム松山、春のイベント「大人の遠足」は7名の参加で行われた。富士山駅から9時48分発の
上り電車に乗車、下吉田駅に降りたが、各人トーマス電車に興奮しテンションも子供の様に上りっぱなし。
まるで観光客の様にホームでカメラをアチコチに向け撮影会の様相を呈していた。それのそのはず、皆富士山駅
から電車に乗るのは何年・いや何十年振りなのだから・・・。



 下吉田駅で本日歩くルートを開拓した「富士見の会」3名と合流、ガイドをして貰った。挨拶を済ませ、
下吉田駅から新倉浅間神社を目指すと、神社の登り口石段辺りから外人さんに出会う。今日は連休の最終日、
観光客は少ないと踏んでいたが、その考えは簡単に覆させられた。境内を歩き、神社にハイキングの安全を
祈願、咲耶姫様の階段(398段)を登る。途中、右手のカラマツ林から春セミの鳴声が聞こえた。今年は
異常だ、桜の開花も早いがセミの鳴声も2週間は早い気がする。



 階段を100段程登ると、相変わらず運動不足なのだろう、ふくらはぎから大腿の後ろ辺りに乳酸の貯まりが
早い、93キロを持ち上げるエネルギーのカス、乳酸は、そんなとこなのだろう?と考え、ボツボツ休みながら
階段を上る。東屋で休憩だ、後ろを振り向くと青空の下に御山が鎮座し、富士吉田の街並を配している。左上
には綿菓子に似たツルシ雲が浮かんでいる、長閑な情景が目の前に広がる。
 


 少し休み、忠霊塔裏の写真スポットに移動すると、雛段には外人がたむろし絶景を楽しんでいる。我々も
負けずに並び、絶景と共にファインダーに収まった。このオヤジ一行が眼下の街の住人とは誰も気が付かない
事だろう。 良く考えると、毎年10年以上塔裏から撮っていた桜と五重塔の情景を、今年は一度も撮らなかっ
た。こんなふうに観光客が訪れる日を夢見て塔裏からの風景写真を発信して来たので悔いは無く、嬉しいが
実を言うと、やっぱり、少し寂しい気がする。昔は桜の咲くシーズンでも車で塔前駐車場まで来れたのに、
年を拾い、膝が車を要求する時になって、三脚を担いで398の階段を登るのは・・・辛い、などと考える
のは私だけではないだろう。「有名になりやがって・・・!」と、お嘆きのカメラマンさんには、ホント!
申し訳なく思う。

 富士見の会の皆さんに案内されて「アヤメ平」まで上った。丁度今日は、アヤメを保護し見守る地元の
団体「アヤメの会」の奉仕日で、各々手に掃除道具を持った皆さん10名余りとすれ違った。道具を持参して
「アヤメ平」迄、登っての作業、本当に頭が下がります。その甲斐あって6月にはアヤメが綺麗に咲き誇り、
富士とアヤメの共演を観る事が出来るだろう、感謝だ。



 アヤメ平と塔上の東屋の中間地点に「富士見の会」が開拓整備して下さった新ルートの分岐点があった。
コースは幅が50センチ程あり、坂がきつい所は10センチ程の丸太を階段状に並べ足が滑らないにして
あった。コースの両端に生えている木々の下枝も落としてあり、通行に支障は無かった。10分程下った所に
墓石が散らばっている場所があり、墓石には名前も年代も刻まれ明治15年がはっきり読める、隠し墓地?
かも知れない。人里から離れた山中に、そして、折角の墓石が倒れ、傾き、落ち葉に覆われ、参拝の気配さえ
無い。完全に忘れ去られている状態を見て悲しくなり手を合わせた。

 我が松山にも 隠し墓 があるが、毎年、入会組合で墓地の草刈をして線香を焚き、坊さんに経を読んで
貰っているが、こうした隠し墓は、他地域には無いのかと思っていたが、やっぱりあった。流行病で亡くなった
者を村中の墓地に埋葬出来ず、捨てる様に葬り去る場所、隠し墓。出来たら、これを機会に供養して貰えたらと
願ってやまない。  

 どんどん下って行くと、御山の観える場所に丸太のベンチが設置してある、これはハイカーにとって
嬉しい お・も・て・な・し だ。 尾根の先端にある崖を回り込むと、もう直ぐ孝徳公園だ。この場所は
春はサクラと御山、秋は紅葉の撮影ポイントで、カメラマンにとって富士吉田市内の2番人気の場所である。

 などと話をしながら山道を下ると中央道の側道へ出た。中央道のトンネル通路を通り、左折すると葦之池
(よしいけ)温泉だ。こちらの池にある葦を使い小室浅間神社で毎年1月14〜15日に行われており
大釜で粥と葦の筒を入れ、葦の筒に入った粥の量で、その年の方策や富士登山者数を占うもので800年
以上続いていると云う。その葦之池から名前を頂いた「葦池温泉」ひなびた情緒ある温泉だ。早速、入湯料
600円を支払い風呂に入る、天井の太い梁が好印象を残すが、シャワーが無いのがマイナス点だ。 
広間でビールとうどんを頂き反省会、メンバーで考徳公園を知らない方もいてチョットびっくり、情報発信は
し過ぎるくらいするのが丁度良いのかも知れない。デイスカバリー富士吉田、まだまだ知らない事ばかり
「大人の遠足」は楽しかったのだ〜♪ 葦池温泉から葦池温泉駅まで徒歩5分。14時28分発、河口湖行きの
電車に乗車、富士山駅にて「大人の遠足」は終った。



オーナー Sunday, 10/29 18:17

 八友会親睦旅行 ”房総を訪ねる旅”  平成29年10月15日〜16日

      =15日=  行 程 表
 
08:00 満君宅集合出発   中央道から圏央道へ 茅ヶ崎JS

10:00 江の島散策  
   
12:00 久里浜・金谷フェリー

13:00 鋸山ロープウエー
  
14:00 館山海軍航空隊赤山地下壕跡
      
16:00  満ちてくる心の宿 吉夢(きちむ) チェックIN   04-7095-2111

18:30  宴会
       
       =16日=
 
09:30  ホテル チェックOUT 

10:00  誕生寺  
  
10:30  勝浦朝市 

11:30  かつうら海中公園・海中展望塔

13:30  アウトレットパーク木更津

14:30  海ほたる・アクアライン

18:00  富士吉田

 富士吉田市松山地区の幼馴染の会、八友会の旅行で、今回は岡村君と二人で旅行幹事だった。
過っては18名いた仲間が3人亡くなり、3人が会を止めた。毎年、春は平日ゴルフ、秋も1泊泊りの
ゴルフ旅行だったのだが、昨年からゴルフが出来ない方が増えたので、普通の旅行になってしまった。
今回の旅行もドタキャンがあり、寂しいかな12名中9名の参加で実施した。

 天気予報は連日雨の歓迎を受けて、予定は大きく狂ってしまい、江の島散策、鋸山ロープウエー、
かつうら海中公園海中展望塔はパスしてしまった。

 海老名SA 


金谷フェリー乗り場

 旅の中で乗り物を変えると、それだけで旅の雰囲気が変わり、また運転手にも優しいベストな
チョイスだろう。幹事としては皆に楽しんで貰えるよう色々と考えなければいけない。
 天気が悪い割には船は揺れずに進んだ。浦賀水道は日本一の混雑海道だ、中ほどで大型客船と
出会ったが、その船の名前は分からない。船名を調べるべく、ちょっと大型船クルーズを検索したら
船の数の多さや魅力的な商品を見て、船旅をしたくなった。

食事処”栄丸”  

 12時30分、木更津へ着いた。千葉と言えば浜焼きだ、入店すべく港近くにある1軒目に
入ったら1時間30分待ちとの事で諦め、2店目を検索。グーグル先生に”近くにある浜焼きの店”を
訪ねると、進行方向3キロにあった。ナビに電話番号入力してGO! この店も混んでいた。やはり
1時間30分待ちと云う。諦めて道路沿いで見つける事にした。少し走ると入り江の向こう側に黄色い
屋根に”食事処”の文字、近づくと、外見は怪しい雰囲気だが空いている。空腹に負けて入店したが
当たり!刺身の盛り合わせも美味く、ホウボウの煮つけ、キンメの煮つけも美味く、皆大満足で
店を後にした。

館山海軍航空隊赤山地下壕跡

 館山市内自衛隊の近くに地下壕はあった。本格的にヘルメットを着用して入洞する。規模は以前行った
事がある松代大本営後と一緒位だろうか、中は何本ものトンネルが掘られていた。一枚岩を手彫りで
掘ったのだろう無数のノミの跡が先人の苦労を物語っていた。

ホテル吉夢 

 ホテルは誕生寺の前にあった。部屋も食事も皆に及第点を頂き喜んで貰った。コンパさんは
予約時35〜40歳位で場持ちの良い方、とリクエストしたが、顔・体型はともかく、八友会と
しては珍しく1時間の延長をした事で、まあまあ喜んで貰えたと理解した。

誕生寺

 8時30分、ホテルを後にして、前の誕生寺を訪ねた。
日蓮上人が誕生した寺、本堂の欄間が見事、名刹である。その後、勝浦へ回り、日本三大朝市と
言われる勝浦の朝市を訪ねたが、雨と言う事もあり、三店の出店しかなく車で見学通り過ぎるだけ
だった。 

木更津アウトレットモール

 木更津アウトレットモールを訪ねた。雨はたいした事ないが風が強くドアを持って行かれる程だ。
初老のジジイにアウトレットは似合わない30分程見て終了。昼飯だ。

 昨日、魚を食したので、今日は肉。早速、検索10分程の店に入店。1480円のセットを
頼んだが、盛りだくさんの種類が出て、やっと完食。その勢いの無さに八友会のメンバーも
年を取ったもんだと実感した。

海ほたる

 海ほたるに立ち寄った。久し振りだ、4階の土産店で買い忘れた土産を買い込んだ。
1年に一回出掛ける同級生の旅行だが、全員の参加は難しい。また、減る事があっても増える事はない
同級生、健康に気遣いし、また来年、出掛けたいものである。


オーナー Saturday, 10/7 19:38

  小布施1泊旅行 平成29年9月27日〜28日

 ここのところ暇になった。なると決まってカミさんが言い出す、「どこか連れてって・・・!」
先週、NHKの放送で葛飾北斎の番組が流れ、小布施の岩松院にある天井画「鳳凰八方睨み図」を見た。
「これどう!見に行かない?」一声で決まり、宿はネットで調べ26日の晩に予約した。



 8時40分、出発した。途中SA2カ所で休み、12時には小布施に到着、3回目の訪問である。
早速、スマートインターからハイウエーオアシス小布施に入り、土産を買い込んだ。訳ありで明日は
買い物時間が無いからだ。買い物を済ませ、まずは曹洞宗・岩松院へ向かった。




 岩松院は初めての訪問でTVで見るまで知らなかった。寺は山裾の傾斜地に静かに佇んでいるが
TVの影響のせいか、平日にも拘らず訪れる人が多い。

 岩松院HP

 早速、本堂に上がり天井絵を観た。160年以上前に書かれている訳だが、とにかく色彩の発色が
綺麗で驚いた。当時150両の顔料が掛かったらしいが、やはり良いものを使うと違うな。10分
以上天井を眺めていたので首が痛くなった。
 境内には豊臣秀吉の家老であった福島正則廟があったり、小林一茶が寺を訪れ「痩せガエル 負けるな
一茶 ここにあり」とカエル合戦を詠んだ池もあった。昔から小布施は文人墨客を引き寄せる
魅力があった事が忍ばれる。




 小布施の街は、相変わらず平日にも関わらず混んでいた。以前と比べると観光客の中に中国人が
多数含まれているのが様変わりしたところかな。良く修景された街を散策するのは楽しい。街の
ご神木であろうか?中心地にあるメタセコイアの巨木下に延びる栗の小路の歩道には、角材が敷き詰められて
おり、コンクリとは違って足に優しく感じた。歩道脇を清水が流れ、季節の花々が咲き誇り、爺婆心を捉えて
離さない。小布施信用金庫の建物も街並みに同化しており、近づかなければ信金とは分からない。




 高井鴻山記念館へ立ち寄った。
鴻山は15歳から16年間、江戸・京都を遊学し学問や芸術を修めたが、高井家は北信濃の豪農商であり
財政的にゆとりと、また先見性があったので、子息を遊学させたり、葛飾北斎を住み難くなった江戸から
呼び寄せ小布施に住まわせ支援した。鴻山は北斎を師と仰ぎ、北斎は「旦那様」と鴻山を呼び交流が
続いたという。そんな鴻山や北斎の息遣いが今も感じられる街小布施、そこに魅せられ、今も沢山の
人々が訪れるのだろう。




 
湯田中温泉・よろずやへ泊った。
桃山風呂が有名で、庭園風呂の端から風呂の建物を眺めると、まるで神社の様相だ。唐破風の屋根が
乗り豪壮。作られた当初は檜の匂いと無色透明でサラリとした温泉でお客様を癒した事だろう。

 一泊旅行は忙しい!?翌日の13時から所要が入っている事もあり、9時にはホテルを後にした。
毎日忙しく仕事に追われているが、その中で、たとえ一泊でも家を離れ外に出掛ける事はストレスの
解消になるのだろう、帰路、カミさんの顔が満足そうに見えたのは、普段迷惑を掛けている私の
独りよがりなのかも知れない。


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