パインツリー・オーナーの旅行記

この掲示板に、
オーナーの旅行記・・・旅行に出かけたつれづれを書いてみました。
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オーナー Friday, 7/16 20:08

   姪の結婚式で北海道旅行へ  平成22年7月9〜11日

       

 姪の結婚式参列で北海道トマムへ来た。
水の教会と呼ばれる会場で挙式は行われ、神父さんが祈りを始めた。
 目を瞑り、静かに流れるオルガンの音をバックに神父さんの声が響く。
その時、足元を涼やかな風が入って来る、と同時に鳥達の鳴き声が段々と
大きくなって来た、上手に鳥達の声をシンクロさせてるなと思った。

 神父さんの祈りが終わり目を開けると、さっきまで曇っていた空が割れ
陽が射し込んでいる。いつの間にか、前にあったガラスの格子壁が開き
水に浮かんだ十字架が目の前に近づいて見える。鳥たちの歌声は本物だった。
自然を上手に使った演出に驚かされ感動し、二人がこの教会を選んだ理由が
解かる気がした。
 新郎新婦は、さぞかし思い出に残る結婚式になった事だろう。

  ミキちゃんサトル君、ご結婚おめでとう♪♪ 良い挙式だったヨ。

             北海道・トマムリゾートにて

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 上記、写真と文章は、9日夜と10日の早朝に、持って行ったパソコンで
HPにアップした。それを知った妹は、早速、知り合いの所に電話して
「パインツリーのHPに写真が載ってるから見て!」だって・・・そうだ
こんな使い方もあったのだ。ユーストリームを使えば実況まで出来る時代、恐るべし
パソコン、有難やインターネット。


 −−−− 北海道旅行記 −−−−


  十勝帯広空港

 十勝帯広空港に初めて降りた。十勝平野の農地の真ん中にポツンとあり、のんびりと長閑な
感じのする空港だ。空港ロビーには、 ばんえい競馬の馬 のモニュメントが飾ってあり、その
体型や蹄鉄の大きさに驚いた。予約して置いたトヨタレンタカーにてハイエースを借り
縁者9人が乗り込み帯広の街を走り出した。


  花畑牧場

 まずは、生キャラメルで有名な花畑牧場に向かったが、カーナビの調子が変で、通行止めの
道路へ案内された。それでも何とか近くまで行き、ナビの指示通りGマークへ向かって左折すると
目的地周辺の案内が流れるが進行方向は広大な畑が広がり建物は見えない。車中の皆があれじゃない?!
先程真っ直ぐ来た道の先100メートルに綺麗な建物が見える。Uターンして進むと看板が見えて来た
花畑牧場である。このカーナビは信用ならん!ナビ付きのレンタカーを使った旅で、こんな経験は
初めてだ。

 広大な土地に花畑農場はあった。チーズ工房・生キャラメル工場・ショップ・食事処を備え
お花畑や牧場もあった。街興しに貢献する田中義剛氏の健闘を祈らずにはいられない、是非
頑張って貰いたいものだが、旅行中アチコチで花畑牧場の名前を見て、短期間で事業拡大し過ぎた
感があるのが気になるところだ。
  

  十勝名物豚丼”はなとかち”

 次は、雑誌に載っていた豚丼を食べねばと、十勝名物豚丼”はなとかち”を目指した。
Gマークは帯広駅の左側にあり、その場所に到着すると、ナビは「目的地周辺です!」と
いつもは嬉しいはずの声が、どこか空々しく車内に響く。何処だ!無いじゃん!
ナビに電話番号入力すれば問題なく近くに連れて来て貰えるのだが無い・無い、店がない。
 店に電話を入れ、人間電話案内で誘導して貰い、何とか豚丼にありついた。
半バラ豚丼を食したが、どんぶりの上に炒めた豚肉で円を描き、真ん中にバラ肉を載せたものが
半バラ豚丼で、ウナギのタレに似た焼きタレが特徴だろう。
 時計は13時を回ったいる、がっついて食べた。 
  




   トマムリゾート                                         
       
 以前からトマムは、個人的にも訪ねてみたい場所だった。
と云うのは「雲海テラス」に興味があったからだ。5年程前「星野リゾート」が、この施設を買い取り
営業を始め、夏の営業の集客にと云う事でゴンドラの終点駅に雲海テラスと名付け営業を始めたところ
大当たりし、一夏何万人もの客が訪ねるようになったのだと聞き、興味を持っていたのだ。残念な事に
今回は雨でゴンドラが運行せず、行く事が出来なかったのが心残りだ。

         雲海テラス      山中湖




 富士山に向かい写真を撮るようになって気が付いたのだが、富士五湖も標高が高く寒暖の差が激しいので
雲海が湧き易い、特に忍野村・山中湖は多い。当地でも、似たものが出来るのではと考えた。ただの雲海
だけでは無い。湖水の北側斜面から望めば雲海だけではなく、その向こうに側には日本一の富士山が
鎮座しているロケーションがあり、日本一の御山を望むテラスが出来るはずだ・・・。
 
 − 10日 −


 中田農園

 9時、ミキちゃんサトル君に送られトマムタワーを後にした。
道東道から273号線へ入り北上し、富良野→美瑛→旭川→層雲峡へと向かう。
富良野市山部の国道沿いにあった中田農園へ立ち寄り休憩、メロン・モロコシを食べた。
美味しかったので、土産用にメロン五個詰めを買い求め送って貰った。2頭のポニーが
ばんえい競馬の馬の大きさと比べ、小さくて可愛かった。
    

 富田ファーム                                   

 7年前に旅行した時、富良野を走っているのだが、すっかり忘れていた。
土曜日と云う事もあり富田ファームの駐車場は満車状態だった。丁度運良く、係りが満車の看板を
外したので車を滑り込ませた。ファーム内にはラベンダーが咲き誇っている、花は殆ど一緒だが
河口湖のものより色が濃い気がした。途中、美瑛・色彩の丘に立ち寄った。
   

 旭川・ラーメン村

 昼はご当地ものをと云う事で旭川ラーメンに決まりナビに電話番号をセットしたが
端から、もうナビは信用しなくなっていた。13時を過ぎた頃周辺に到着、付近を捜したら
ラーメン村まで100メートル以内で一番近かった。
 13時を回り昼飯時を過ぎているのに満車状態だ、店前に行列の出来ている店まであったが
「一蔵」へ全員が入れた。ネギラーメンの味噌を注文、どんぶり一杯のネギの下から麺を掘り出し
食べたが、スープと麺の相性も良く美味しかった。

 富士吉田はうどんの街「吉田のうどん村」なんて、出来ないものだろうか!?
分かり易い場所・広い駐車場に集合店舗、お客様には喜んで貰えると想うのだが・・・。


 道の駅・とうま

 旭川を走り、道の駅・とうま で休憩した。
ホント!おばちゃんは良く買い物をする(妹達だが)トイレに寄り、帰りは必ずと言って良いほど
手元に何か土産を持って車に乗り込んで来る。とうまは、でんすけスイカの名産地だそうだが
黒光するスイカは、甘く味が濃くて美味しいのだそうだ。金額は高く普通のスイカの倍以上した。
 残念な事に食べなかった。珍しいものは食べ、何でも挑戦する心情を持つ身としては心を残した。



 アイスパビリオン                                   クリオネ 

 川上町の北の森ガーデン・アイスパビリオンに立ち寄った。
建物全体が冷凍庫といった施設で手袋と防寒着を借りて中に入る。中にはマイナス40℃の体験や
水蒸気が凍って出来るダイヤモンドダストなども見られ、コチラを通る際には是非立ち寄り体験して
貰いたい楽しい施設だ。この夏が終われば、山中湖の自然の中、カメラも凍るマイナス15〜17℃の
世界が待っている。鬱陶しい梅雨のせいだろうか?御山に逢えないストレスからなのだろうか?
マイナス温度の冷凍建物に入り、フラッシユバックのように厳冬の山中湖畔へと導かれてしまった。 
 予定から1時間遅れた16時、層雲峡観光ホテルに到着した。


 層雲峡

 ホテルは朝晩バイキングだった。
驚いたのはバイキングに出掛けた時だった、広いホールの8割以上が中国人?で占められていた。
玄関へ行き、中国人専用ホテルの看板が掲げられていないか見たくなった程だ。ハングルは
聞こえない、話には聞いていた中国人パワーを肌で感じた。今、中国の方は、こうして団体旅行を
楽しんでいるが、やがて成熟し個人旅行へと変化して行くのは、過って日本で農協旅行が個人旅行へと
変化をして行ったように、歴史が証明している。60の手習い、ボツボツ広東語を勉強しないと ネ!
 お客様に来て頂ける施設にするには、まずは会話から、バイリンガルの必要性を感じる層雲峡の夜だった。
花嫁の父と、ゆっくりバーで互いの娘を語り、飲みたいと思っていたが、部屋に戻り引いてある布団の
誘惑に負け、寝てしまった。 
 
   − 11日 −


 273号線ルート            大雪山   

 ホテルの従業員に送られホテルを後にした。
国道273号線、大雪湖から糖平湖を走り帯広へと南下するルートだ。銀河の滝・流星の滝へ
立ち寄る予定だったが、長い大雪トンネルへ入ってしまい、そのままパスしてしまった。このパスが
後々で利いて来るのだ・・・大函(オーバコ)の石柱壁を見学して車は南下した。

 ガソリンのゲージが半分以下に減っているが気にする事もなく、展望台では止まり景色を
楽しみつつ車を走らせた。三国山を越えた辺りからガソリン計を気にするようになり、下りは
ニュートラル走行でエンジンを1000回転に押さえ、省エネ運転に心がけた。いよいよ
ランプが点灯し、目盛りが1つになった。糖平湖を超えたあたりで道路公団の黄色い車を発見
次のスタンドまでの距離を尋ねると、連れに聞き「34キロだっぺ!」さてさて困った、ガスが
持つだろうか? 幸いな事に道路は殆ど下りだった、省エネ運転を繰り返し周りの景色は目に
入っていない、進行方向とゲージだけを見つめる、何ともスリリングなドライブになってしまった。

 北海道はでっかいど〜!ガソリンスタンドもないど〜!悔し紛れに、心の中で叫んだ!

 山から下りて平野になり、牧場が見えた時は嬉しかった、ガソリンゲージは0を示している。
上士幌町の町が見えて来た、ガソリンスタンドは何処に!あったー!エネオスの看板から
後光が発して見える気がした。ガソリンは58リッター給油、ほっとした。
 運転手がこんな気分でいたる事を知ってか?知らずか?関係なく、おばちゃんは、何に使うか
分らぬ竹ザルを買っていた。

 「備えよ常に!」北海道を走る方は、どうぞ、ガソリンは満タンを心掛けるべし!
 層雲峡から上士幌町まで110キロ間にガソリンスタンドは、ありまシェ〜〜〜ン!

  
 帯広市内・食事処ときわ

 道内最後の昼食は海鮮で・・・と云う訳で、ネットで「ときわ」を探し出し、ナビに
セットし向かった。案の定と云うか、やっぱりと云うべきか、最後の最後は1,5キロ離れた
場所に案内された。またもや店に電話し案内して貰った。海鮮は夜メニューで、一般的なランチでの
食事会になってしまったが、ガソリン事件を考えれば最高の食卓だ。その後、車をレンタカーに返却し
空港まで送って貰い、予定通り19時に帰還した。
 翌日、予約した地元トヨタレンタカーにナビの件を進言、改善して貰えるよう話した事は云うまでもない。

 色々あっった。大きいアクシデントは不要だが、旅は小さいアクシデントがあった方が楽しいし
想い出に残る。そして、何より全員が予定通り無事に帰れる事が、旅を最高の旅にしてくれる。

 今回は結婚式参列旅行だったが、さてさて次は何処へ行こうかな・・っと。 


オーナー Thursday, 7/15 07:50

   第24回 富士吉田市商工会議所観光サービス部会
              先進地視察研修旅行


                           長野県小布施町 平成22年6月23日〜24日
   =23日=


 道の駅”オアシスおぶせ”
 
 定刻の8時、一行14名を乗せたバスは会議所を出発、向かうは長野県小布施町だ。
中央道御坂ICから中央道に乗り北上、長野自動車道を通り上信越自動車道小布施スマート
インターで降りるルート。小淵沢パーキングエリアで一度休憩をとり、11時45分に
小布施町に着いた。スマートインターには駐車が併設され、道の駅”オアシスおぶせ”にて
昼食をとった。
 名物の栗おこわが美味しかった。
この道の駅は噴水広場・遊具広場・芝生広場野外ステージ・全天候テニスコート・陸上専用で
表面は全天候型のフルウレタンコース・マレットゴルフ場・ドッグラン広場、そしてミュージアム
まで併設しており、緑溢れるこの場所は町民の憩いの場所になっている事が伺い知れた。
 我が富士吉田市にも”道の駅”があり、○(富士山アリーナ・富士山ビール・レーダードーム館)
◎(郷土博物館・鐘山の滝・散策公園)まであるが、◎に付いては動線が悪く生かしきれていないのが
現状だ。 


 小布施町役場

 役場に早く到着してしまい、市村町長を20分程待った。
役場は図書館も併設されていた。スペースがあれば、こうした考え方は有効だと思う。
子供から老人まで遊びに来れる役所、お固いイメージを払拭するには必要だろう。

 市村町長現る。挨拶もソコソコに、町長は1時間半に渡り、小布施町に対する思いを
静かではあるが熱い語りで話してくれた。高山鴻山を初めとする先祖に先見の明があった事。
街の周囲に農地があり明治時代後半丹波笹山から栗を導入し、栗がこの地に合った事。
葛飾北斎を招聘し、沢山の自書が残っていた事、小布施は5x4キロの小さい町だった事。
30年以上前から街並み修景事業に取り組み成功した事。また、近年ではヨーロッパへ
ガーデニング研修旅行を10年に渡り実施し、凡そ200人以上参加して、今では
110軒の一般家庭でオープンガーデンを創り、観光客と交流をしている。
 一番学んだ事は、行政と住民が協働、すなわちパートナーシップを結び、共に
まちづくりに取り組んで来た事だ。行政の姿勢が頼もしく感じるし、小布施町の民度の高さを
感じた。
 アッチ派・コッチ派で60年、たえず片肺行政で来た富士吉田市に未来はあるだろうか・・・。 


 北斎館                  落ち着いた雰囲気を醸す街並み

 次に場所を北斎館に移し、館長でもある前町長唐沢氏のお話を聞いた。
平成元年に町長に就任以来卓越したリーダーシップで職員・町民をリードし、観光客ゼロの
街から、年間120万人が訪れる街にした方だ。官と民がアイデアを出し合い一体となり
整備を進めた修景事業、北斎館を中心に12の文化施設を含めた町全体を美術館にした構想を
具現化し「外はみんなのもの、内は自分のもの」をテーマに、街づくりを進めて来た。
 住民の自由な発想を支援しサポートする事が行政の役割と考え「汗出せ、すぐ出せ、知恵を
出せ」をキーワードに、成果が上がったら住民たちの成果だと感じる仕掛けを作り出した事が
大変素晴らしかった。
 町づくりは地域の活力であり、住民の参加と行動の連続、ふるさとは自分たちで作り
守って行き、住民の絆でつくり上げられて行く。ふるさとを大切にする心を養う「小布施教育」を
より尊重して来た事が、今日の小布施の繁栄に繋がっている。

 3年振りの小布施。電線も無く整然とした街並み、路面から看板、店のしつらい
隅々まで気配りがいきとどいた街、1軒1軒店を街を、ゆっくりと訪ねたかったが時間が押し
街を散策する時間が無かった事が悔やまれた。また機会を見つけ出掛ける事にしよう。

 やっぱり、良い街には良きリーダーがいた。


 渋温泉                                        外湯巡り一番初湯 古久家   

 予定より30分遅れた18時、渋温泉駐車場に到着した。
横湯川の脇で山裾に長く伸びた湯治場の雰囲気を醸し、狭い道路を挟んだ建物から
湯気が立ち昇っていた。中には木造3階建て宮造りの金具屋があり「千と千尋の神隠し」の
モデルになったと看板が立っていた。我々は、その前にある古久屋へ泊まった。
 勿論!お湯は源泉掛け流しの本物だ、迷路のような通路1階には、湧き出した源泉を
見る事が出来る窓がはめ込まれ、ライトUPされた足下を、滾々とお湯が岩肌を流れていた。
 鍵の付いた板プレートを持って外湯めぐりも楽しめたり、駐車場の脇にある公園では
蛍の乱舞も見られたという、折角、近くまで散歩しに行ったのに手前で帰って来たのが悔やまれた。

   =24日=
   

  松代町象山 大本営跡  

 9時、渋温泉を後にし松代町の大本営地下壕へ向かった。
終戦間近に、皇居を移す事を本気に考えた大本営は岩盤が固いのを選考基準として、この地を
選び、朝鮮人7000〜8000人を拉致しトンネル工事に当らせ、ほぼ完成させたものだ。
 拉致は北朝鮮だけのものではなく、戦時中日本もやっていたのだ。

 第二次世界大戦末期、ソ連軍に拿捕されシベリヤの強制収容所へ送られた日本人は60万人とも
いわれている。1945年から1956年にかけて、抑留者47万人の日本への帰国事業が行われたが
1945年から1949年までの4年間だけで、ソ連内での日本人捕虜の死亡者は6万といわれている。
父親も抑留者で1949年に帰国した。

 ドイツ人拿捕者も終戦時、約三百五十万人、うち百十万人がソ連内で死亡した。
辞書を調べると拉致は無理やりに連れて行く事とあり、抑留は一定の場所にとどめて置く事とある
拿捕し抑留も、拉致し抑留も、人間を捕まえ自由を奪い、強制労働する事に変わりない。戦時の
狂気と言ってしまえばそれまでだが、有史以来世界のどこかで今も続く戦争、人間とは何と
おぞましい生き物であろうか。
               

 山寺常山邸

 駐車場へバスを止め、大本営跡まで新しく舗装された道路を歩いたが、路面は平らで
色付けられた歩道が歩き易かった。道路脇には歴史的建造物として復元された山寺常山邸があり
松代の武家屋敷庭園の特徴を基調とし、散策や学習ができる庭園として整備されていた。 


 旧樋口家住宅

 その後、真田家の宝物館へ立ち寄ったが、タイミングが悪く燻蒸作業中でお休み、入館
出来なかった。裏の庭園を見たり、文武学校を見学した。松代は真田氏と佐久間象山が
有名だ。真田氏は智略を尽くし戦国時代を駆け、象山は幕末を精一杯生きた松代の英雄だ。
そんな思いを残す文武学校が今も使われており、丁度、居合いの稽古を終え帰路につく
2人の老士と行き会ったが、眼光鋭い一閃が印象に残った。


 松代藩 文武学校


 信州そば蔵長野店



 曹洞宗 安楽寺

 信州の鎌倉と呼ばれる安楽寺・北向観音へ向かった。
梅雨の晴れ間を狙うような暑い日差しの中、額に汗して坂道を登った。まずは安楽寺へ
杉木立の中に入ると、ヒンヤリとした風が心地良く後退したおでこを流れて行く。緑に包まれ
奥へ行くに従い静寂な時が流れる、良い感じのお寺様だ。
 国宝八角三重塔の様式は珍しく、日本の古来からある塔とは見た目も違っておりインドの
スツーパを起源としているのだそうだ。屋根も瓦葺ではなく桧の皮を使っているものと思われ
苔生した感じが、周囲の景観とマッチして落ち着いた雰囲気を醸していた。

  
 北向観音

 次に、北向観音へ向かった。本尊は千手観音菩薩。御堂が北に向いていることから通称
北向観音と呼ばれる。御本堂が北に向いてるのは、観音様の「北斗星が世界の、よりどころと
なるよう我も又一切民衆のよりどころとなって済度をなさん」という、お告げによるものだそうです。
善光寺と向き合っているので、「裏善光寺」とも呼ばれ、南向の長野の善光寺に詣り「未来往生来世の
利益」を 願い、北向観音に詣り「現世の利益」を祈願します。「片方だけでは片詣り」になると
されています。(HPから)
 お寺の右手には巨大な桂の木があり、川口松太郎の名作”愛染カツラ”を生み出すヒントに
なったとも云われている。その右手の崖には温泉薬師信仰から薬師如来を祀る瑠璃殿があり
崖に寄り添い下から上に伸びた支柱柱が印象的で、何ゆえ伽藍を高い場所に置くのか疑問を残した。

 鄙びた温泉街だが湯質が違い、湯量豊富な源泉を持つ渋温泉や、信州の鎌倉と呼ばれる
安楽寺周辺、いち早くまちづくりのウエーブを起こし大成功した小布施町、長野県は山また山の
広大な県で中山間地域も多いが、その懐も深く、奥行きの深かさ、また豊かさを感じずには
いられなかった。

 東京から90分、富士山・富士五湖もありロケーションもアクセスも恵まれた富士吉田市だが
街は泣いている。街は人が集まるから街になる、虫歯のようにシャッターを下ろし、点々と
欠けた商店街。人が集まる仕掛けを創らなければ・・・仕事を創り喜んで働ける場所がなければ・・・
懐が豊かでないと笑顔が生まれない。その為には何をすれば良いか・・・悩みは尽きない。


オーナー Monday, 5/24 18:53

  ・・・・・・・・パインツリー研修旅行・・・・・・・・・・・・

               韓国・ソウルを訪ねる旅   平成22年4月21日〜23日    

 従業員のおばちゃん達が韓流の流れに乗ってしまい、話が盛り上がり、等々
韓国へ旅行する事になってしまった。余りアジアは好きではないので、今まで
行った事がない。当初は羽田経由金浦空港の予定だったが、話が進む内に
羽田便が取れずに成田空港→仁川空港便になってしまった。羽田空港まで送迎を
すれば良いやとタカをくくり、韓国へ行く積もりは無かったが、成田空港まで
送るんだったら、エイ!一緒に旅行に出掛けてしまえ!てな乗りで韓国旅行は
おじん1人・おばちゃん7人・姪っ娘1人の計9名での出発と、あいなったのだ。 


  初めてジェットから撮れた富士山・河口湖も見える      仁川空港    

 まだ暗い早朝、5時集合出発した。
途中1回トイレ休憩を入れ、7時10分成田空港近くの光パーキングへ到着し空港へ
送って貰った。久し振りの成田空港、人間ウオッチングしているだけで1日いられそうな
空間だ、行き交う人それぞれが旅の目的を持ち、街中で観る人々と目の輝きまで違う
そんな気までして来る。チェックインを済ませ出発時間迄、食事やショッピングで
時間を潰した。
 
 10時、快晴の成田空港を離陸した。
水平飛行に入ったところで乗務員に、搭乗機は富士山のどちら側を飛行するのか尋ねると
右側と教えてくれた。後部に空席があったので座席移動の旨をお願いすると、幸いにも
窓際が空いており、そこへ陣取った。一息入れ、何処へ行っても富士山から離れられない
自分に苦笑した。何回も飛行機に乗っているが、今までシャッターチャンスが無かったが
今回は狙えそうだ、雲間から見える建物が減り、青黒い山々の間に相模川がうねっている。
 その向こうに「見えた!」御山が翼の下に見えた。
ルートも良い。近過ぎず離れ過ぎず、機体は御山の右側を飛んでいる。「いいわ〜!最高!」
河口湖まで確認出来るコンデションだ、夢中で撮った。旅の初っ端に念願成就、この
写真が撮れただけで、落下傘を着け飛び降りても良い、そんな気にまでテンションが昇る
フライトだった。
 
           
    国会議事堂   免税店前  徳寿宮前(トクスグン)  ソオル市庁舎前 

 12時30分 駐機している飛行機が小さく見える程広大な仁川空港に降りた。
出入国審査審査を受け「アニョハセヨ!」と、係官に挨拶したが頷くだけだった。
挨拶すると、南の国の出入国審査官はスマイルを返してくれるが、日本も韓国も愛想が
悪いのは国民性だろうか・・・。
 
 13時 迎えのJTBのバスに乗った。
ガイドは女性でキムさん、一通り注意事項やら観光案内をしているうち、14時30分
一行は宿泊先のコリアナホテルに到着しチェックインした。部屋のカーテンを開けると
目の前の建物は証券取引所で、左右の建物にはテレビの大型モニターが映像を映していた。

 一息する間もなく、近くの免税店へ直行だ。
その後、ソウル市庁舎前広場を通る、この場所は2002年日韓共同で行われたワールドカップの際
紅いTシャツで埋め尽くされた場所で、庁舎の壁のデザインは近づいて見ると1枚づつの写真を
張り合わせたもので構成されていた。ロッテホテルの前を歩き、一行はコスメ通りを目指した。
目的は一つ、お買い物。
 
 建物前に何やら行列が出来ている、興味津々のぞいてみるとナンタの劇場があった。
情報誌にはナンタの劇場はミョンドン郊外にあり、今回の行程には入れてなかったが、後で
最近出来たものと判った。路上で観るか観ないか協議し、19時劇場前集合に決め、一行は
雑踏の中へ消えて行った、勿論、目的はお買物だ。17時開演、滑り込みでセーフ。1人
60万ウオン、そこしか空いていなかったビップ席で家内と二人ナンタ(乱打)を観た。
 結婚披露宴の料理を創る厨房での出来事と云う設定で、面白可笑しく厨房内の器具を
りズミックに乱打し、野菜が舞った1時間半、一度はお薦めの舞台だ。


    オデガム食堂(海鮮料理店)
 
 舞台が終わり外に出ると小雨が降っていた。
屋台で透明傘を買い、海鮮料理のオデガム食堂へ皆と合流し向かった。
透明なスープに野菜やカニ、貝やアンコウなどの具を入れ煮て食べる海鮮鍋は
不味いはずない。また生タコのサシミも注文しコチュジャンを付けて食べると
口の中でモニョモニョ、ワー!キャー!言いながら食べるのが楽しく、お腹も旅情も大満足。
ホテルへの帰路、街を観ながら徒歩で帰る30分。長い一日と重くなった体に、心地よい旅の
疲労感が増し、ホテルへ帰ると即ベッドイン!22時にはグッスリと眠ってしまった。
 

    コリアナホテル 3F 栄レストラン   ホテル前証券取引所

 8時ロビーに集合した。
朝食はホテル3Fの榮だ。あわび粥セット2、7万ウオン ホテルの食事は何処の国でも
高いが、あわび粥は初めての味で美味しかった。



    昌徳宮(チャンドックン)世界遺産

 22日は、ネットのソウルナビで予約し、1日バスをチャーターしてソウル市内を回る事に
しており、9時前にホテル前にバスは来ていた。嬉しい勘違いがあった。バスの運転手が
ガイドを兼任していると思ったら、ガイド(パク)さんが別に添乗していた。バスと運転手込で
26万ウオンで10時間の貸し切りだ、これは絶対に安い、お薦めだ。
  
 まずは世界遺産登録の昌徳宮(チャンドックン)へ行った。 
1997年にユネスコ世界文化遺産にも登録された宮殿で、1405年、正宮である景福宮の
離宮として建造された宮殿で、約270年に渡って李氏朝鮮王朝の政務が行われた王の御所。
建物や自然の維持管理が行き届いており、山の斜面を利用し豊かな自然をそのまま生かして
造った美しい庭園が見事だ。中でも粛宗が創ったという愛蓮池と呼ばれる池には「私が蓮の
花を愛するのは汚い所にあっても清く美しい強さを秘めながら、世俗に染まらない君子の
姿と似ているからだ」という行が心に残った。好きな韓流ドラマ、チャングムの誓いの
1シーンみたいに、今にもチャングムが笑顔で建物の裏から駆け寄ってきそうな気がした。
 この場所は、時間を掛けて裏山までユックリと回って欲しい場所だ。



    景福宮(キョンボツクン)衛兵の交代式 


 次に、11時から行われる衛兵の交代式を観に景福宮へ行った。
衛兵が実にカラフル、赤青黄色の原色を使い綺麗が第一印象、若い男子の隊列に
我が一行中の小佐野さんは、終始笑顔・笑顔であった。


  青瓦台・大統領官邸

 11時40分、青瓦台・大統領官邸へ着いた。
よくテレビに出て来る青い瓦が印象的な建物、近づく事が出来ないので、近くの広場で
記念撮影だけ撮った。只のおしゃれなサイクリストかと思ったら、ポリスとタグが付いており
警察官だった。広い場所の警護には、こんな取り組みも自然態で良いと思う。


      明洞餃子店     コスメ通り
 
 昼食は明洞(ミョンドン)市内にある明洞餃子店へ入った。
店は人で溢れ、15人以上並んでいるが回転が速く、10分程待っただけで席に座れた。
餃子と云うより、小籠包で肉の包み蒸しだ。ラーメンに似たカルグッスは時間煮込んだ
鶏ベースのスープで自家製麺を使い、鶏ミンチ、ワンタンが乗ってかなりのボリュームだ。
前に座った計子ちゃんは、食べても食べても減らず、結局食べ切れず半分残してしまった。


     南大門市場

 13時、南大門市場に降りた。
平日の午後ではあるが、かなりの人出があり、歩いていると、あちこちの出店から
声が掛かる。人の良さそうなおっちゃんの所で足を止め、韓国海苔を1,5万ウオンで
で12ケ入りを2つ買ったが、その後行ったロッテマーケットの方が8千ウオンで
安かった。品物の違いは判らないが、商品は値段が付いている方が良い。
 通りから一歩入った幅1メートル弱の通路に、行列の出来る食堂があったり
色んなものを売っていた。次回来るような事があったら表ではなく、こう云う通路を
巡ってみたい。 



     南山韓屋村(ナムサンゴル・ハノク・マウル)    

 15時、南山韓屋村へ入った。
ここは古い建物を移築し、昔の生活の様子を見学出来るようになっている施設で
地元の小学生が遠足で訪れていた。家の下に釜戸があり、そこで火を焚くオンドルを
初めて見た。部屋内は暖気が逃げないよう、しっかり紙で目張りされていた。

        
  ロッテマーケット    ドウータマーケット

 16時 ロッテマーケットへ降りる、またまた買い物だ。
その間、暫しバスの中で眠った。おばちゃんパワーに、とても付いていけない。
30程休み、若者のファッションの聖地ドウータマーケットへ、中は、おしゃれな造りに
なっており、おじさんは付いていけない空間である。さっさと店外へ出て、出店で買った
イカに熱を加え伸ばしたノシイカが美味しかった。 
 


      ソオルタワー

 18時、夕方から暗くなる時間帯を狙ってソウルタワーに向かった。
丁度満開に咲く、桜並木の山道を上ると、黄色のレンギョウと桜のピンク色が
実に綺麗だ。駐車場にバスを止め、急坂を10分登るとタワーの下に着いた。
チケットを買い、一気に展望台までエレベーターで昇ると眼下に漢江がうねっている。
足元の山をピンクの帯が飾っている。展望台をグルッと一周すると360度の展望が
広がる。思い思いに夕暮れを待った。展望台で特筆すべきはトイレだ、写真の通り
小便器の回りが透明ガラスになっており、高所恐怖症の方は、まず、用を足す事は
出来ないだろう。また、7センチ角のタイルにコメントを書き、壁に貼り付ける
記念のモニュメントも興味深く面白かった。
 暗くなると街灯り、車のランプが連なり、まさに宝石箱をひっくり返した様で
ソオルタワーからの眺めは、是非観て貰いたいポイントだ。 


       ノビチプ焼肉店

 19時30分、バスでコスメ通り近くまで送って貰い、予約したノビチブ焼肉店へ
入店した。かの鳩山氏も来店した事があり、他のテレビで見る顔も玄関脇の
写真マネキとなっている。「こんな店には来とう無かった!」が、ガイドのパクさんとの
話の中で、こんなふうになってしまった、反省である。
 リブロースの巻いて出て来るヤツが美味しかったし、チジミもフワフワして美味しかった。
帰り際、店にお支払いした金額は、2日間バスをチャーターしてもあり余る程の金額だった。
高ければ旨いは当たり前、安くて旨いお店を探さなくては・・・ネットハードユーザーの
名がすたるってもんだ(反省)

 21時、店の前で解散した。
どうやら、おばちゃん達は、まだまだ買い物タイムが欲しい様で、コスメ通りの人込みの
中に消えて行った。最後にホテルへ帰った人は10時30分を回っていたらしい。
 
 そのままタクシーで家内とホテルへ帰ったが、遊び足りず一人散歩に出掛けた。
ライトUPした清渓川(チョンゲジョン)を見ようとホテルから出ると、早速ポン引きが
やって来た。「良い娘いますよ・・・」危ない・遊ない!丁重にお断りして地下道へ降りた。
信号近くだったので、まだ多少、人が行き交っている。清渓川の端から橋まで歩きUタ〜ン
して来た。川の傍にはカップルが多く、一人で歩いても絵にならない。

 帰り道は証券取引所近くの地下道を利用する事にした。
下って行って驚いたというか、納得した。やっぱりソウルにも浮浪者がいた。寝ているもの
2〜3人で車座になり酒を酌み交わしているもの、かなりの数で足早に通り抜けたが
チョット怖い体験だった。
 ホテルの玄関向こう側では、まだポン引き殿が客を拾っていた。

 23時、テレビを見ながら1杯、シーバスのオンザロックを飲むと、直ぐに
夢の中へと連れて行ってくれた。 
 

 ベストウエスタン・ニューソオルホテル2F 松竹粥店

 8時、ロビーに集合した。
今朝は、近くのベストウエスタンH で朝粥だ。地下道を抜けると直ぐ近くにあった。
1万ウオンのアワビ粥を食べたが、残念な事に、ひとかけらのアワビも入っていなかった。
決して不味くはないが、昨日食べたアワビ粥には小さなサイコロ状のかけらが何個も
入っていた、やっぱ、料金の差は・・・この様に判り易くないといけない。


       清渓川(チョンゲジョン)             季将軍像・奥青瓦台  コリアナホテル前

 食事の後、ベストウエスタンから清渓川を散歩を兼ね、見に行った。日中の清渓川は
昨夜と一変し、人口河川そのままだった。未来型?人口河川だろうか?日本人には
こんな河川を創る感性の人間はいないと思うし、また、いて欲しくないと思った。
日本人はDNAの中に深く、自然を大切にする事を刻んで来た民族なのだから。


 仁川国際空港高速道路  空港        3F フードコート

 10時、キムさんが迎えに来て、バスに乗り込んだ。
「楽しかったですか〜?」「ハ〜イ!」おばちゃん達は明るく答える。
到着した時軽かった旅行カバンはズシンと重く、バスに乗せるにも腰を入れないと
持ち上げられない程だった。想い出とお土産を満載したバスは一路、仁川空港へと
向かった。


         4Fターミナル         翼の上に月

 11時30分 空港へ到着。
カバンを預け昼食を取る事にしたが、フードコートが広かったり、食べるものが
無かったりで行ったり来たりし、結局、最初の場所に戻り注文となったが、注文した
石焼ビビンバが焼きが足りずに温いビビンバ。本場でこんな不味いビビンバとは・・・
最後に焦げが着かずに落ちが付いた。
 食後も、おばちゃん達はフライト時間までお買い物、凄いわ♪

 14時30分離陸し、1時間半のフライトで16時には成田空港に着陸した。
税関を通り抜け光パーキングに電話すると、パインツリー号を配車してくれた。
積み替える手間が無いので、このシステムは助かる。

 19時30分 車は大した混雑も無い首都を通り抜け、パインツリー庭内へ帰った。
近所の中華料理店「蓮」で打ち上げをし、皆全員が無事帰った事を祝い解散したが
 今回の旅行で、一つ残念だった事がある。
それは、携帯が使えなかった事だ。直前の1週間前にドコモのエクスペリアに買い替え
持って行ったが、カメラだけしか使えず、まさに3日間、情報の島流しにあった感じだ。
携帯を持ち始めてから今日まで、3日間も携帯が使えなかった事など今まで無い。
 もし良かったら3日間携帯の電源を切ってみたら・・・恐らく手元にあれば直ぐにも
電源を戻す事だろう。自分が携帯依存症になっている事に気付くだろう。
 
 買った時に、ソウルへ持って行くのでローミングは必要無いかと尋ねると、そのまま
使えますとの事だった・・・のにである。「DOCOMOのばかやろー!」と心の中で
叫んでみたがしょうがない。帰って来てからドコモに行って尋ねると「そんな筈は無い
そのまま繋がります。」だって、どなたかエクスペリアをお持ちの方、ソウルから繋がるか?
繋がらないか?是非、教えて欲しいものだ。

 ムクゲの花五つ星のコリアナホテルのバスルームには、日本のコンセントがあった。
空港で2種類のコンセントSE型とC型を買ったが、こちらも両方使えるので買う必要は
無い。また、メールを打とうとホテルのビジネスPCを有料で借りて使ったが、こちらも
メールを送る事が出来ずに、目にあった。ついでに、繋がりもしないのに半額料金を取られ
踏んだり蹴ったりだった。
 これも旅行に花を添えたと、無理やり納得させる、ソウル旅行であった、おしまい。

       

オーナー Thursday, 3/25 16:44

  ・・・・・・・・八友会伊勢旅行・・・・・・・・・・・・
                    平成22年3月7日〜8日                  
  
 今まで無事生きて来られ、還暦を迎える事が出来た事に感謝すると共に
これからの安泰を伊勢の神々にお願いする為に、地区同級生夫婦27名で出掛けた。
バスは運転しながら、その地の歴史を語る新倉レンタカー名物社長渡辺氏の運転する
サロンバスだ。
            

 早朝の5時出発。小父さん達のバス旅行は、良く飲むので各サービスエリア毎に
トイレ休憩を挟み、やっとの事、6時間で伊勢に到着した。てこね茶屋で昼食を取り
内宮へ向かった。宇治橋の欄干前にて夫婦で記念撮影をしたが、それぞれの夫婦が
ファインダーの中で良い味を醸している。やっぱり写真は嘘をつかない、見た目と
写真は違うのだ、人生60年、髪の毛が抜けるもの、白髪頭、顔に刻まれた皺
メタボで崩れた肉体、それぞれが培って来た歴史を刻み込んでいるのを、カメラは
容赦なく映し出し、驚いた。

       
    

 小雨舞う内宮は沢山のお参り客で溢れ、行列は途切れる事無く内宮殿まで続く
日曜日だからなのだろう、凄い人出だ。神官に案内され一つ内側まで入り参拝した。
 その後、おはらい町を散策したが昼時でもあり、店内は元より道路まで賑わいを
みせていた。おかげ横丁のおかげ座へ入った。ここでは伊勢参りを映画やCGを使い
分かり易く説明してくれ、昔の街並みを再現してあり、楽しく勉強出来た。
 
              


 伊勢では街道沿いに御師(おんし)町を形成し、参詣者を案内し、参拝・宿泊などの
世話をして来たが、我が富士吉田市の上吉田では、御師(おし)と呼び、富士山へ
登る富士講の方々の世話を、古くは鎌倉時代か室町時代初期からして来た歴史があり
伊勢が近しく感じられた。唯々残念なのは、伊勢には沢山のお客様が訪れるが
上吉田にはお客様がいない現実があることだ。

 15時には伊勢市内の 伊勢国際観光ホテル へチェックインした。
このホテルを選んだのは、メンバーから夫婦二人同室で良い旨の了承を得たので
市内の、ど真ん中にした。朝食付きで1人5650円。海辺のリゾートでは、こうは
いかない。宴会はホテルから100メートル程離れた宴会屋”八百正”飲み放題
状態で一人5000円掛からなかった。ついでに、熟年女中の仲居さんがダンスや
カラオケで場を盛り上げてくれ、これは計算外で楽しく、大いに盛り上がった。

           

 20時に中締め、二次会は近くの”スナック花”2時間の貸切で一人2600円。
カラオケ歌い放題。そして解散、各部屋と帰るが、三次会、四次会まで伊勢の夜を
楽しむものもいた。

 朝食は期待していなっかったがバイキング方式で結構美味しかった。
予定通り8時出発、バス運転手の奨める真珠屋、お土産へ立ち寄ったが、思ったより
時間が掛かってしまい、二見ヶ浦を訪ねる事が出来なかったのが残念だった。

                

 9時30分、車の止まっていない広大な駐車場へバスを止め 伊勢ちょんまげワールド へ
入場した。水族館も遊園地も真珠島もメンバーは訪ねており、ここだけは誰も来て
いなかったので選んだ。ウエブの口コミ情報をみたら閑散としており、皆から叱責を
貰うのを覚悟していた。欣ちゃんプロデユースの劇に魅力を感じて選んだので、10時に
開演する山田奉行所に間に合って良かった。





 山田奉行所は、お代官様の前で繰り広げられる船頭と乗客のコントだったが、船頭役の
藤本君(HPから)が目力があり、声も良く場内に響き良かった。一通りコントが終わり
メンバーの中から堀川君が代官役に選ばれ、ちょん髷とカミシモを付けてふん装したが
中々似合い、他のお客様からも沢山の拍手を頂いた。役者を相手に上手に遊ばれ、転がされ
場内は爆笑の渦、さすが欣ちゃんプロデユースと膝を叩いて奉行所を後にした。

 劇をメインに行動した。11時からは笑え亭だ、その間に、からくり迷路や妖怪屋敷を
回った。笑い亭では戦国時代の侍と家来のコントだったが、今一で、もっと笑いて〜!
と思った。笑い亭から出て、エスカレーターに乗り、駕篭型バスに乗り換え安土城へ向かった。
結構場内は広いのだ。安土城は鉄骨コンクリート製だが、遠方から見ると結構威風堂々と
しており、本格的な城が無い山梨県人としては、レプリカでもチョッピリ羨ましくもある。 
 城内の見ものに大したものはないが、眼下に広がる展望は本物、天気が良かったので
伊勢湾から知多半島まで見えた。

 12時開演の大忍者劇場へ入った。
忍者ものの劇であったがシリアスで、余り面白くなかった。お客様を呼ぶには、もう一つ
工夫が必要だろう。団体料金で入場したので1人3300円、ま、こんなところだろうか。
大いに楽しんだので料金が高いとは思わないが、一般客で入場すると3900円は高いかも
知れない。昨日歩いた内宮と、おはらい街の人で溢れるギャップが、我が富士吉田市と似て
年間市内を通過する人口は1500万〜2000万もいるのに市内を訪問する方は・・・。
 ちょんまげワールドと悩みは一緒の富士吉田市だ。

              

 チョット遅れた昼食は、松坂市内の焼肉「一升びん」を予定していた。
一般道を50分程バスは走り13時20分に宮町店に到着した。ラストオーダーは14時だ。
慌てて生ビールを注文、頼んでおいた肉を焼き始めた。この店を選んだのは珍しい回転焼肉が
あるからだったが、残念な事に回転するのは夕方で、昼は回らないのだ、調査ミスだった。
 しかしながら、安価で旨い!さすがだ。久し振りに旨い焼肉を食した。飲んで食べて
1人3600円お薦めの店、近くにあったら常連客になる事間違いなし。

 帰りのバスは静かだ、腹も一杯になり皆暴睡である。あれほど止まったサービスエリアも
富士川IC〜松坂IC間で一度トイレ休憩しただけだった。富士吉田へ到着後、夕食予定
だったが、帰りが遅くなるのを理由に、到着と同時に解散する事に車内で決まり、富士川
サービスエリアで、各自が自販機で食券を買い求め夕食をとった。幹事は1回楽出来たのだ。
20時、富士吉田に到着した。皆、何事も無く帰る事が出来て良かった。

 17人いた仲間も、現在14人。2人亡くなり、1人は消息不明だ。今から絶対に増える
事はなく、間違いなく減って行くだけだの町内の幼馴染み。これからも仲良くして、沢山の
想い出を作りたいものである。



オーナー Wednesday, 3/10 09:34

     四国を訪ねる旅
             平成21年11月4日〜6日   

 前日、森ちゃんに電話して集合出発を5時半から5時に早めた。
この5時が後で効いて来るのだった。

  -------------- 4日 -----------------

 4日、定時に出発した。中央高速は祭日の後だからなのか、多少混んではいたが停滞する程では
なかった。首都高、芝公園辺りへ来た時、森ちゃんが「ガソリンランプが点いてるヨ!」
「ホントだ!おかしいな、昨日入れたばっかりなのに・・」暫し考える、昨日燃料は入れたのに
まてよ、昨日入れたのは軽四だ!この車には入れてなかったのだ。

 空港中央のボードが出た頃、燃料計のランプが消えた。ここで燃料切れを起こしたら万事休す
スリルに満ちた出発となった。浮島ジャンクションを廻り込んで最初の信号を左折すれば、車を
泊めるサンパーキングだ。6時30分、何とかガスは持ちインジケータも一番下が、まだ点いている。
モービルの看板が見えたのでガソリンを入れるべく向かったが、店はまだ開いていなかった。
通りをチョット走ればあるら・・・位の乗りで次の店を目指すが、1キロ走った次の店も開いていない。
もう少し走って・・・「ランプが消えたヨ!」と森ちゃん。Uターンし、ヒヤヒヤものでパーキングへ
戻ると50分、ヤレヤレである。

 ホッとし、手続きを済ませ送迎バスに乗り込んだが直ぐにバスは出ない。他の客のゴルフバックを
積み込んでいるのだ。ふと、フロントガラスと見ると「お急ぎのお客様はお声を掛けて下さい」とある。
「7時20分のフライトなんですが・・・!?」運転手君は時計を見ると「間に合わない!」と一声
積んだゴルフバックを投げるように降ろし、空港へ向かいバスを走らせた。7時は回っている。
運転手君は、かなりのスピードで急いでくれ、ジャルの前に降ろしてくれた。お礼もソコソコに
セキュリテイーチェックを受けチェックインを済ませるとアナウンスが「徳島空港行1431便・・」
4番乗り場を目指すが、300メートルはあっただろうか、通路が長い長い。最後の動く歩道の
向こう側に係りのお姉さんが・・・手を振るとお姉さんも手を・・・4人は最後の乗客だった。
 7時20分、1431便は定刻に徳島へと向かった。
 
   かずら橋

 徳島空港近くのトヨタレンタカーでプリウスを予約して置いた。
手続きを済ませて乗り込むが、カーナビとの相性を合わせるのに30分程掛かり、手間取って
しまう。一番簡単なのは、行き先をカーナビに電話番号入力し、カーナビ様のおっしゃる通りに
運転するのが良いだろう。普段使っているのに、気付くのに1日費やしてしまった。
 徳島ICから徳島自動車道を西へ進み、井川池田ICを通り、甲子園の覇者池田高校の
近くを通り、大歩危・小歩危へ向かった。V字狭の斜面を車は下るのだが、川は手前に流れ
変な感じがした。祖谷のかづら橋を見に向かった。祖谷(いや)渓は、昔々、平家の落人部落が
あった所で、追っ手に追われた平家の人々は、良くこの山深い土地に住み着いたもんだと感心する
 また、今でも住民が住んでいるが、平らな土地が少ないので、山の急峻な斜面にへばり付くように
家を建て、暮らしているのが印象に残った。  

    

 13時を回った頃、桂浜へ到着した。駐車場へ車を止め、近くのレストランでカツオの
タタキランチを食べたが、切り身の1枚が普段食べているものと違い厚く、またプリプリして
美味しかった。店を出て、松の茂った丘を越えると台風中継の時に、いつも映し出される光景が
広がった。周囲を見回すと、今下りて来た左手の丘に竜馬の顔が見えた、そう坂本竜馬の立像だ。
 石段を登り対面したが、思っていたより大きくて驚いた。右手を懐に入れ、遠くを見つめ
視線の先にあるだろう日本は、今、その熱き思いを受け継いでいるだろうか。
 立像の隣にある建物は竜馬の視線で太平洋を見られるように、仮設で作られていたが
有料だったので登らなかった。来年は、NHKの大河ドラマで竜馬伝が放映されるそうなので
高知県はブームに湧く事だろう。その後、近くにある坂本竜馬記念館へ立ち寄り、竜馬を勉強した。

 15時0分、四万十市へ向かった。
          道の駅あぐり窪川

 途中で何人ものお遍路さんを見かけ、改めて、四国の道路を走っている事を自覚させられた。
お遍路さんはブラブラとした歩き方はしていない、しっかりと目的を持った歩き方をしており
歩いているだけで違いが判る、そんな感じだ。歩道を歩くお遍路さんの為に、そうしてあるのか
判らないが、とにかく綺麗に歩道脇の草が刈られ整備されており、ゴミは殆ど捨てて無かった事に
驚いた。そこへいくと我が山梨県の現状は、観光立県を標榜しているがチョット寂しく、まだまだ。

 カーナビに従い走り、薄暗くなった頃、四万十市へ入った。なごみ宿”安住庵”は小山の
上にあり、1車線の山道を300メートル程登った頂上にあり、部屋の窓からは四万十川が
観えた。ここは周囲に何もない、静かな一軒宿だった。

  -------------- 5日 -----------------

 風呂も良かった、追加料理のサワチ料理も美味しかったし、コンパさんも明るく、明瞭会計で
楽しい四万十の夜を過ごしたが、朝出発時にご主人に写真を撮って貰い、サー!出発と云う所で
ご主人は、何か用事でもあったのか引っ込んでしまい、建物だけに見送られ安住庵を後にした
やっぱり最後は、感謝の意を込め頭を下げ、手を振り決めないと・・・他人事ではない、帰ったら
実行しなくちゃ ね。 

   

 千母船(センバセン)に乗る事にして、出発時間の10時までアカメ館で土産など見ながら
時を潰すと水槽の中にアカメ(魚)がいた。アカメは「釣りきち三平」で初めて知った魚で
今回初めて本物に出会えた。目が赤く口がとんがっているのが印象的で、精悍な顔を持つ魚だ。

  

 船乗り場は専用バスで3キロ程上流の場所にあった。
20人程乗れる船だが、お客様は6人だけで、後で知るのだが、11時出発の船は
1人だけだった。千母船(センバセン)の船頭は訛りで語るおじいさんで、ゆったり
流れる四万十川と相まって、短い船旅の雰囲気を盛り上げ、楽しいものにしてくれた。
 千母船は帆かけ船だ、屋形船や渓流下りは、皆さん体験されていると思っていたので
この船に乗船する事にした。船は上流の中洲に係留し、撮影大会となった。

 千母船は喫水の浅い平らな船で、薪や炭が千バも積める?ところから付いた名前で
道路の整備されていない昔は、この船が重宝され、上流からの物流の中心だったと船頭が
教えてくれた。

 川の上流には四万十川に掛かる沈下橋も見える。千母船と沈下橋、実に絵になる。
川底には産卵を終えた鮎が横たわっていた。それを、小さい網で獲る船頭の為に
船を安定させるよう棒を使い操作し、漁師気分を楽しんだ。船遊びは楽しい。
 川を下る時、深場の川底をかなりの大型魚が2匹横切った、あれはアカメだったかも
知れない。日本で唯一、ダムの無い大河 四万十川、千母船での川遊びは、想い出深い
ものとなった。

    

 川遊びから戻り、321号線を足摺岬を目指した。
窪津漁港から先の道路は所々狭い一斜線になり走り難いので、お奨めは山の上を
走るルートが良いだろう。当初、足摺岬はルート上、回り道になるので多少行く事を
躊躇ったが、行って良かった。太平洋に突き出す突端で残がい絶壁の迫力あるロケーションが
見事で、時間にゆとりがあれば入り江を回り込んだ対岸の東屋から、夕日が太平洋に沈むシーンを
灯台と一緒に撮ってみたいと思った。ジョン万次郎の立像も立派で、龍馬に負けず迫力あり
立ち寄る予定になっている記念館への想いが募った。また、直ぐ近くにある38番札所の金剛福寺も
名刹で、沢山のお遍路さんがお参りしていた。近くのレストラン”つばき”で食べた昼食のウナギも
頭を付けたウナギで、頭が「中○産ではないぞ〜!」と、自己主張しているようで美味しかった。
別注で注文した鯨とトコブシも旨く当たりの店、行かれる方にはお奨めだ。

     
   
 
 14時30分、カーナビに道後温泉”ふなや”を電話番号入力し、ナビに従った。
尾根道を下り、楽しみにしていた足摺港のジョン万ハウスまで来ると、何と!改装中で入れなかった。
残念だ〜!もう一回出て来いと云う、ご託宣であろうか・・・涙を呑んで後にした。

 カーナビに従いルートを取ったら、山間で川沿いの山道、舗装はされていたが殆ど1車線
民家も無く対向車も余り無く、一人では走りたくない道を延々と50キロ程走らされた。
時間を短縮したのか回り道になったか判らぬが、とにかく宇和島市に出る事は出来た。 

         
 
 16時、宇和島自動車道から西側空に綺麗な鱗雲があり、走行中の助手席から手を伸ばし
撮ってみた。ボツボツ明かりが点き出した街並みの向こう側には宇和海が見える。
 17時30分、松山自動車道から松山市内へ入ると携帯が鳴った。今夜泊まる宿
ふなや”さん、からの確認電話だ、ナビは”ふなや”を表示しており「直ぐ近くまで
来ていま〜す♪」と答え、直ぐにチェックインして風呂へ入った。まるで計ったかのように
全行程の到着時間も、ほぼナビの通り、カーナビはやっぱり凄い。

 旅行の下準備の為、ネットサーフをして道後温泉を検索している内に、芸者・松山検番
発見し”ふなや”さんで、千代鷺さん、地方のとんこねえさん、豆千代ねえさんを当日、お座敷に
呼んで貰えるか聞いた所、翌日、三人とも来て貰えると返事を貰った。しかしながら、半身半疑
だった。売れっ子の3人が来てくれるはずはない。当日、代理の芸子さんでも・・・なんて
思っていた。

 19時に座敷をお願いしていた。
少し早めの15分前に食事処へ出掛け、襖を開けると、何と3人が並んで座っているではないか・・・
それも全員が指名したお姉さん本人である。嬉しいのなんの・・・!一変でテンションが上がって
しまった。食事は何を食べたか忘れた。隣の部屋からカラオケの歌声が流れて来るが、とんこ姉さんが
三味線を弾くと、結構大きな音が鳴り、隣のカラオケは前々気にならない。お三味の音は大きく響き
旅人4人を、タイムスリップへと誘う最高のBGMとなった。
 白塗りって良いな・・・日本髪も・・・舞も・・・地酒も良いが、視覚でも酔わされる事を知った
お座敷遊びを中に挟み、あっ!という間の2時間30分、日本情緒に触れる実地体験をさせて貰った。
癖になりそうな予感がする道後温泉の夜だった。

 昔の青年、吉村さん、大森さんも、こう云う遊びは30年振りで、実に楽しかったと、お褒めの
言葉を頂いたのは言うまでも無い。お客様を上手に遊ばせてくれる松山芸者のお姉さんは、道後温泉に
いらした際は是非、お薦めだ。
 


  -------------- 6日 -----------------



 昼の道後温泉は旅情を増す演出が至る所に溢れていた。
レトロな路面電車を走らせ、案内人にはマドンナや書生の格好をさせ、観光施設には
明治時代のコスチュームを着させた係りを配置し、街を歩いているだけで楽しい
ホスピタリテイーを感じる居心地良い街だ。
 
 道後温泉本館の建物は100年以上経っており、あのミシュランも三ツ星を付けた
歴史的建築物ではあるが、今も公衆浴場として使っているのが凄いところだ。全国に
ある温泉施設のお手本になった事だろう。個室の一番奥には、夏目漱石が良く使っていた
部屋も見学用に開放されており、風呂に入っては仲間と酒を酌み交わし、また小説
「坊ちゃん」の構想を練ったのかもしれないと、思いは巡った。

 又新殿(そうしんでん)と呼ばれる施設を見学したが、こちらは皇族が使う為にだけ
造られたそうだ。城大工の坂本又八郎棟梁が全霊を懸けて造った建物で、城の天守閣に
似ている、かなり贅沢な建物だ。

  
  



お天気も良いのでリフトに乗り松山城を見学した。
加藤善明が勝山山頂に築いた平山城だが、天守閣から街を見下ろすと山の標高が
132メートルとは思えない程ロケーションも良く、高い所へ登った気がして
築城の巧みさが見て取れた。

 NHKの番組で「坂の上の雲」も始まる。
明治の偉人、この松山が出身地の正岡子規・秋山好古・秋山真之 三人の物語だが
この地を訪ね番組への興味が増した。  




 家からの走行距離670キロ、無事帰って来られて良かった。
四国をSの字で周遊し巡って来たので、かなりハードだったかもしれない
こんな芸当が出来るのもネットとカーナビと省エネ車プリウスがあったればこそ
 四国は信仰の地、お遍路さんが直向に歩く姿に感動さえ覚える良い旅だった。

  また積み立てをして、来年は北海道へ GO!の予定だ。

 談合坂SA 味噌カツ

オーナー Friday, 7/17 20:54

 平成21年度(23回)商工観光サービス部会視察研修旅行
                                 平成21年7月6〜7日
     ----- 6日 -----


 7月6日(月)・7時20分、商工観光サービス部会会員20名を乗せたバスは富士吉田を
出発した。河口湖ICから中央高速に乗り、圏央道、関越自動車道を通り関越トンネルを抜けた。
赤城山麓以北は初めての地だ。長〜いトンネルを抜けると、山々はスキー場だらけである。
仕事柄、林立するホテル群を見て、冬以外の季節は大丈夫なのだろうか?と、心配に成る程
狭い山間地に建っていた。

 柏崎刈羽原子力発電所

手前から五・六・七号機

 ほぼ定刻の13時、柏崎刈羽原子力発電所へ到着した、今回旅行のメインだ。
この度の旅行は、サービス部会に同席する東京電力さんの協力と所長の福田さんの
お骨折りに拠り実現の運びとなった訳で有難い事です。
 ところで、この旅行は原子力発電所見学と云う事で制約があった。身分証の
携帯と、見学が終わるまで飲酒出来ない事だった。いつもバスへ乗車と共に「酒!」と
叫んで、宴会が始まるバス旅行で、果たして飲まずにいられるか心配になったが
それは取り越し苦労だった。小父さんは、やれば出来るのだった。

 原子と聞くと、何処かに引っ掛かるものがあった。原子爆弾→広島→長崎が
連想ゲームの様に続くのだ。発電所敷地外にある東京電力サービスセンターに
バスは停まり、サービスホールで原子力発電所基礎知識のレクチャーを受けた。
可愛いお嬢さんの説明は的を得ており、質問にも嫌な顔もせずに的確に答えてくれて
感じ良く、多少あった原子力アレルギー?も、薄らいで行くのが判った。

 バスに乗車し、いよいよ発電所の敷地へ入る。
入り口ホールで整列し、名前を呼ばれカードを渡される。ゲートの係りにカードを
かざし、係りは指差し確認で「ハイ!どうぞ!」で、中に入った。次に、横に8人分?
並んだ駅の改札扉を開き、電話ボックスみたいな所に入りカードを所定の感知器にかざすと
前のゲートが開くという按配だが、ここで事件が起こった。仲間のおばちゃんが、並んで
いた所からボックス内感知器に、使い方を説明する為親切心からカードをかざした為
感知器が認識出来なくなり、2名が10分以上、足止めとなってしまった。
この旅行は、こんな事があるから楽しいのだ。

 暫くして、笑いながら合流する「困るじゃん、ね〜!」
六号機建屋へ入ると、先程通り抜けたゲートよりシッカリした作りの電話ボックス状の
ゲートが並んでいる。開け方を教えて貰い1人ずつ入った。今度は全員無事開通出来た。
見学通路を歩き奥へ奥へと進んで行くと、窓の外には200メートルの高さの煙突が見える。   
40メートル目前の床下には六号機原子炉がある場所まで入れて貰え、右側には使用済み
燃料貯蔵プールがあり、作業員が床を磨き上げていた。そこから移動し、コントロール
ルームが見える見学室へ入った。目の前には、10人以上の所員が、それぞれ仕事に
向かっており、壁のパネルは動いていない0を示す六号機と、試運転中の七号機の数字が
印象的だった。
 タイミングを計り、係りの高橋さんに「原子力発電所で働くのって怖くない?」と
聞いたら「現在、発電所復興の為に9000人の方が働き、その家族の方々も近くに
住んでいるので怖さは感じない!」と、目を輝かせてキッチリ話してくれ、逆に
聞いた私の方が恥ずかしい程だった。
 
 七号機の性能は135,6万キロワット、1台で山梨県中の盛夏をカバー出来ると
聞いた。原子力発電反対の声もあるが、昔の生活へ戻れないし、CO2を増産する
火力発電所の増設も問題だ。人類の叡智で事故を防ぎ、原子エネルギーを友として
使い続ける事が肝要と、柏崎刈羽原子力発電所を観て感じた。1日も早い、本格発電を
祈りたい。 

 柏崎商工会議所情報交歓会
       

 柏崎市内は '07,7,16 に起きた中越沖地震から復興し、崩れた家などは
殆ど見る事は出来なかったが、何箇所かの仮設住宅や、泊まった宿から見えるお寺の瓦が
部分的に新しい物になっているのを見て、地震があった事が伺えるくらいだ。

 4時30分、柏崎商工会議所へ到着した。
4階の会議室でBCP(事業継続計画)についてと題し、意見交歓をした。
企業は、平常時から緊急事態に遭遇を想定し、事業の継続や早期復旧を
シュミレーションして、常に備えなければいけない事を痛感した。

 6時20分、ホテル岬館へ到着した。
高台に建つ瀟洒なホテルで、右手奥には原子力発電所の煙突が見える。
眼下には柏崎海岸の波打ち際が見え、日本海へと続く。こんな静かな良い場所で
北朝鮮による日本人拉致行為が行われたなんて信じられない。
残留されている方の1日も早い帰国を望みたい。
 
 柏崎の夜は、米どころ、酒どころ新潟の旨い酒5升が並び、利き酒と共に
楽しい宴会は続くのだった。 
 
      ----- 7日 -----

 柏崎・ホテル岬館


     越の蔵     東北電力ビックスワンスタジアム  
       

 8時、岬館を後にした。
土産用に日本酒と云う訳で、急遽、予定していなかった酒蔵売店「越の蔵」へ寄った。
こういった場所に立ち寄ると、ついつい群集心理で買ってしまう、こうして少しずつ
バスのトランクは埋まって行くのだ。

 東新潟火力発電所


 バスは一路、東新潟火力発電所を目指した。
高〜い煙突が目印だ、広大な敷地の使われていない場所を利用し、ゴルフ場まであった。
火力発電所は原子力発電所と比べ、セキュリテーも簡単で中に入れた。さながら大工場
プラントと云った印象で、原子力発電所のほうがコンパクトな印象を受けた。燃料は
液化天然ガス(LNG)を使い、海岸側に巨大なタンクが特徴だ。石油危機を経験し
国家戦略でエネルギーを、価格の安定しているLNGへシフトして来たのが判った。

 米どころ新潟の底力

 
 カーブドッジに向かう高速道路の両脇には、緑輝く稲穂の草原が広がり
平野の少ない山梨と比べ羨ましくさえ思ったが、それにも増して、山麓の荒地を開墾し
生きて来た先祖に感謝の思いが湧いた。見学先のカーブドッチも、人が見捨てた荒地に
目を付けた落社長が、ぶどうを植え、自ら育てたぶどうの木から本物のワインを
作ろうと始めた会社で、その郷土愛と開拓者魂と努力、それにアイデアが加わり
本物へと昇華して来た。物真似ではないオリジナルがカーブドッジにあった。
ワインも料理も美味しかった、本物志向のこだわりを持つ、こんなお店が山梨に
増える事を願いたい。 

 カーブドッジ・ワイナリー



 寺泊


 折角、海の近くに来たのだから魚の土産も・・・と言う訳で、寺泊の土産店に
立ち寄る事になり、発砲スチロールの箱がバスのトランクに、いくつも吸い込まれた。

 今回の旅行は普段、何気なく使っている電気に付いて考えさせてくれた。
ちょっとアレルギー気味だった原子力発電も、今からの日本にとって不可欠のものと
理解出来たし、発電所復旧の為に1万人以上の方々が日夜頑張っていることも知った。
 これからは必要以外の電気はコマめに消し、電気を大切に使いたい。


オーナー Saturday, 7/11 17:03

  山陰・出雲地方を訪ねる旅 平成20年10月29日〜31日 

 旅行のメンバーは旧ホテル組合の渡辺さん・大森さん・吉村さんに、私の4名で出掛けた。
2ケ月に1度集まり、食事会を兼ねて積み立てをしている。9月中旬に出雲に決まり、すべての
段取りを任されたと云うか、引き受けた。毎度の事なのだが勉強にもなるし、結構好きなのである。

 今回の旅行でエアチケットを予約する時、驚いた事がある。それはネットでJALに繋ぎ航空券を
買うのだが、予約してクレジットカードで決済を済ませると、搭乗チケットがプリンターから
プリントアウト出来た事だ。発券所が要らなくなった。プリントした用紙にバーコードが書いてあり
それを空港セキュリテイーのリーダーに読ませてチェックイン。その後、もう1回、搭乗ゲートで
リーダーに読み込ませて機中へ乗り込む、これだけである。 
 一体どこまで便利になる事やら・・・有難い事ではあるが・・・。 

10月29日   5:30  集合・出発    遠山宅
         8:15  JAL1663便    羽田出発
         9:40    :      出雲空港着  
  
 中央道を大月IC辺りまで来たところで、東の空が良い塩梅に焼けて来る。鱗雲に赤みが射し 
実に綺麗だ、悔し〜〜いが、どうにもならない、車のハンドルを強く握るのが精一杯であった。
1時間40分程で、空港近くの民間駐車場へ車を止めた。
 機中で隣席の方に声を掛けると経済新聞の方で、平木記者だ。やはり石見銀山へ取材に
行かれるとの事で、名刺交換させて頂き、色々と情報を教えて貰った。
「話すのは一時の恥、話さぬは一生の損」そんなところだろうか。あっという間に出雲に着いた。

 過日、平木さんからメールを頂きましたので、記事を掲載させて頂きました。 
  日本経済新聞社記者 平木協夫氏記事 

 トヨタレンタカーにて予約しておいた「プリウス」を借り、出雲の地を走り出す。
石見銀山へ続く高速道路が無いのが不便ではあるが、2時間程で  銀山世界遺産センター
着いた。
 まだ出来立てのセンター内で、銀山の歴史、工法、世界遺産への道など学び、車で大森Pへ
たまたま空いたスペースに車を止め、食堂を探す。蕎麦屋はあるが、ご飯物を出してくれる
店が見つからない。大森さんは珍しい事に、蕎麦・うどんがダメな人なのだ。探し出した
 朝日庵 で、うな丼を食べたが、私達が入ると一杯になってしまった。平日だったが
世界遺産効果なのだろう、障子の向こうを往来する人並みは多く、静かな通りに観光客の声が
場違いに聞こえた。この様子だと、休日には町が観光客で溢れ、住民生活がままならない事が
想像出来る。
 
 お腹が一杯になった所で、近くの 石室山 羅漢寺 を訪ねる、石室内の羅漢様が見事だった。
大森の町から龍源寺間歩までは2.3キロ、自転車を借りて行こうとしたが、自転車も
予約中で借りられず、川沿いの遊歩道を徒歩で向かった。途中に清水谷精錬所跡などあるが
ずっと登り道なので、女性はスニーカー等の動き易い支度が肝心だ。石見銀山 龍源寺間歩
中に入ると、鉱脈に沿って掘るので、結構狭い所で作業していたのが判った。16世紀の
大航海時代、ここ石見で産出した銀が、世界の三分の一を補っていたとは凄い話である。

 15時、石見を後にして 三瓶小豆原埋没林公園 を目指した。 
この公園は、縄文時代に起きた火山性岩層なだれで、巨大杉林が一気に飲み込まれたものが
近年発見され、保存展示されている公園だ。保存の為切った切り口からは、良い杉の香りをまだ
発していて驚いた。
                          
          6:00  玉造温泉到着  保性館 

            
                            
 ホテル到着後、風呂へ入り一段落し、さて写真の整理でもと、持参したPCを取り出した。
いつも通りカメラに繋ぐと1日の思い出が行程順に出て来る。偶々、失敗した写真を見付け
プチット押し、削除マークを押すと、何と言う事か!消えて行くではないか・・慌ててみても
後の祭り、思い出写真はPCの中に吸い込まれてしまった。何という事だろう、こんな事は
初めてである。  教訓「大切な作業中は、いつもと違うPC操作はしない事・・・」
皆さんの大切な想い出を消してしまう大変な一大事であった、1日目で起こった事に感謝だ
  皆さんに、平謝りで謝った事は、言うまでもない。

 コンパさん2名を呼んでの宴会ではあったが、心が引けてはいたが結局、11時まで延長し
楽しんでしまう玉造温泉の夜だった。

   30日    9:00  玉造温泉 出 発


      

 出雲大社を 目指した。
駐車場から、参道をショートカットして歩いた。広大な敷地、荘厳な佇まい、さすが
全国の神が集結する出雲大社、神様がお泊りになる建物まである。お参りした後
 出雲大社 北島国造館を通り抜け、最近出来た島根県立古代出雲歴史博物館へ向かった。
博物館では、収蔵品の多さ、特に銅鐸・宝剣の数の多さに驚かされた。また、3本の巨木を
束ね柱を作り、高い所に神殿を造った技術には驚嘆させられたが、まだまだ、すべての謎を
解き明かすには時間が掛かりそうだ。   

         

松江市内に向かう、30分程で松江城の見える堀川端に着いた。昼を近くの 季節の風 蔵
食べた。メニューを見たらエビかつ丼があり、珍しいので食べてみた。エビフライを卵で
とじたもので中々美味しかった。

          

 食後は、予定していた「松江城堀川船めぐり」 に乗船した。周囲の建物が良く保存され
時折走る車が無ければ、脇差にちょん髷のお侍さんが出てきそうだ。乗り合い船は、屋根が
稼働式になっており、低い橋を潜る時は屋根を低く下げ進む、堀の左右から木々の枝が
張り出した所では、ジャングルクルーズの様相を呈し面白い。大きな橋の下を通る時
船頭の歌う民謡にエコーが利いて心地良かった。小泉八雲が愛した松江、今も城下町の
雰囲気を醸す良い街だ。




            
                          
  小泉八雲記念館
 丁度暗くなり始めた頃、皆生温泉”菊乃屋”へ到着した。
通して運転していたので疲れがピークに達し、畳に1時間ほど寝てしまった。
ここの宿の特徴は、ロビーで社長が弾き語りのミニコンサートを行う事だ、この夜も
30人以上の人が聞いていた。各部屋には、社長の大伯母の書が飾ってあったり、随所に
さり気無くご案内があり、気遣いの行き届いた宿とお見受けした。
 この夜もコンパさんを入れ、結局11時まで皆生の夜を楽しんでしまった。

       4:00  皆生(かいけ)温泉到着  菊乃屋 

   31日    9:00 出 発、足立美術館を目指した。

40分程走ると足立美術館の看板が見えて来るが、その手前に安来節演芸館がある。
広い駐車場に車がいないが気になったので左折した、すると和服を着た関係者が
手を振っている、その手に呼ばれる様に駐車場に車を止めた。後10分でショーが
始まるとの事、皆で入場する事にした。
 丁度、家元4代目渡部お糸さんが出演し迫力ある喉を聞かせてくれた、民謡もだが
本場での生は最高の贅沢だ。コミカルなドジョウ掬いもまた、良かった。また、何より
良かったのは、ご覧の通り全員で7名の客に、手を抜かず公演してくれた事だ、プロ
根性を見せて頂いた気がした。安来へ行った際は是非、お勧めポイントである。

                  

 直ぐ隣に 足立美術館 はあった。
入館料2200円高いと思ったが、中に入ると考えが変わり、安いと思えた。5万坪の大庭園は
さすがに日本一の称号を6年取るだけのものがある、気品を感じさせ、どこから観ても絵に
なる庭で、借景としている山まで庭園と化している所が素晴らしく、無限の大きさを感じた。
 庭園の好きな方は是非、行って観る価値がある。
蒔絵も横山大観も 北大路魯山人 も地方の美術館では、どれか1点あれば目玉になる
お宝揃いに驚いた。




          

 次に大根島の 由志園へ立ち寄り庭園を見たが、足立美術館を観た後だったので 
見劣りがしてしまった。ここだけ見れば、素晴らしい庭園なのだが・・・。


   

 境港港へ向かった。
昨夜、コンパさんから聞いた 食堂”かいがん”を見つけ入店した。
お刺身盛り合わせ丼1200円、旨かった。お腹が一杯になった所で、近くの市場で
お買い物タイム、カニ・イカの一夜干し・アマエビなど買い求め、家に送った。 
                                
         
 
 境港は漫画ゲゲゲのキタロウの生みの親、水木しげる先生の生誕の地だ。
フライトまで時間があったので、キタロウで町起こしをしている境港商店街を
ブラつき 水木しげる記念館 を訪ねた。
平日ではあったが、人目で観光客と判る若い人達がスタンプラリーを片手に
散策を楽しんでいる。この街は、日本の街起こしの中でも成功した事例なのでは
ないだろうか・・・。この街は、妖怪に頭が上がらない。  

 出雲空港至近にあるトヨタレンタカーへ車を返却した。3日間の走行距離460キロ 
ガソリン代は3000円掛からなかった、プリウスは最高に燃費が良い車、遠乗りには
お奨めの車だ。                    
                         


 妖怪道53次 が面白かった。

         16:30  JAL1668便   出雲空港発
         17:50     :       羽田着       
         21:30  吉田 着       解 散         

 予定通り全員無事帰還した。
旅は無事帰れば99%大成功、良い旅であった。







オーナー Saturday, 10/25 18:40

 平成20年度(22回)商工観光サービス部会視察研修旅行
                             平成20年10月21〜22日

     ----- 21日 -----




 10月21日(火)・8時、商工観光サービス部会会員15名を乗せたバスは富士吉田を
出発した。河口湖ICから中央高速に乗り、圏央道、関越自動車道を通り、東松山ICを
目指す、 一部、一般道路を走るが、予定通り11時には 足利学校 へ到着した。
 500年以上前に出来、大学の役割を持った学校だ。日本中から秀才が集まり勉強し
体得して郷里へ帰り、学んだものを教える。こうして国の礎を築いて来たのが理解
出来た。足利市と富士吉田市はご縁が深い、戦前・戦後を通し、富士吉田市織物の
技術発展は足利市の方々に技術指導を受けた賜物で、足利市には恩がある。昔、機屋の
長男として生まれ、機を織った事のある身としては、足利市を訪問出来て良かった。




 昼食後、 富岡製糸場 へ向かった。
バスを離れた駐車場に置き300メートル程歩くと、右手の塀の向こうに巨大な
建物が目に入って来る、富岡製糸場だ。
 ボランテアガイドさんの、熱の伝わる説明を受けながら広い敷地を歩く。 
明治五年と書かれ礎石、歴史が圧し掛かる様に、136年前に建築された工場が
圧倒する。嫌が上にも明治人の気骨、迫力を感じた。富国強兵、列強国に追い
付け、追い越せ、その為には、すべてを犠牲にして頑張れ・・・と、「ああ野麦峠」
の辛い女工の話を思い出したが、ここでは違っていた。今と大体同じ8時間労働
290日就業し、休日もしっかりあったそうだ。監督官のフランス人がワインを飲んで
いるのを見て、血を飲んでいるといったデマが広がり、募集しても女工が集まらず
各府県に人数を割り当て募集、数百人の士族の娘などが集められ働いていた。
 工場施設の脇には病院まで作られ、フランス人医師を常駐させ手術まで出来る環境が
整えられていたし、明治18年には夜間学校まで設けられ、「ああ野麦峠」の女工達
とは覚醒の如く懸け離れており、随分恵まれた環境なのだと判った。
 富岡製糸場は明治政府が国策で創ったモデル工場といったところだろうか・・・
そして、ここで研修し学んだ女工は全国に散り、各地に富岡を真似た工場で
講師・先生として、技術指導を行った。 



 見学の後、2号館(女工館)にて、富岡市役所世界遺産推進課長、商業観光
課長の皆さんと、意見交換を行う。
 平成15年までは見学者が、1万人に満たない数が、平成17年(2005年)7月14日
付で「旧富岡製糸場」として国の史跡に指定され、平成18年(2006年)7月5日には
明治8年(1875年)以前の建造物が国の重要文化財に指定された。なお、全ての
建造物は平成17年(2005年)9月30日付けで地元富岡市に寄贈され、現在は市が
管理(富岡製糸場課)を行っている。平成19年(2007年)1月23日には文化審議会
文化財分科会で「富岡製糸場と絹産業遺産群」として世界遺産暫定リストに加え
られた途端、年間26万人もの観光客が訪れ、戸惑ったに違いないが、平成20年も
昨年度対比と同じ推移で増加している。市内へ直接30万人近くの観光客が訪れるのは
羨ましく思う。

 富岡製糸場が世界遺産暫定リスト入りし、脚光を浴び観光客が増える中で
市民の意識が遅れているとのお話があったが、これは時間が解決する事で
問題意識を持ち、市民と行政が一緒になって改善して行けば解決出来る事だろう。

       「 伊香保温泉 」



 18時、伊香保温泉「ホテル福一」へ到着。
肌に優しい温泉を楽しみ、宴会後、自然発生的にカラオケバーで2次会となった。
23時解散して部屋に戻るが、飲みつつ語る会となり、2時まで頑張ったが睡魔に負け
席を外し布団へ潜り込んだ。朝、聞いた話に寄ると3時まで語りあったそうである。
何度か参加した中で、今回の旅行が一番打解ける事が出来、思い出に残る楽しい
伊香保の夜だった。  
 習性で、寝ていられない。6時に起床して散策した。
伊香保温泉は石段の街、暮らすのは大変だと想うが、石段と両脇にある建物が
ノスタルジックな雰囲気を醸し、店先にある祭りの写真や、昔の風俗を写した写真が
飾られ、石段には菊の鉢が所々に置かれたり、案内板なども工夫に富んでいて
旅人を持て成そうとする配慮が、あちこちで感じられ、とても気持ち良い街だ。
 2階の窓から、石段を下る小学生に手を振るお母さんが印象的だった。

     ----- 22日 -----





 宿を9時に出発し榛名山ロープウエーへ向かった。
榛名山、別名「春名富士」と呼ばれるだけあり、途中から見える榛名山は、しっかりと
二等辺、御山のシルエットが逆光に浮かび上がっている。榛名湖周辺全体が霞に包まれ
余り透明感は無かったが、その中を3分でロープウエーは頂上まで昇った。
 徒歩で5分、神社まで歩く。頂上神社鳥居に「冨士山神社」と書かれた扁額が
掛かっており、こちらの神社のご祭神は、我等が”此花咲耶姫様”であり、嬉しく
なった。隣にいた、富士山を仕事場にしている'ごうりきの近藤君がボソッと言う
「リタイヤしたら、全国にある富士山を回ってみたいな・・」と、それも面白いかも
知れないと思った。

   「 鉄道博物館 」





 次に鉄道博物館へ行った。
巨大な伽藍、すべてが本物だ。丁度15時、蒸気機関車の方向転換ショーが行われており
180度向きを変えながら汽笛を鳴らす「ブオー!ブオー!」腹まで響く音、なぜか
郷愁を誘う音だ。見学時間1時間は勿体無い、半日位掛け、男の孫でもいたら一緒に
見たいものだ。
 鉄道の歴史は近代日本の歴史。1860年、今から、たった150年前の事である。
黒船が到来し、長い眠りから目覚め、明治政府は殖産興業政策・富国強兵を計り
富岡製糸場をモデルに絹糸を輸出し外貨を稼いだ。その間、諸国に渡り勉強し、模倣し
列強に追い付け、追い越せと努力して来た明治人。
 今、日本は戦後一番の難局に向かっているが、明治人と同じDNAを持つ我々に
出来ない事は無い。150年の鉄道の歴史を観て思った。

   「 山本容子展 」 
  

 2Fの壁にステンドグラスが填め込んであった。
「山本容子展・過ぎ行くもの」と題しての展覧会だ、浅田次郎・嵐山光三郎・中沢新一ら
10名のエッセイをモチーフに1枚ずつ創作したもので、赤の炎、水色の水で蒸気機関車を
現し、客車内の色んな人生模様を10枚のステンドグラスに映し出した逸品。
 観ていて心踊り、一緒に仲間に加わり旅がしたくなる、そんな作品だった。

 帰路は、過日事故のあった首都高トンネルを初めて通り帰って来たが、停滞も無く
7時前には着いた、今回もまた実り多き研修旅行であった。


オーナー Thursday, 4/17 07:37

  掛川ツーリングレポート♪ 

 4月12・13日「ぶらっと!掛川ツーリング」へ行って来た。
ぶらっと!」はインターネットを利用した日刊ブログ新聞で、会員みんながそれぞれの
視線でとらえた地域の話題を「記事」として発信するコミュニティメディアだ。
 一昨年の9月御縁があり、編集長の野口さんと知り合い、勧められるまま山梨の
ライターとなり、富士山麓の風景写真を中心に投稿して来たが、3月末をもって
編集長を卒業される運びとなり、同窓会・送別会・ご苦労さん会も含んでおり
掛川の 長谷川さん を中心に「掛川ツーリング」として、隣の県での開催とあっては
土日の忙中ではあるが、編集長の卒業式、もー!ジッとしていられません。
それに、掛川は スローライフ運動発祥の地 でもあり、一度訪ねてみたい所だし
家内に頼み込んで無理やり了解を取り、直前の金曜日に滑り込みで参加表明をした。
直前で長谷川さんやスタッフの皆さんを慌てさせ、大変申し訳ありませんでした。
     


 ・ローカル線に揺られて「ぶらっと!懇親会」

 4月12日(土) 12:00掛川駅北口集合
時間があったので、東海道線富士駅から鈍行で下り30分前には到着予定が
掛川駅到着が10分遅れてしまった。
 北口へ下りると構内には知った顔がアチコチに・・・何となく嬉しくてハグしたい
衝動に駆られたが、60オヤジのハグでは絵にならないので止めた。

 スケジュールは、こんな感じ・・・  
12:52 天竜浜名湖鉄道 ・掛川駅発→14:29佐久米下車→春の浜名湖
散策1時間20分→15:45東都筑にて乗車→17:19掛川着・解散



 サポートの自転車部隊が電車内へチャリを持ち込んでいた。
天浜線は自転車の車内への持ち込みがOKで驚いた、このサービスは
サイクリストには堪らなく嬉しいサービスではないだろうか、行けるだけ行き
疲れたら、帰りは電車で・・・が、可能になる。
 電車が動き出すと、早速ビールが振舞われ電車内宴会開始。編集長は
日本酒「喜久醉」の一升瓶を片手に持ってお酌して回り、車内を行ったり来たり・・
笑っちゃいました。(失礼)
 また、長谷川さんが全国へ貢物での参加の呼び掛けたのが功を賞し、各地の
土産が集まり、参加したライターさんお持たせの土産も配られ、甘いものやら
辛いお水まで頂き、良いご機嫌に・・・。配られたお弁当もコンビニ弁当と違って
各食材それぞれが互いに自己主張をし、持ち味を出していた。  
 地産地消を推し進める当地だから出来る技かも知れない、美味しく頂いた。



 佐久米駅で降り、田圃に咲くレンゲを見ながら歩いた。道路脇には洒落た
無人販売所があり、みかんを売っていた。思うに、無人販売所がある地域は
豊かで暮らしやすいのではないかと思う。商品を無人のスタンドに置く農家も
また、買ってくれるお客様も、信頼の糸で繋がっている。こうしたスタンドが
続いているのは豊かさの証明だ。
 次に、浜名湖の岸辺を歩いた。打ち上げられた貝の欠片が帯の様に
続いている。何気なく踏むと靴底にサクツ!サクツ!と、何とも心地良い音が
伝わって来た。音が立つのが嬉しくて、岸辺の貝の帯を探して歩いた。

 

 海辺から一転し、帰路は丘を登った。ウグイスが鳴いているのが聞こえる
過日、春遅い富士山麓で聞いたものとは格段の相違で上手だった。気温は
18℃くらいだろうか、標高が高く、気温の低い富士吉田市から出掛けたので
ポロシャツ+ベストでも汗をハンカチで拭き々の散策だった。それぞれが
思い思いに立ち止まり、チョット行列が遅れたが無事、東都筑駅にて帰りの
電車に乗車した。
 電車の中では名田さんの入っておられる『 松崎蔵つくり隊 』の皆さん協力
による、光る カラフル泥団子 製作の遊びが待っていた。段取り良くエプロン
スチロールのトレイ、ヘラ、フィルムケース、そして乾燥させた団子が配られ
松崎町の関さんや同行の隊員指導の下、色付け、乾燥、磨きを行い、全員
それぞれが光るカラフル泥団子を完成させ、お土産として袋付きで頂いた。
 感謝である。漆喰を磨けばこんなに光るなんて・・・凄い!自分も磨き込んで
漆喰の様に光を放ちたいものだ。 どなただったか、私の額を磨き隊と
おっしゃった方がいらしたが、そんな光かたでは無く、男として燻し銀の様に
渋い光を放ち、存在感のある男に磨いて欲しいものだ(笑)



  電車からバスに乗り換え、宿泊先の「 ならここの里 」へ向かった。 
「ならここの里」は山間にあり、原野谷川を挟んで佇んでおり、川を流れる水の音が
一番大きい音源だった。温泉に浸かり7時30分から11時まで、管理人の
いなくなった奥の食堂で延々と交流を持った。普通の宴会場では、こうは行かない
手配して下さった掛川衆の、先を見通した配慮に感服した。
 取り合えず解散。男性棟と女性棟に別れ泊まったが、2次会は男性棟で
飲み、話し、解散は1時30分。それにしても「ぶらっと!」の女性陣は酒が強いし
体力も並外れたものを持っている、これも普段から行動している賜物か・・。

 ぶらっと隊の朝は早い!7時30分朝食だ。
昨晩、紹介された 柴田牧場の ジャージー牛乳 がテーブルに並び
地元で取れた野菜・ハムを使ったサンドイッチを頂いた。
味は勿論!一味違っていた。私は普段、胃が弱いので?朝、牛乳は飲まないが 
しばちゃんちの牛乳は、飲んでも下す事は無かった。食後、散歩をしたが山々は
緑に萌えており、遅咲きで満開のサクラもあった。山々は秋と春に、より一層輝きを
増す。春は良い、枯れていた枝に新芽が芽吹き、新しい命に満ち溢れ、山が膨らむ。
 原野谷川に掛かるつり橋を祭りの準備で渡る人々の上に、サクラ吹雪がハラハラと
舞、とても綺麗だった。ぶらっと隊とスタッフを乗せたバスは「ならここの里」を後に
柴田牧場へ向かった。



 柴田牧場のショップで休憩を取り、牛舎へ行った。ジャージー牛の
ウルウルした大きい目が印象的で可愛かった。次に茶畑のど真ん中にある丘
五明(ごみょう)彗星発見場所へ行った。掛川市在住のアマチュア天文家
西村栄男氏を称える碑があった。茶畑が山の稜線に沿って幾重にも等間隔で
並び綺麗だ。



  次に「 ねむの木こども美術館 」へ行った。
ドングリをモチーフにしたものだそうだが、海好きの私はナポレオンフィッシュの
方が良いと思う。ナポレオンの額部分が宮城まりこさんの作品展示場にもなっており
ガラスを加工したオブジェがあった。その部分は球体をしており、さながら子宮の
イメージだろうか?胴からシッポ部分には子供達の作品が飾られ、その見事な発色と
自由な色使い、根気に圧倒された。美術館の隣にある民家の枝垂れザクラも、見事に
咲いていた。

 山を下り、天浜線と平行して走りバスは止まった。
佐藤君お奨めの、田んぼと併走した道路で直線が3キロ続くのだそうだ。
良いな平らな所は、富士山麓は富士山からの傾斜地にへばり付いているから
これだけ平らで真っ直ぐな道は無いのだ。チャリで天浜線の電車と勝負したくなった。
いるだろうな?そんな奴が掛川にも・・・。そして、何より良いのが電柱が無い事
この景色をいつまでも残したいものだ。海に近い田んぼには、既に田植えを
終え、苗間から一人立ちした稲の子達が、初夏の陽射しを受け気持ち良さそうに
揺れていた。


           キューイの新芽  ニッキの葉
 
 次は、昨晩紹介された キューイフルーツカントリーJAPAN の平野さんちを訪ねた。
色んな種類のキューイを頂き、キューイの棚の下で説明を聞いた。妹の所にある
キューイも、元は平野さんちの子孫だったのだ、ヘー!

 昼食は「掛川そば研究会」の皆さんが、渾身の手打ちそば3種類を振舞ってくれた 。
三種類の内訳は桜蕎麦、茶蕎麦、田舎蕎麦だったが、研究会の域を超えた蕎麦だった。
味良し、茹で方良し、香り良しで、三拍子が揃い踏み。今まで色々な趣味をして来て
もう何物にも手は出さないと決め、パソコンと写真だけを追求しようとしていた決心が
揺らいでいる。私も美味しい蕎麦を打ちたい!などと云う、煩悩が頭の中で渦巻き
出した。

 この事はさて置き、場所は何と!井村さんち。井村さんは、家を画家さんに開放して
絵画の展示までしていた。凄いのは、洗い物を家の中まで持ち込むのは大変と、流しを庭に
作ってしまったり、ガレージか?作業場なのか?大型冷蔵庫まで備わり、皆で使うには最高で
人が集う「たまり亭」です、私も欲しくなった。



 長崎県千々石(ちぢわ)の松本由利さんから 頂いたエソ。山吹さんが最初にエソに
噛み付き美味しいと言い、皆が後に続いた。この歯、この姿のエソに噛み付いた
山吹さんはエライ!




 午後からのツアーは、街なかウォーク・街なかサイクリング・車でお茶畑・街なかで呑むの
中から、街なかウオークを選び参加した。一級建築士の高橋さんが案内して下さり、建築家の
立場から、道路を広げ街を作る事の是非のお話をお聞きし、成る程と思った。街は路地も
あったり、大きい道路も合った方が良い。人を優先するのか?車を優先するか?古い建物を
大事にするのか?新しく建物を作るのか?が、大いに問われる。
 武家屋敷・大日本報徳社・竹の丸・十九首塚・掛川城御殿・長屋門の武家屋敷を回り
NPOの事務所に戻ったが、誰もいなかったので高橋さんが、最も静岡らしいデイープな駄菓子屋
「すいのや」に案内してくれ、静岡おでんを頂いた。歩き回ったので小腹が空き、美味しく頂いた。
 車でお茶畑隊が来た時には、残念な事に売り切れで、食べられなく、自分達だけで申し訳なく
思った。他のチームも集まり、NPO前で掛川式神社手締めをして、ツーリングの無事終了と帰路の
安全を祈り解散した。

 楽しい2日間であった。掛川の豊かさ、懐の深さを、海辺と山を歩いて体感した。
商・工・農のバランスも程好く取れており、羨ましい限りだ。何より人が素晴らしい!
この街に住んでいる事の誇りと自信と笑顔に満ち溢れているスタッフは、淡々と与えられた
仕事をこなす。スタッフの皆さんお世話になりました、感謝・感謝でございます。
また、全国から貢物を送って頂いた皆さんにも感謝で一杯です。「ぶらっと」の底力を
見た気がします。
 そして、掛川ツーリングを最初にテーブルに載せてくれた、井村さん、佐藤さん、レイコークンさん
長谷川さん、ありがとうございました! 掛川を堪能させて頂きました。

 お世話になったお返しは何にも出来ませんが「掛川ツーリングレポート♪」として、まとめ
当方ページをご覧になっている皆さんに、掛川を知って頂く事で、恩返しの一部になればと
思っています。お世話になりました。          
                                      遠山喜一郎                 
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オーナー Thursday, 12/13 10:28

 青森旅行 平成19年10月29〜31日

               ----- 29日 -----

 午前5時集合、そして出発した。
6時40分、羽田に到着したが、月曜日で月末のせいか首都高は停滞寸前の混み方だった。
5時半、出発を考えていたが、5時出発で正解だった。車を楽々Pに止め、バスで送って貰った。
 ネット予約してあったのでチケットレスだ、機械の指示に従ってクレジットカードを入れると
航空券が4枚出て来て驚いた。毎年毎年、進化して来たが、発券のシステムは多分これが究極だろう。
とにかく早くて便利だ。定刻から10分程度の遅れで飛び立ち、8時50分青森空港に降りた。
 
 今回の旅行は、旧ホテル組合の時から続いているもので、父親の代から数えて30年以上になる。
昨年まで5人いたが、残念な事に1人が積み立てを止めてしまい、4人になってしまった。2人は
父親程年の差がある70代、後の2人は50代、いつもの4人組で気心の知れた旅行だ。
 
 旅行の足としてトヨタプりウスを選んだ。丁度4人で小回りが利き、省エネタイプ、以前から
乗ってみたかった車だ。ドミノの駒に似たキーを差し込み、ボタンを押してエンジンが・・音は無い
掛かるのでは無くスタンバOK!と云った所だろうか、ギアをDに入れアクセルを踏み込むと音も無く
発進する。カーナビに電話番号入力して白神山地ビジターセンターを目指した。  

 白神山地ビジターセンター


 右手に岩木山が見える頃、小雨が降って来た。
世界遺産に登録された白神山地入り口、暗門の滝迄行きたかったが、雨の降り方が強くなって来たので
諦め、時間を掛けてセンター見学を楽しんだ。展示場に吊るされた、20メートルを超すブナの大木が
印象的だった。見学をして、益々ブナの森を訪ねてみたくなった。

 弘前城


 次に目指したのは弘前城だ、丁度、菊祭りをやってるとの事で予定には無かったが、そこは自由旅行の
良い所、行ってみたい場所などあれば直ぐに変更出来る。お城の周辺は一方通行が多く、城至近駐車場
探しに、ちょっとではあるが苦労した。菊祭りのテーマに風林火山があり、謙信と信玄が、由布姫が
菊人形になっていて、郷土愛なのだろうか、誇らしくさえ感じてしまった。
 見学を終え、駐車場のおばちゃんに教えて貰った郷土料理屋「菊富士」を訪ねた。比内鳥ランチを
食べたが、お値段の割には美味しく一同得した気分の食事だった。 

弘前・郷土料理菊富士HP             秋田県・大湯温泉 千葉旅館 HP
              
                 仲町・侍町 弘前市仲町伝統的建造物群保存地区

 お城近くの中町・侍町を、雨が降って来たので車で周った。各家の門が黒く塗られ統一されており
変な看板なども無く、すっきりとした印象を持った。住民の意思統一がされていて雰囲気の良い街だった。

 一方通行が多かったので、お城の周辺をグルグル周って気が付いた。弘前の街にはシャッター通りが
無かった事だ。どこの街にもあった、昔からの商店が店を開いていた事に驚いた。道路を走りながら
違いを探すと、バイパス沿いにシマムラを1店見ただけだった。青森県は、弘前市は大型店を規制して
いるのだろうか?!郊外に大型店のある街は、核である市内中心商店街が死んでいる、大型店進出は
は公害なのだ。

 岩木山へも行きたかったが、山に雨が降ると周りは霧と雨の世界、それではつまらないし、朝早かった事も
あり、宿へ向かった。大鰐弘前ICから十和田ICで降り、大湯温泉・千葉旅館へ入った。
各部屋から窓下に見える木々が紅葉しており、庭園が素晴らしい旅館だった。 

                ----- 30日 -----

 大湯環状列石・ストーンサークル


 9時、宿を出発し、ストーンサークルを目指した。
ただ広い芝生広場に円形に石を並べたものだが、古代の人々はここで何をしたのだろう?
祈祷や集会所・日時計またはUFOの発着場所等々不思議イッパイの場所であった。

 Uターンして十和田湖を目指した。
周りの山々は紅葉しており、木々の間を走る道路は、さながら紅葉トンネルの様だった。
発荷峠を下り休屋へ入った。平日にも係わらず、駐車場には観光バスが沢山並んでいた。
予定にはなかったが、遊覧船に乗る事に決なり、案内係りに勧められるままに車を子の口まで
運んで置いて貰ったが、これは車で旅をする者にとって嬉しいサービスだった。ゆっくり50分間
船上から錦秋の十和田湖を観る事が出来た。折しも紅葉は、水辺から上に100メートルが見頃を
迎えており、素晴らしい十和田湖の秋を堪能した。

 十和田湖







 船から下りると係りが車のキーを吊るし待っていた。鍵を貰い子の口を出て
奥入瀬へ向かったが、子の口が奥入瀬渓谷の最上流部、すなわち流れ出しだった。
混雑を予想して、当初は定期バスを使い、歩こうかと思っていたが、そんなに
混んでいなかったので、車でポイントを探る事にした。銚子大滝・雲井の滝
阿修羅の流れ・石ケ戸などへ車を止め散策して楽しんだが。思った以上に、川が
大きく、変化に富んでいて半日位時間を掛けて歩いても良いかも知れないと思った。
 特に、人工的な構築物(ガードレール)等が無く、すっきりと自然を表に出し
好印象を残した。

 奥入瀬




 奥入瀬を後に、八甲田山を目指した。
明治35年(1902)旧陸軍歩兵第5連隊雪中行軍遭難記念像を観に行った。
参加者210名中、199名の兵隊が命を落とした場所だ。平成の世に変わっても
ドライブインが1軒あるだけで、ホントに何も無い場所、草原と木々だけの世界。
これに雪が積もったらホワイトアウト!考えただけで空恐ろしくなる。
ロシアを目指しての耐寒訓練であったのだろうが、何と無謀な事を・・。
 映画、八甲田山死の彷徨のフレーズ「天は我々を見放したか・・!」を、思い出した。
 
 八甲田山


 八甲田山ロープウエーに乗る予定でいたが、ガスっており、天候が良くなかったので
取り止めにして、山を下りたが、ドライブインでカレーを食べ昼食とした。コップに
水を入れ、その中にスプーンが差してあったのが、何とも久し振りの光景で、懐かしさ
さえ感じてしまった。グラスにスプーンの差し込まれたカレーを食べたのは何十年前の
事だろう・・タイムスリップした瞬間だった。

 りんご園


 道路脇に立っていた看板に誘われりんご園に立ち寄った。
蜜の入った富士を購入し送ってもらったが、安くて美味しかった。

 ねぶたの里




 何軒かある「ねぶたの里」の中から、ここを選んだのは、祭りの体験が出来たからだ。
体育館をくっつけた様な建物の中には、祭りの屋台が並んでいた。豪華絢爛と云うより
質実剛健の方が合うだろう。針金、木材や和紙を使い歌舞伎物を表現する手法は素晴らしい
伝統工芸だ。15時にショーが始まった。腹に響く太鼓、心地よい横笛の演奏、屋台を
引き出し、皆で遊んだ。短い間であったが、ねぶた祭りの雰囲気を味わった。
 8月の繁忙期に開催される祭りなので、リタイアしないと無理だが、一度は訪ねて見たい
祭りだ。

 目の前に陸奥湾が広がる、浅虫温泉ホテルへ宿をとった。


----- 31日 -----

 青森県・浅虫温泉ホテル

 目前に陸奥湾、手前の島は裸島、奥の高い山は岩木山。

 棟方志功記念館 


 作品の中に「いろは・・」の文字をデザインしたものがあったが、文字の中へ
それぞれにデザインを変えた模様があり、その種類と多様性に驚いた。また、館内
ビデオで描くスピードを観て、やっぱり棟方志功先生は天才だ!と、確認した。

 三内丸山遺跡


 大型縦堀跡や道路など、縄文時代に完全な町を形成している事に驚いた。
  
 アスパル


 近代的な建物ではあるが、中がガランとしていた。唯一、津軽三味線の
実演を聞けたのが良かった。

 アウガ


 昨晩、お酌に来たお姉さんに教えて貰った店だが、店と云うより街だった。
地下は広〜い市場になっていた。外は寒いので、この方が買い易いし、売り易い。
普通のデパートと違って、新しい方向性ではないだろうか。これだけのスペースを
良く纏め、造り上げたものだ。中へ入っている商店でカニを買い送くったものを
食べたが、偶々だろうが今まで北海道で買った、それより一番美味しかった。

 11月中旬にはテレビで酸ヶ湯温泉に雪が降ったとニュースで流れた。
八甲田山、十和田湖は雪に覆われている事だろう。今まで気にしなかった街の
名前がテレビに出ると見てしまう。これも旅行の効果だろう。
 もっと、もっと知らない街を訪ねてみたい。


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