パインツリー・オーナーの旅行記

この掲示板に、
オーナーの旅行記・・・旅行に出かけたつれづれを書いてみました。
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オーナー Saturday, 10/20 15:15

西伊豆旅行! 平成30年8月26・27日

          ----- 行   程   表 -----
 8/26(日)
11:30 パインツリー発 → 13:15  清水港 →  駿河湾カーフェリー → 14:25  土肥港 → 西伊豆クリスタルビューホテル


 8/27(月)
9:00 ホテル発 → 10:00 中木港 → ヒリゾ海岸 → 12:00 下田市 → 16:30 富士吉田市

 今年は1月に父親と叔母が亡くなり葬式を出しました。8月26・27日は、この地方で最大の祭り
”吉田の火祭り”が催行されますが火祭は清浄であることが求められ、特に死はケガレとして避けられます。
江戸時代の『富士日記』には(薪を用意せず)「残れるは忌み有る家のみなれば」とあります。家の中で
じっとしているか?家を出て旅行に行くか?の選択を要求される訳です。

 『甲斐国志』には、「此村忌服アルモノハ、忌服令ニ拘ハラス、仮令ヒ忌服前年ニアリテモ一年ノ間ハ
社参ヲ止メ、祭前七月十七八日迄ニ他所ヘ出行キ、祭日ニ逢フコト能ハズ、篝火ヲ挙ゲズ、祭終リテ漸ク
家ニ帰ル、之ヲテマニ出ルト云」とあります。不幸があることを「ブク(服)がかかる」と呼ばれております。
 ブクの家の者は、火祭の神輿や火を見ることを避けなければなりません。ブクの年の火祭には忌みのために
火祭に支障があったり、不幸が起こってはいけないので、泊まりがけで町の外の親類の家や旅行に出かけます。
これを「テマ(手間)に出る」と言い、近所の家からその家に対してテマ見舞いとしてうどん粉やそば粉などを
タマアブチという漆器桶に入れて贈られました。テマに出るとき着てゆく着物を「テマ着ともよびました。
テマに出た人は、火祭が終わった日の朝には帰ってきました。また、上吉田から逃げずに家に閉じこもって
火祭をやり過ごすこともあり、これをクイコミといいました。 北口本宮冨士神社HPから

 そんな風習が伝わるこの地です。例に従いカミさんと共に伊豆へ逃れる事と致しました。さて、伊豆と
云っても広うございます、予約は前日、夕焼けと海の綺麗な西伊豆のホテルを2軒目の電話でゲット予約した。

 清水港フェリー乗り場



 雲見海岸

  ヒリゾ海岸



 何気なくホテルの部屋で夕日を見ていたら、「テマ(手間)に出る?」吉田から逃げるのは何故?と疑問が
浮かんだ。葬式は家の一大事である葬儀に3〜6日、毎週7日、49日、そして1周忌と故人を亡くした
悲しみもそこそこに慌しく1年が過ぎて行く。家に残った、そんな家人を古人(いにしえびと)は、何とか
休ませてあげたい、公に旅行にも行かせてあげたいと、叡智を絞り生み出したシステム。それが「テマ
(手間)に出る」。もし、そうだったら、何と素敵で素晴らしい風習だろう、などと西伊豆の地で、つらつら
考えるのだった。  

 翌日は奥伊豆、中木のヒリゾ海岸を訪ねた。この地は、今まで何十回も伊豆に来ているのだが初めてである。
中木の看板を右折すると係りが3人立っており、近くの空き地に車を止めるよう案内された。カンカン照りの中
徒歩で500メートル程歩かされると、漁港の近くに瀬渡し船の案内所がありチケットを購入し、船乗り場に
並んだ。瀬渡し船はピストンで行ったり来たりを繰り返しているので1回待ちで乗船出来た。船に乗ると5分程で
ヒリゾ海岸に到着したが、凄い!海岸は人とテントで一杯だ。取り合えず見ただけで船に乗り帰って来た。
ヒリゾ海岸は超有名なシュノーケルポイントで透明度を誇る水道となっている。夏の終わりの月曜日に
この、混み具合だ、夏の土日は車を止める所が無くなるだろうな。

 夏の終わり、思い掛けずカミさんと手間で出掛けたが、良き休暇となった。留守を守る専務夫婦に感謝だ。


 





オーナー Thursday, 8/9 19:05

平成30年度 観光サービス部会研修旅行・福島原子力第一発電所 平成30年6月17・18日

        ----- 行   程   表 -----
6/17(日)

 6:00 商工会議所発=<中央道>=八王子JCT=<圏央道>=久喜白岡JCT=<東北道>=白河IC=塔のへつり(見学)

  =大内宿(見学・昼食)=白河IC=<東北道>=郡山JCT <常磐道>=いわき中央IC=常磐湯本温泉スパリゾートハワイアンズ(泊)

6/18(月)

 8:30ホテル発­­=いわき中央IC=<常磐道>=広野IC=福島第一原子力発電所(研修・見学・昼食)=広野IC=

  =<磐越道>=小野IC=太陽光発電設備CATV富士五湖(見学)=矢吹IC= =久喜白岡JCT=<圏央道>=

  =八王子JCT=<中央道>=商工会議所着   20:20

    宿泊場所  福島県いわき市常磐藤原町蕨平50 ホテルハワイアンズ  





  塔のへつり
塔のへつり(とうのへつり)は、福島県南会津郡下郷町にある景勝地。河食地形の奇形を呈する好例として
国の天然記念物に指定されている。「ヘつり」とは会津方言で、川に迫った険しい断崖のことである。
 大川が形成する渓谷で、大川羽鳥県立自然公園の一角を占める。1943年(昭和18年)、河食地形の特異例
として国の天然記念物に指定されている。一帯は第三系凝灰岩凝灰角礫岩、頁岩などが互い違いになっており
その軟岩部が長年の歳月による侵食と風化の作用によって形成された柱状の断崖である。一帯は樹木に覆われ
ており、新緑や紅葉の頃は一際美しい。(ウイキペデイアより)





  ー 大内宿 ー
大内宿(おおうちじゅく)は、福島県南会津郡下郷町大字大内にある、江戸時代における会津西街道
下野街道の「半農半宿」の宿場の呼称。明治期の鉄道開通に伴って宿場としての地位を失ったが、茅葺屋根の
民家が街道沿いに建ち並ぶ同集落の通称、あるいは観光地名として現在も受け継がれている。1981年(昭和56年
に重要伝統的建造物群保存地区に選定され、福島県を代表する観光地の1つとなっている。なお、当地の方言
である会津弁で大内は「おおち」(歴史的仮名遣い:おほち/あふち)と発音・表記されるため、標準語・共通
語の「おおうち」との対立がある。また、以前の記録では天正18年(1590年)伊達政宗の小田原参陣、
同年の豊臣秀吉の奥羽仕置きに当宿場を通行した記録がある。(ウイキペデイアより)






 江戸時代の街並みを今に残す「大内宿」。下野街道の両脇に藁葺き屋根の古民家が30軒程並び、目を
閉じると大名行列の「下に〜〜!下に〜!」の声や、往来する旅人の息遣いが聞こえてきそうな佇まいである。
 13時を過ぎ、チョットだけ遅い昼食を三澤屋さんで取った。勿論メニューは名物のネギ蕎麦セットだ。
以前、TVの旅番組で見たが、蕎麦のお椀の縁に青ネギが1本鎮座する様は豪放で合理的、1本ネギを
箸のように使い、蕎麦を食しながらネギをかじるスタイルには驚いたが、これも良かろう!辛くしたければ
余計にネギをかじれば、誠に合理的で都合良い。緑の葉を残し白い部分を全部食べつくし、大内宿を
味わったが、後から口内がヒリヒリとして2度味わう事になるとは思わなかった。







 ー 常磐湯本温泉スパリゾートハワイアンズ ー




 映画の「フラガール」を見てから、いつかは行ってみたいと思っていた場所で、今回、来られて良かった。
ハワイアンズは、ひと言で言えばハワイをイメージした巨大テーマパーク!広い!広い!食事へ行くのに
ホテルの中で迷子になりそうである。食後に行ったハワイアンショーは出演しているのが日本人?くらいで
腰の振り方、ショーの構成も25年前にハワイのショータイムで観たものと同じで、どこか懐かしさを感じた。
ダンサーの中に蒼井優と山崎静代が出演していないか探したのは言うまでもない・・・ショータームは
あっと言う間に過ぎた。 

  ー 福島第一原子力発電所 ー


 観光サービス部会に、事故を契機に部会を休んでいた東電さんが復活、そこで事務局と部会長が今年の
研修旅行先を福島第一原子力発電所と決め、東電さんにオファーしたところ快く承諾して頂き、研修先と
なった。富岡町から大熊町へ入ると街の雰囲気は一変する、帰宅困難地域の通り沿いにある民家の入り口には
バリケードがしてあり、我が家の近くにある黄色い看板が目印の「幸楽苑」も草に取り囲まれ、まったく違う
印象に7年の時の重みを感じた。
 バスが脇道でUターンする時、草むらの中に土地改良を記念する石碑があった。この石碑を建てた時
この地域の方は、どれほど喜んだ事か窺い知る事が出来る。この土地で美味しいお米を向こう何十年も作り
続ける為の苦労が、3,11に気泡の如く消えうせ、自分達まで帰宅困難地域となり、追い出されるはめとなって
しまった。可哀想過ぎる。福島の皆さんは強い、もし自分達が、このような環境に置かれたらと考えると、とても
冷静ではいられない。困難を克服し、生き抜く力を持つ皆さんに敬意を表したい。 




 発電所の視察は富岡町の東電施設から始まった。施設の中で大まかな説明を受け、携帯電話・カメラは
この施設に置いて行く事になった。気張って、撮ろう!と思っていたのが拍子抜けになってしまった。

 送迎のバスに乗り、原発発電所迄行き、入退域管理棟へ入る。まずは入り口ゲートでチェックだ、ゲートは
まるで競馬のスタート用具に似ている、柵が開き一人ずつ一人用ゲートに入るとチェックされ奥の柵が開き
隣室へ入る。さらに、もう一回、今度は病院にあるMRIを縦にした器具が並び、順々に狭い中へ一人ずつ入り
渡されたタグを所定の位置にかざすと扉が開き、やっと施設内へ入所出来た。物々しいセキュリテイーである。

 バスに乗車し構内へ入るとALPSと呼ばれるタンク郡が目に飛び込んで来る、施設内のほぼ1/3を占める
タンク郡は巨大で圧倒されそうだ。施設内は津波や爆発の面影はあまり無く、片付いており、凍土壁の機械を
観ているうちに2号機原子炉建屋前に来ている。建屋まで直線距離30メートル、テレビで見た、あの原発だ。
建屋の周りは外壁で囲んであるので面影はないが、大きく開いた入り口の奥に、あの水色の外壁は見覚えある。

 この原発が、あと5メートル高い位置にあれば・・・原発内で使用していた電源が400ボルトではなく、通常
日本で使われている200ボルトか100ボルトであれば・・・、そして民主党の管総理大臣でなかったら・・・
こんな事にならなかったのではないか・・・残念でならない。どれだけの人々が辛苦を舐めさせられた事か・・・

 1日4000人以上の人が廃炉に向けて作業をしているが、廃炉は30年〜40年先との事だ。何気なく
電気を使っているが、福島県の皆さんに思いを寄せたいと思わざるを得ない。過日、新聞に載っていたが、
政府は汚染水を処理した後に最後まで残った放射性物質トリチュームを含んだ水を貯めているタンクを撤去し
トリチューム水を処分する方針を固めた事が7月11日分かったが、処分と云う事は海への放出しかない。
現在680基、貯蔵量89万5千トンに上り、政府の小委員会において議論されているが原子力規制委員会の
更田豊志委員長は「海洋放出が唯一の方法」として東電に早期実施を迫っているが、海への放出は沿岸の
漁師から始まり、環境破壊を恐れる世界中の国々からブーイングを受ける事にならないか危惧されてならない。

15年間、観光サービス部会の研修旅行に参加しているが、今までで一番重く、辛い研修だった。


  
          武川部会長の会社で運営している太陽光発電所を視察した。       


オーナー Friday, 5/18 21:28

     浜松「ぬくもりの森」 平成30年5月15日 

 連休も終わり一段落、カミさんを連れて浜松「  ぬくもりの森  」へ出掛けた。
「ぬくもりの森」は以前SNSで見つけ、気になっていた施設だ。聞くところによると年間16万人の
観光客が訪れるという。現在、 富士吉田市剣丸尾西土地区画整理組合 の理事長を拝命しており、出来たら
組合事業地にお招き出来ないものだろうか?と考え、視察兼、売り込みも・・・などと考え、出掛けた。







 「誰も見たことのない夢の世界を創りたい」と願い、佐々木茂良氏が創った「ぬくもりの森」。 
レストランドゥスールの窓枠に置かれた小物や、窓見える景色を計算して作られたファンタジーの世界。
水車小屋やギャラリーの配置は実に絵になる。レストランの個室から見える美しい光景から生まれ、今も
ゆったりした時間と共に流れている。木漏れ日の降る中庭は緑に覆われ、ウグイスが鳴く。

 佐々木氏は2016年、施設の完成を見ることなく逝去したが、建物に込めた想いや意思、建築への
こだわりスピリッツは創造力と共に、今も、ぬくもり工房のスタッフに受け継がれている。
  メルヘン感が凄い非日常空間、それが「ぬくもりの森」。









 食事のコースも終盤、コーヒーを飲みながら係りの子に名刺を渡すと、感じ良く対応してくれ
インフォメーションを訪ねるよう案内してくれた。丁度、係りが席を外しているとの事で名刺を渡し
「ぬくもりの森」を後にした。
 駿河湾SAで休んでいるところへ電話が入り、話の向きをさせて頂いた。食指を示して貰えると
良いのだが・・・。

 
 


オーナー Wednesday, 5/9 19:14

    チーム松山「大人の遠足」  平成30年5月6日 



 所属するチーム松山、春のイベント「大人の遠足」は7名の参加で行われた。富士山駅から9時48分発の
上り電車に乗車、下吉田駅に降りたが、各人トーマス電車に興奮しテンションも子供の様に上りっぱなし。
まるで観光客の様にホームでカメラをアチコチに向け撮影会の様相を呈していた。それのそのはず、皆富士山駅
から電車に乗るのは何年・いや何十年振りなのだから・・・。



 下吉田駅で本日歩くルートを開拓した「富士見の会」3名と合流、ガイドをして貰った。挨拶を済ませ、
下吉田駅から新倉浅間神社を目指すと、神社の登り口石段辺りから外人さんに出会う。今日は連休の最終日、
観光客は少ないと踏んでいたが、その考えは簡単に覆させられた。境内を歩き、神社にハイキングの安全を
祈願、咲耶姫様の階段(398段)を登る。途中、右手のカラマツ林から春セミの鳴声が聞こえた。今年は
異常だ、桜の開花も早いがセミの鳴声も2週間は早い気がする。



 階段を100段程登ると、相変わらず運動不足なのだろう、ふくらはぎから大腿の後ろ辺りに乳酸の貯まりが
早い、93キロを持ち上げるエネルギーのカス、乳酸は、そんなとこなのだろう?と考え、ボツボツ休みながら
階段を上る。東屋で休憩だ、後ろを振り向くと青空の下に御山が鎮座し、富士吉田の街並を配している。左上
には綿菓子に似たツルシ雲が浮かんでいる、長閑な情景が目の前に広がる。
 


 少し休み、忠霊塔裏の写真スポットに移動すると、雛段には外人がたむろし絶景を楽しんでいる。我々も
負けずに並び、絶景と共にファインダーに収まった。このオヤジ一行が眼下の街の住人とは誰も気が付かない
事だろう。 良く考えると、毎年10年以上塔裏から撮っていた桜と五重塔の情景を、今年は一度も撮らなかっ
た。こんなふうに観光客が訪れる日を夢見て塔裏からの風景写真を発信して来たので悔いは無く、嬉しいが
実を言うと、やっぱり、少し寂しい気がする。昔は桜の咲くシーズンでも車で塔前駐車場まで来れたのに、
年を拾い、膝が車を要求する時になって、三脚を担いで398の階段を登るのは・・・辛い、などと考える
のは私だけではないだろう。「有名になりやがって・・・!」と、お嘆きのカメラマンさんには、ホント!
申し訳なく思う。

 富士見の会の皆さんに案内されて「アヤメ平」まで上った。丁度今日は、アヤメを保護し見守る地元の
団体「アヤメの会」の奉仕日で、各々手に掃除道具を持った皆さん10名余りとすれ違った。道具を持参して
「アヤメ平」迄、登っての作業、本当に頭が下がります。その甲斐あって6月にはアヤメが綺麗に咲き誇り、
富士とアヤメの共演を観る事が出来るだろう、感謝だ。



 アヤメ平と塔上の東屋の中間地点に「富士見の会」が開拓整備して下さった新ルートの分岐点があった。
コースは幅が50センチ程あり、坂がきつい所は10センチ程の丸太を階段状に並べ足が滑らないにして
あった。コースの両端に生えている木々の下枝も落としてあり、通行に支障は無かった。10分程下った所に
墓石が散らばっている場所があり、墓石には名前も年代も刻まれ明治15年がはっきり読める、隠し墓地?
かも知れない。人里から離れた山中に、そして、折角の墓石が倒れ、傾き、落ち葉に覆われ、参拝の気配さえ
無い。完全に忘れ去られている状態を見て悲しくなり手を合わせた。

 我が松山にも 隠し墓 があるが、毎年、入会組合で墓地の草刈をして線香を焚き、坊さんに経を読んで
貰っているが、こうした隠し墓は、他地域には無いのかと思っていたが、やっぱりあった。流行病で亡くなった
者を村中の墓地に埋葬出来ず、捨てる様に葬り去る場所、隠し墓。出来たら、これを機会に供養して貰えたらと
願ってやまない。  

 どんどん下って行くと、御山の観える場所に丸太のベンチが設置してある、これはハイカーにとって
嬉しい お・も・て・な・し だ。 尾根の先端にある崖を回り込むと、もう直ぐ孝徳公園だ。この場所は
春はサクラと御山、秋は紅葉の撮影ポイントで、カメラマンにとって富士吉田市内の2番人気の場所である。

 などと話をしながら山道を下ると中央道の側道へ出た。中央道のトンネル通路を通り、左折すると葦之池
(よしいけ)温泉だ。こちらの池にある葦を使い小室浅間神社で毎年1月14〜15日に行われており
大釜で粥と葦の筒を入れ、葦の筒に入った粥の量で、その年の方策や富士登山者数を占うもので800年
以上続いていると云う。その葦之池から名前を頂いた「葦池温泉」ひなびた情緒ある温泉だ。早速、入湯料
600円を支払い風呂に入る、天井の太い梁が好印象を残すが、シャワーが無いのがマイナス点だ。 
広間でビールとうどんを頂き反省会、メンバーで考徳公園を知らない方もいてチョットびっくり、情報発信は
し過ぎるくらいするのが丁度良いのかも知れない。デイスカバリー富士吉田、まだまだ知らない事ばかり
「大人の遠足」は楽しかったのだ〜♪ 葦池温泉から葦池温泉駅まで徒歩5分。14時28分発、河口湖行きの
電車に乗車、富士山駅にて「大人の遠足」は終った。



オーナー Sunday, 10/29 18:17

 八友会親睦旅行 ”房総を訪ねる旅”  平成29年10月15日〜16日

      =15日=  行 程 表
 
08:00 満君宅集合出発   中央道から圏央道へ 茅ヶ崎JS

10:00 江の島散策  
   
12:00 久里浜・金谷フェリー

13:00 鋸山ロープウエー
  
14:00 館山海軍航空隊赤山地下壕跡
      
16:00  満ちてくる心の宿 吉夢(きちむ) チェックIN   04-7095-2111

18:30  宴会
       
       =16日=
 
09:30  ホテル チェックOUT 

10:00  誕生寺  
  
10:30  勝浦朝市 

11:30  かつうら海中公園・海中展望塔

13:30  アウトレットパーク木更津

14:30  海ほたる・アクアライン

18:00  富士吉田

 富士吉田市松山地区の幼馴染の会、八友会の旅行で、今回は岡村君と二人で旅行幹事だった。
過っては18名いた仲間が3人亡くなり、3人が会を止めた。毎年、春は平日ゴルフ、秋も1泊泊りの
ゴルフ旅行だったのだが、昨年からゴルフが出来ない方が増えたので、普通の旅行になってしまった。
今回の旅行もドタキャンがあり、寂しいかな12名中9名の参加で実施した。

 天気予報は連日雨の歓迎を受けて、予定は大きく狂ってしまい、江の島散策、鋸山ロープウエー、
かつうら海中公園海中展望塔はパスしてしまった。

 海老名SA 


金谷フェリー乗り場

 旅の中で乗り物を変えると、それだけで旅の雰囲気が変わり、また運転手にも優しいベストな
チョイスだろう。幹事としては皆に楽しんで貰えるよう色々と考えなければいけない。
 天気が悪い割には船は揺れずに進んだ。浦賀水道は日本一の混雑海道だ、中ほどで大型客船と
出会ったが、その船の名前は分からない。船名を調べるべく、ちょっと大型船クルーズを検索したら
船の数の多さや魅力的な商品を見て、船旅をしたくなった。

食事処”栄丸”  

 12時30分、木更津へ着いた。千葉と言えば浜焼きだ、入店すべく港近くにある1軒目に
入ったら1時間30分待ちとの事で諦め、2店目を検索。グーグル先生に”近くにある浜焼きの店”を
訪ねると、進行方向3キロにあった。ナビに電話番号入力してGO! この店も混んでいた。やはり
1時間30分待ちと云う。諦めて道路沿いで見つける事にした。少し走ると入り江の向こう側に黄色い
屋根に”食事処”の文字、近づくと、外見は怪しい雰囲気だが空いている。空腹に負けて入店したが
当たり!刺身の盛り合わせも美味く、ホウボウの煮つけ、キンメの煮つけも美味く、皆大満足で
店を後にした。

館山海軍航空隊赤山地下壕跡

 館山市内自衛隊の近くに地下壕はあった。本格的にヘルメットを着用して入洞する。規模は以前行った
事がある松代大本営後と一緒位だろうか、中は何本ものトンネルが掘られていた。一枚岩を手彫りで
掘ったのだろう無数のノミの跡が先人の苦労を物語っていた。

ホテル吉夢 

 ホテルは誕生寺の前にあった。部屋も食事も皆に及第点を頂き喜んで貰った。コンパさんは
予約時35〜40歳位で場持ちの良い方、とリクエストしたが、顔・体型はともかく、八友会と
しては珍しく1時間の延長をした事で、まあまあ喜んで貰えたと理解した。

誕生寺

 8時30分、ホテルを後にして、前の誕生寺を訪ねた。
日蓮上人が誕生した寺、本堂の欄間が見事、名刹である。その後、勝浦へ回り、日本三大朝市と
言われる勝浦の朝市を訪ねたが、雨と言う事もあり、三店の出店しかなく車で見学通り過ぎるだけ
だった。 

木更津アウトレットモール

 木更津アウトレットモールを訪ねた。雨はたいした事ないが風が強くドアを持って行かれる程だ。
初老のジジイにアウトレットは似合わない30分程見て終了。昼飯だ。

 昨日、魚を食したので、今日は肉。早速、検索10分程の店に入店。1480円のセットを
頼んだが、盛りだくさんの種類が出て、やっと完食。その勢いの無さに八友会のメンバーも
年を取ったもんだと実感した。

海ほたる

 海ほたるに立ち寄った。久し振りだ、4階の土産店で買い忘れた土産を買い込んだ。
1年に一回出掛ける同級生の旅行だが、全員の参加は難しい。また、減る事があっても増える事はない
同級生、健康に気遣いし、また来年、出掛けたいものである。


オーナー Saturday, 10/7 19:38

  小布施1泊旅行 平成29年9月27日〜28日

 ここのところ暇になった。なると決まってカミさんが言い出す、「どこか連れてって・・・!」
先週、NHKの放送で葛飾北斎の番組が流れ、小布施の岩松院にある天井画「鳳凰八方睨み図」を見た。
「これどう!見に行かない?」一声で決まり、宿はネットで調べ26日の晩に予約した。



 8時40分、出発した。途中SA2カ所で休み、12時には小布施に到着、3回目の訪問である。
早速、スマートインターからハイウエーオアシス小布施に入り、土産を買い込んだ。訳ありで明日は
買い物時間が無いからだ。買い物を済ませ、まずは曹洞宗・岩松院へ向かった。




 岩松院は初めての訪問でTVで見るまで知らなかった。寺は山裾の傾斜地に静かに佇んでいるが
TVの影響のせいか、平日にも拘らず訪れる人が多い。

 岩松院HP

 早速、本堂に上がり天井絵を観た。160年以上前に書かれている訳だが、とにかく色彩の発色が
綺麗で驚いた。当時150両の顔料が掛かったらしいが、やはり良いものを使うと違うな。10分
以上天井を眺めていたので首が痛くなった。
 境内には豊臣秀吉の家老であった福島正則廟があったり、小林一茶が寺を訪れ「痩せガエル 負けるな
一茶 ここにあり」とカエル合戦を詠んだ池もあった。昔から小布施は文人墨客を引き寄せる
魅力があった事が忍ばれる。




 小布施の街は、相変わらず平日にも関わらず混んでいた。以前と比べると観光客の中に中国人が
多数含まれているのが様変わりしたところかな。良く修景された街を散策するのは楽しい。街の
ご神木であろうか?中心地にあるメタセコイアの巨木下に延びる栗の小路の歩道には、角材が敷き詰められて
おり、コンクリとは違って足に優しく感じた。歩道脇を清水が流れ、季節の花々が咲き誇り、爺婆心を捉えて
離さない。小布施信用金庫の建物も街並みに同化しており、近づかなければ信金とは分からない。




 高井鴻山記念館へ立ち寄った。
鴻山は15歳から16年間、江戸・京都を遊学し学問や芸術を修めたが、高井家は北信濃の豪農商であり
財政的にゆとりと、また先見性があったので、子息を遊学させたり、葛飾北斎を住み難くなった江戸から
呼び寄せ小布施に住まわせ支援した。鴻山は北斎を師と仰ぎ、北斎は「旦那様」と鴻山を呼び交流が
続いたという。そんな鴻山や北斎の息遣いが今も感じられる街小布施、そこに魅せられ、今も沢山の
人々が訪れるのだろう。




 
湯田中温泉・よろずやへ泊った。
桃山風呂が有名で、庭園風呂の端から風呂の建物を眺めると、まるで神社の様相だ。唐破風の屋根が
乗り豪壮。作られた当初は檜の匂いと無色透明でサラリとした温泉でお客様を癒した事だろう。

 一泊旅行は忙しい!?翌日の13時から所要が入っている事もあり、9時にはホテルを後にした。
毎日忙しく仕事に追われているが、その中で、たとえ一泊でも家を離れ外に出掛ける事はストレスの
解消になるのだろう、帰路、カミさんの顔が満足そうに見えたのは、普段迷惑を掛けている私の
独りよがりなのかも知れない。


オーナー Thursday, 9/28 18:49

  富士吉田市商工会議所観光サービス部会視察研修旅行 平成29年7月9日〜10日

9日 7:00  商工会議所出発      バス

   11:30  山ケ根山         殉国七士廟お参り

  13:30  昼食         

  14:00  刈谷PA  
 
  16:00  師崎港           渡船           

  16:10  日間賀島          大海老 


10日 8:00  ホテル出発

    9:40 レゴランド・ジャパン研修
    
   13:20 名古屋高速〜新東名〜

   17:30 富士吉田市      

 毎年、恒例になっている観光サービス部会の先進地視察地は、4月の定例会で提案が通り
ルートの中に” 殉国七士廟 ”へ参拝する事になり
事務局提案で、翌日、4月にオープンしたレゴランドで社長の講演を聞ける事になった。
      
 新しくなった駒門SA

 7時集合出発、13名の会員を乗せサロンバスは出発した。このサロンバスが問題だ、バスの後方座席が
テーブルを挟んで向かい合わせになり、丁度、研修は明日なので出発と同時に宴会が始まった。宴会が始まると
トイレも近くなる最初の休憩ポイントは出来たばかりの駒門SAだ、国道246号からも入れるし、道の駅の
機能もなしている。駐車場の向こうに御山も見えた。 


    
    

殉国七士廟(じゅんこくななしびょう)は、愛知県西尾市東幡豆町の三ヶ根山頂きにある廟で
大東亜戦争開戦時に日本国の指導的立場にあった人たちです。日本の敗戦により「A級戦犯」の
名のもとに裁かれ、遂には絞首刑を宣告、執行され亡くなりました。殉国七士とは以下の方々です。

東條英機氏 (元首相・陸軍大将)
土肥原賢二氏(元陸軍大将)
広田弘毅氏 (元首相)
板垣征四郎氏(元陸軍大将)
木村兵太郎氏(元陸軍大将)
松井石根氏 (元陸軍大将)
武藤 章氏 (元陸軍中将)

 東京裁判弁護団のスポークスマンを務め、殉国七士之墓の建墓委員長だった林逸郎氏はこう述べています。

「その表面には、あえて殉国の二字を用いた。その理由は、あの悲惨な敗北に終わった戦争の本質を解明
したいからだ。あの戦争は、日本が、不当な侵略戦争を不意にしかけたものではなく、アメリカを主軸とする
各対戦国が、多年にわたって、日本に圧迫を加えてきた結果、その圧迫に耐えかねてやむなく防衛のために
立ちあがったものである。
 日本だけが勝手に起こした侵略戦争であるかの如き逆宣伝したのを信じている内外人の目を開き、戦争の
起こったほんとうの原因を究明して、永久平和の確立のために少しでも寄与したいからである。」

「理論も、証拠も一切無視して、ただただ、日本だけを悪いものにしようと努力したのが東京裁判であった。
一種のまやかし裁判であるが、敗戦便乗主義によって、各方面が指導されていた日本人が、まんまとこの
トリックに引っかかってしまったのである。このような裁判にかかり、戦争犯罪者と名づけられて、死刑の
宣告をうけ、巣鴨や東亜の各地で散って逝った人々をふくめて、これが戦争の犠牲者でなくてなんであろうか、
と強く主張したいのである。あえて『殉国七士之墓』と銘記せずにはいられなかったゆえんである」

 東京裁判は、大東亜戦争の戦争責任を追及する裁判として、アメリカ・中国・イギリス・ソ連・オースト
ラリア・カナダ・フランス・ニュージーランド・インド・フィリピンの11カ国が判事を出して行なわれた
裁判でした。起訴は昭和21(1946)年4月29日に行なわれました。4月29日といえば、昭和天皇の誕生日
です。それだけみても意図的な報復裁判であることがあきらかです。さらにいうと、27億円の裁判費用は、
日本政府が全額供出させられています。当時の日本が、終戦直後で、全土が焼け野原、世界の最貧国同然
だったにもかかわらず、です。東京裁判は、昭和23(1948)年11月4日に、判決の言渡が始まり、11月
12日に判決言渡が終了しました。

 判決は、法治社会にあってはならない事後法(事件のあとで作られた法、法律には不遡及の原則があり、
法のできる前の事件は裁けないのが原則)に基づく一方的なものでした。

 東京裁判そのものの欺瞞性や経過の不透明性は、多くの人が述べているとおりです。
審議においても、弁護側が提出した証拠資料はほとんどが却下されましたが、検察側の証拠は、たとえ伝聞で
あろうと採用されました。さらに、当時の日本の言論機関は完全に占領軍の支配下にあり、法廷の真実が世間に
伝わることはありませんでした。そのような状況のなかで、日本側弁護団は切歯扼腕しつつも可能な限りの
反論を行いました。しかし、この裁判の結論は最初から決まっているものでした。東京裁判は「勝者の裁き」
「復讐のための裁判」に過ぎないものだったのです。(ねずさんのブログから)

 東京裁判弁護団の副団長で、東條元首相の弁護人でもあった清瀬一郎氏は、こう述べています。

「われわれ東京裁判に関係した者は、東京裁判の正確なる事実と、透徹した批判を、後世に伝える重大責任を
負担しておるのであります。なぜかというに、この裁判最中に毎日、流されていった法廷記事なるものは、
半分ほどは嘘でありました。司令部が新聞を指導し、いかにも日本が悪かったのだ、日本軍人は残虐行為
ばかりをしておったのだと、日本国内は無論のこと、世界のすみずみまでにゆきわたらしめんとしました。
しかもわが方としてはこれに対抗する手段が封ぜられておりました。

 死刑の執行は、判決の翌月である昭和23(1948)年12月23日です。この日は、当時皇太子殿下で
あられた今上陛下のお誕生日です。ここにも意図的な報復を感じます。裁判の開廷の日、刑の執行日に、
我が国のもっとも大切な陛下のお誕生日をそれぞれ宛てる。この裁判が、いかに異常な報復行動で
あったかを象徴しています。

  昭和天皇の墓参り
昭和54年5月26日、豊田市藤岡で行われた植樹祭に昭和天皇がご出席になり、その際
近くに沢山宿があるのに、態々、山ケ根山グリーンホテルにお宿を取られました。
 グリーンホテルからはお墓が一望のもとに見る事が出来ます。翌日の早朝6時、陛下のご案内係りが
お部屋にお邪魔すると、廊下の窓際で、お墓に向かって直立不動のお姿で、立っておられる陛下を発見
その凛とした雰囲気にお声を掛けられず15分、その前からの時間を考えると・・・。
 翌年、11月8日、美智子妃殿下・礼宮様も同じ行動をされています。
  上記は若狭和明氏と東条英機氏孫由布子氏の会談から。



 




 16時、師崎港から瀬渡し船10分程乗ると日間賀島だ、周囲6キロの小さな島でタコとフグが
名物になっており、宴会料理に茹でダコが丸のまま出て来て驚いた。それをハサミで切って食べるのだが
食感が良くシコシコしており美味しかった。歯も健康でなければ、このタコを味わえない。
 特筆すべきは、この会としては初めてコンパさんを3人宴会に入れた。するとどうだ、日間賀の夜は
大いに盛り上がり、アッ!と言う間に2時間は過ぎてしまうのだった。やっぱり女性の力は偉大です。





 人気のサブマリン・アドベンチャー


 8時集合出発、日間賀島を後にレゴランドへ向かう。名古屋市金城埠頭エリアにあり赤白黄色青の
レゴカラーのタワーが目に飛び込んで来た。レゴランド社長、デンマーク人のトーベン・イェンセン社長が
お忙しい中、お話をしてくれました。英語で講演されるかと思い心配したら、母親が日本人とのことで
普通に日本語で話して頂き、安堵しました。

 レゴランドのコンセプトは2歳から12歳の子供さんと、その家族が1日タップリ楽しめる野外型の
テーマパークだ。すべての家族一人ひとりが最高の思い出を残すために・・・。子供たちがヒーロー
きみの「ワオ!」と「最高!」が待っている。

 このレゴランドは世界で8番目の施設で25年前に発想、金城駅に近く定住人口200万おり
駐車場も5000台OK、現在、250名宿泊出来るホテルを建設中で2018年にオープン予定だ。
ホテル客のターゲットは家族、2〜4人が来るから1室あたりの客単価が上がる、激しく同感である。

 7つのエリア、40以上の乗り物、ショーやアトラクションを備えたレゴランドはコンセプトが
しっかりとしているので集客は問題ないだろう。噂で高いと言われるチケットだがUSJは大7600円
小5100円、デイズニー大7400円小4800円、レゴランド大6900円小5300円となっており
妥当なところだと思うが、親子4人で遊びに来れば、遊園地に払う金額は簡単に3万円を超えてしまう。
子育てが終わったから良いが、今時の親は、何事にもお金が掛かって大変だ。

 駿河湾SA

 初めて7月に行った視察研修、この時期、暑さが気になったが雲に救われ助かった。研修が終わり
また後ろの席では宴会が始まった、ほんと皆、酒が好きで強い。サービス部会の旅行に参加して数は
15回位だろうか!?今までで一番に盛り上がった研修旅行、良き思い出と親睦になった事は間違い
ないところだ。次回から研修は翌日の午前中にしよう。多分、来年は福島行となるだろう!!
 早くも楽しみだ。

  

オーナー Wednesday, 6/14 19:42

   木ノ花会 金沢・能登を巡る旅 平成29年6月4日〜5日

4日 5:00  遠山宅集合出発      車

   8:12  東京駅出         北陸新幹線 かがやき521号

  10:47  金沢駅着         レンタカー

         長町武家屋敷・野村家住宅 → 西茶屋資料館 → 妙立寺( 行けなかった )
   
         → 近江町市場 → 兼六園・金沢城   
         
  16:00  のと里山海道 → 熊越道

  17:00  和倉温泉         ゆけむりの宿 美湾荘 076-62-2323


5日 9:00  ホテル出発

         能越自動車道 → 穴水IC → 輪島朝市散策 → キリコ会館

         → 白米(シロヨネ)千枚田 → 曹洞宗大本山總持寺租院 →

         巌門 → 氣多大社 → 千里浜なぎさドライブウエ― 
 
  16:30  金沢駅着         レンタカー返却 
 
                      金沢百番街(駅の中にあるショッピングモール)     

  18:09  金沢駅発         北陸新幹線 はくたか574号

  21:16  東京駅着         車

         中央高速道路 

  11:30  富士吉田着 

 木の花会は平成15年に松山地区にある松尾神社の総代職(1年間)経験者5名と、その奥方が
集った会で貯金が貯まったところで旅行に出掛けており、今年は金沢と能登地方を巡る旅に決まった。
 ツアーコンダクターは勿論、遠山トラベル。だが、名前が遠山トラベルではチョット恰好良くない
そうだ!Far(遠い)Mountain(山)からFMトラベルにしよう♪ 

 
      金沢駅                西茶屋街                 資料館             

 金沢駅西口にあるトヨタレンタカーへ行き、予約していたハイエースの10人乗りを借り、ナビを
セットし金沢の町へ繰り出した。まずはチョットだけ離れた西茶屋街だ、近くの駐車場へ車を止め
散策、風情ある街の一軒から三味線の音が流れている、本物ではなくスピーカーによるものだが、それでも
町屋にマッチして心地よく聞こえた。無料で公開されている資料館の中は吹き抜けになっておりハイカラで
モダンな感じだが、2階の和室は赤い塗り壁と漆で黒光りした床柱、螺鈿細工が施された座卓に優雅さと
気品を感じた。
 

    野村家住居跡

 次に長町武家屋敷・野村家へ立ち寄る。武家屋敷の間を大野庄用水が勢い良く流れており、土塀と
合い間って屋敷への侵入を防ぐ役目も担っていたものと思われた。ミシュランで2つ星の庭園は古木と
曲水、銘石とによって造られ、庭に高低差を使り出した手法は深山幽谷を想わせてくれる。




    野村家住居跡

 何気なく水盤に活けられた華に、また踏み石の見事さ、周囲に敷かれた竹に和のセンスを感じ
茶室で頂いたお抹茶に歴史の味わいを深く感じた。行程表では近くの”妙立寺”またの名を忍者寺へ
立ち寄る予定だったが12時を回っていたので、こちらは諦め近江市場へ向かった。

 
  大野庄用水                                       近江市場          

 12時を過ぎ、昼食は近江市場の中で食べようと決めていた。串焼きのウナギとドジョウを
食べたかったが、カミさんの目を気にしてパスした。ノドグロの開きも旨そうだ、こんな市場が
近くになくて良かった、あったら体重が100キロは超えていただろう。通りの中程、2Fにある
”市の蔵”で海鮮丼を頂いたが、刺身が肉厚に切ってボリュームがあり美味しかった。  



        金沢城                                       

 丁度日曜日、金沢城は100万石祭りで賑わっていた。花火でもなく散発して鳴る音に引き
寄せられるように、駐車場から100メートル程坂道を登り、石川門から金沢城へ入った。櫓には
唐破風造りの出窓が特徴的であり、銃座や石落としも付いて、さぞかし堅牢な守りだった事だろう。
三の丸広場から見えた五十間長屋は右に橋爪門続櫓、左に菱櫓を備える豪壮なもので、写真からは
伝わって来ないが、その巨大さに驚いた。河北門の近くにある新丸広場では、甲冑を着た武者が集い
火縄銃を撃っていたらしく、さっきの音はやっぱり火縄銃によるものだった。子供神輿も広場を
練り歩き、打ち鳴らす太鼓や掛け声が賑やかに祭りを彩っていた。

     金沢城三の丸広場  
 


                      兼六園                                霞ケ池

 その後、石川橋を渡り兼六園に向かった。入口の坂を登って行くと右手に根を何本も大地に張り巡らし
しっかりと地球を掴んでいるいるかのような巨木に生命力を感じた。兼六園は江戸時代を代表する池泉
回遊式庭園であり、岡山市の後楽園と水戸市の偕楽園と並んで日本三名園の一つに数えられている。
緩い坂を登り切ると超有名な霞ケ池と徽軫灯籠(ことじとうろう)が見えて来る。サツキも見頃、池の
脇にはカキツバタも咲き誇り、ゆっくり池の回りを巡った。最近流行りの結婚式前の前撮りに出会ったが
華やかな花嫁衣装のカップルは兼六園の緑に実にマッチングしており、本物のカップルだけでなく
中年カップルや日本に遊びに来ている外人さんにも貸衣裳を着させて写真撮り・・・なんて商売も
良いかも知れない、もうやっているかもね!? 風が無く、鏡のような霞ケ池にシンメトリーに浮かんだ
蓬莱島のカットがナイスショットだ♪ 帰り道、お城が見える茶屋で年甲斐もなくパフェを食した
疲労を糖分で、と・ろ・う・と云う朝知恵だが、窓から見えるお城と新緑の景色に癒され、宿への
ドライブの力が湧いて来た。予定時間から30分遅れで和倉温泉へと向かった。  

 
                               和倉温泉 ホテル美湾荘

 予定から30分遅れの17時30分、宿へ到着。
和倉温泉と云えば加賀屋、泊まってみたかったが貯金が貯まっておらず諦め”ホテル美湾荘”にした。
ホテルからの眺めは最高、七尾西湾の前に能登島、右には白い能登島大橋が掛かっている。 
どこに行っても'陽の出Love♪' 午前4時40分、能登島に昇る陽の出をゲットした。 
 
 
                                         輪島・朝市

 予定時間を30分早め、8時30分にホテルを出発した。
能越自動車道を北進するが、有難いのは高速道路、石川県は太っ腹、何と高速が無料なのだ。折角
セットしたETCカードが一度も鳴る事が無かった。輪島市の朝市では店のおばちゃんちとの会話が
楽しく、土産を買うとおまけもしてくれた。ついつい食い気に走ってしまうが、立ち並んだ店の中央
辺りに買った商品を持ち込み無料で焼いて食べれるスペースがあった、こう云う施設はホスピタリテイーに
溢れており、嬉しく有難い。持ち込み焼いて食べようと思ったが時間が・・・諦めて車に飛び乗った。


             キリコ祭り会館                    



 キリコ祭りはカラオケのバックに流れる映像で見て知っていたが、そのキリコの数と大きさは
やはり本物を見ないと判らない、担ぎ坊も漆で黒く塗られた輪島塗、柱に彫られた透かしの彫刻も
見事だ。五穀豊穣・豊漁・海の安全を願って古から続いて来たお祭り、伝統ある街には良き祭りあり。
キリコ祭りを生で見たくなった。 

 
    輪島・白米千米田                   曹洞宗大本山總待寺租院

 次に白米千米田へ向かう。道路の左側は時折断崖になっているが、道路の幅が広いので走り易い。
日本海も珍しく沖まで見える上天気、10分程で到着した。20度位の勾配傾斜地にビッシリと田んぼが
耕作されている。中には2坪程の田んぼ迄ある、先人が傾斜地と戦い耕して来たものだが、昔、田んぼを
耕作した事がある自分としては、効率が悪過ぎて気が遠くなりそうだ。そんな思いをしてまでも、この土地で
米を作りたかったのが解かった。


        曹洞宗大本山總待寺租院

 曹洞宗大本山總待寺租院は”能登に名刹あり”素晴らしいお寺だった。
平成19年3月25日に起きた能登半島地震で山門が歪み、現在修復工事中だったが拝観は出来た。
本堂の唐破風には見事な透かし彫りが施され、また本堂内の欄間にも、多分、この寺の謂れや教えが
透かし彫りになっておりガイドを付けて聞いてみたいと思った。今、本山の機能は横浜鶴見区に移して
いるそうだが、近いので機会があったら訪ねてみたい。

  
                           巌門               氣多大社 

 次に巌門を訪ねたが、こちらは岬の上から入り江を眺めるだけ。皆、お疲れモードで帰り道、階段を
登る事を考え、船着き場迄降りる元気がなく、只々見ているだけだった。船着き場からは、高台から
眺める10人の客が降りて乗船してくれるものと、船頭から熱い視線を感じるのだった。またね〜♪

 
                                                 千里浜渚ドライブウエイ

 能登一宮の位を持つ”氣多大社”には「入らずの森」があり、昭和五十八年五月二十二日、全国植樹祭に
昭和天皇がこちらにに行幸され、その時、入らずの森にお踏み入りになり歌をお詠みになった。
「斧入らぬ みやしろの森 めづらかに からたちばなの 生ふるを見たり」決してみだりに採取など
されない。それぞれの植物が、平穏に生存をつづけ、その場所の植物がいつまでも変わらないようにと
お祈りになり、聖域となっている森を持つ神社だ。



 千里浜渚ドライブウエイ、こんな道は山梨では考えられない道路だ。この地を最終観光地に選んで
良かった。引き締まった砂、遠浅の渚、打ち寄せる波、こんな上天気にバイクを走らせたら、どんなに
気持ち良い事だろう。途中の砂丘に屋台があった、サザエ・ハマグリ・etc、旨そう!立ち寄って
ビールを飲みながらパクつけたら、どんなに幸せか・・・運転手ツはツバを飲み込み走るのだった。


    金沢駅 

 16時40分、予定通り無事金沢駅に帰って来た。お世話になったレンタカーを返却し、1時間
金沢百番街ショッピングモールで買い物タイムだ、それぞれの夫婦が別れ思い思いに土産を買い込んだ。

 聡明で芯が強く、励まし上だったと言う まつ。鮮やかな采配で利家とともに加賀百万石を築いた。
街のアチコチに、ふたりから始まった加賀百万石ストーリーが散りばめられている金沢市内は、お城を
中心に、情緒風情があり、現在と過去が上手に同居し調和している素敵な街だった。
大野庄用水に掛かる橋を渡れば武家屋敷、駐車場から石段を下れば西茶屋街へと誘ってくれ、一瞬に
タイムスリップが出来る街だ。機会をつくり是非、今度は金沢市内をメインに訪れたいものだ。

 今回の走行距離485キロ、無事に帰れた事を能登の神々に感謝したい、良い旅を
ありがとうございました♪

  「 打ち寄せる 波の流末 踏み締めて 心遥かに 初夏の加賀旅♪ 」


オーナー Thursday, 1/19 12:29

   三河古戦場を訪ねる旅  平成29年1月16〜17日 

1月16日

   9:30 朝雄宅出発 → 139号線本栖回り 
  10:45 新東名富士IC
  12:30 新城IC → 設楽原歴史資料館 → 長篠城史跡保存館 →
        うな喜 →  大本山方向寺  →  
  16:30 舘山寺ホテル九重in 

1月17日 
 
   9:30 ホテル発 → 舘山寺 → 竜ヶ岩洞 → 井伊谷宮 → 龍潭寺 → 
        三方が原・犀ケ崖資料館 → 浜松城 → 三島食堂 →  中田島砂丘 → 
        浜松IC 
  18:40 富士吉田着 

 正月も終わり、暇になると「どこかへ行こうよ!」の、カミさんの合図で遅い正月休みをとる事にした。
結婚してから44年、二人で旅に出ても会話もなく詰まらない。そこで、叔父さんに白羽の矢を立て
一緒に行けるか聞いてみるとOK、共に出掛ける事にした。叔父さんの名前は渡邉朝雄さんと云い、年齢は
85歳だが滅法若作り、ぱっと見て実年齢を当てられる人は、まずいないだろう。若々しくて活動的、
囲碁を楽しみ、週末には県内の神社仏閣、美術館をくまなく回る勉強家で、自慢の敬愛してやまない
叔父さんだ。また、叔父さんはカミさんの叔父さんでもある。チョットややこしいが私の叔父さんと
カミさんの伯母さんが結婚しており、昔から二人には大変お世話になっていた。13年程前に伯母さんは
亡くなり、以後叔父さんは一人で暮らして来たのだ。そんな、お世話になった叔父さんに長年の感謝の
気持ちを込めての一泊旅行だった。カミさんも歴史好きの歴ばあ、私もどちらかと言えば歴じじい。それに
朝雄叔父さんが加わり、車の旅は、昔話に花が咲き楽しいものとなった。

  設楽原歴史資料館




 設楽が原・長篠・三方が原は、いつか機会があったら行ってみたい場所だった。今回の旅を決める当初は
設楽が原・長篠の名前は上がっていなかったが、地図を見ていると近くに地名があり、インター1つ分で
そんなに離れていない。そしたら行くしかないでしょ!予定に入れた。
 今では高速道路を使い2時間半で来れるが、甲斐の国からこの地まで、およそ210キロ、鎧兜を付け
徒歩で7〜8日掛けて来たのだろうか?凄い身体能力を昔の人々は持っていたものだ、驚嘆するしかない。

 設楽が原・長篠の戦いは戦における鉄砲の威力を、まざまざと見せつけ、戦闘の様子を一変させた戦いで
弓・槍・剣術・馬術等の鍛錬を重ねた武士よりも、足軽に鉄砲を持たせれば勝てる、そんな戦の戦術を
根底から変える戦いとなった。馬防柵で騎馬の足を止め、動きの止まった馬上の武士を狙い撃ちにする、実に
理に適った戦法で足軽が簡単に百戦錬磨の武将の命を奪える武器、鉄砲の価値を上げた。
 設楽原歴史資料館の屋上から見える馬防柵が悲しみを誘う。

 農民達は沢山の戦死者を集め埋葬し信玄塚を作った。その辺りから蜂が大発生をして村人や近くを通る
人馬に大きな被害をあたえた。 村人は、蜂の大群を戦没者の亡霊と考え、その霊を慰めるために、川路勝楽寺の
玄賀(げんが)和尚に頼んで松明を灯して供養につとめた。 蜂はまもなくおさまったが、以来、竹広の人々は
毎年この時期になると松明を灯して供養するようになりました。それが現在8月15日に行われている
「火おんどり」の始まりだ。



 うな喜


 長篠城址史跡保存館

 奥平信昌の居城である長篠城が武田勝頼に包囲された時、一命を賭して岡崎の織田・徳川連合軍まで
援軍要請の使いを務め、帰城あと一歩のところで武田軍に捕らわれ、長篠城から見えるところで磔刑に
処された鳥居強右衛門の話が有名だ。

 大本山方向寺


 山号は深奥山(じんのうざん)と称し、 禅宗のうち、臨済宗方広寺派を構成し、その大本山として
厚い信仰を集めています。井伊直政の実母の出身である奥山家ゆかりの寺、また、かつては癩(らい)
患者のための病院施設を開き地域の福祉に貢献しました。さらに、明治14年の山林大火の際に類焼に
遭うも開山円明大師の御墓所と七尊菩薩堂、開山様本像、そして半僧坊真殿が焼け残ったことから、
方広寺の鎮守の神である半僧坊の信仰も全国に広がっています。庭内の所何処にある五百羅漢様や
半僧坊真殿にある工匠岩五郎作一木彫の彫刻上り龍下り龍が特に見事だった。



 舘山寺温泉にあるホテル九重にチェックインした。



1月17日 早朝 

 年よりの朝は早い!?まだ、以前の習慣からか目覚ましが仕事をしない内に起きてしまう。時計を
見ると5時30分だ。カーテンを開けると目前に入り江が広がり、正面に真っ黒く大草山のシルエット
東の空が青くなり始めている。この景色を浴衣に半纏を引っ掛け、真冬に暖かい部屋で眺めている。
ついこの間までは寒空の下、カメラを構えて夜明けを待っていた。こんな感じで夜明けを待つスタイルも
ゆとりがあって良いものだ。入り江の湖面を風が渡り幾筋もの風紋が出来る。そこで一句

 「行く風が 湖面を渡る 舘山寺 東雲時の 景色ぞ楽し」



 ホテル九重から出て、直ぐ隣にある舘山寺を散歩した。海辺の日差しは山とは違って直一層温かく
感じられるのは海風が運ぶ磯の香りが混ざるせいなのであろうか。

 竜ヶ岩洞

 竜ヶ岩洞へ向かった。ここは以前来た事があり、記事を舞い戻って調べたらH16年10月だった。
2億5000万年前の秩父古生層の石灰岩地帯にあり約400メートルの地下を遊覧し、地球の神秘を
体験するのだ。



 井伊谷宮



  龍潭寺

 井伊家菩提寺である龍潭寺を訪ねる。小堀遠州作の庭園が見事だ。NHKの連続ドラマで女城主直虎が
放映されており、その効果だろう、既に沢山の観光客が訪れていた。静岡県に落ちる経済効果は計りしれない
ものがあり、恐るべし連ドラである。




 犀ケ崖資料館

 元亀3年、三方が原の戦いで信玄公率いる武田軍が大勝利した事は知っていたが、ここ犀が崖で
陣を張っていた武田軍に徳川軍が夜襲を仕掛け、人馬諸共多数崖下に落として多くの死傷者を
出した事は知らなかった。この地で夜更けになると人馬の鳴き声やうめき声が聞こえたり、けが人が
出たりした。これは亡くなった戦死者の「祟り」と恐れられ、その霊を鎮める為に鉦と太鼓を鳴らして
供養すると「祟り」は収まったと言われている。その行事が「遠州大念仏」として400年間続いている。



 浜松城

 徳川家康が17年間在城した浜松城は、江戸幕府300年の原点となり出世城と呼ばれている。天竜川沿いに
広がる肥沃な扇状地は龍潭寺から城に向かって何キロも続き、丘の上に野面積みの石垣に立つ浜松城から
遮る事無く見える景色は絶景であった事が窺える。

 中田島砂丘

 中田島砂丘が見たいと言う叔父さんのリクエストに応え、余り遠くなかったので行ってみた。
叔父さん曰く、想像していたより規模が大きく驚いた、さすが日本三大砂丘の一つと感想を話していた。

 富士川SA

 帰り道、丁度、赤い夕日が御山を照らし紅富士になっていた。富士川SAへ滑り込み、ここのところ
御山詣でをご無沙汰をしている事を、少しだけ紅くなった御山に詫びつつ展望台から、その雄姿を撮らせて
貰った。旅の始まりは御山に見送りを受けて出掛け、旅の帰りは御山に迎えられる、そんな日本一の場所は
富士山麓しかない、なんと贅沢な事か!なんと有難い事か!そんな事も知らずカミさんは旅の途中で土産を
買わず、ここでとばかりに一気に買い込んでいる。

 新城で毎年行われる「火おんどり」、また三方が原の「遠州大念仏」。戦いで敗れ亡くなった相手側の
兵士も死んでしまえば仏様。古来より死者の霊をねんごろに敵味方無く弔う日本民族、やっぱり日本人って
凄い、日本に生まれて良かったと再認識する旅となった。

   

オーナー Saturday, 11/5 21:46

   八友会信濃旅行 平成28年10月30〜31日 


   6:00    満君宅 集合出発
  
           中央道 → 長野道 → 安曇野IC  → 信濃大町 → 扇沢 → 黒四ダム  

  14:00    大王ワサビ農場 → 上山田温泉・山風荘

10月31日 
 
   9:50    ホテル発 → 上田城散策
   
  13:00    川魚料理・鯉西 → 上田菅平IC → 上越道 →  長野道 → 一宮IC 
 
  18:00    富士吉田着 
             

 富士吉田市松山地区の幼馴染み10名で長野県に出掛けた。
運転手は大型免許を持っている仲間で、車は27人乗りのレンタカーだ。以前はお泊りゴルフだったが
ゴルフが出来ない友が4人に増え、普通の旅行になってしまった。他人事ではない、歳を取ると色んな所に
支障が出て来る、自分も、この一年は右膝痛との戦いだったが、今は何とか克服出来たようである。
 体に痛いところがあると詰まらない、どうしても出掛けるのが億劫になってしまうからだ、体調管理をして
一年でも長く好きなゴルフが出来るよう心がけたいものだ。
 さて、今回の旅は以前から行ってみたかった黒部立山アルペンルートだ、貯金会で旅行の行き先を決める時
提案したら一発で採用されてしまった。遠山旅行社の出番だ、翌月の貯金会には宿を予約し、行程表を配布した。
 一ケ月以上前に何軒の宿に電話した事だろう、上山田温泉の宿が取れない事で、長野県上田が沸いて
いるのを思い知った、恐るべしNHK。



 高速道路を乗り継ぎ9時に信濃大町駅に到着した。山を望むと雲が掛かっている、もし黒部の天気が
悪いようだったらダムを見て黒部湖の遊覧船”ガルベ”へ乗って帰る、そんな予定を話しながら扇沢へ
向かった。気温6℃、寒〜い。トロリーバスに乗るため列に加わると15人位の中国人グループも並び
順番を待っていた。



 15分程乗るとダム駅に到着した。階段を上るとダムと湖が見えて後ろ立山連峰もクッキリ観える
一部の山には白く樹氷になっているところもあり、綺麗で最高のロケーションだ、運が良い。
ダムの上を歩き船着き場へ向かった。トンネルを入ると奥にケーブルカーの黒部湖駅がありホールで
皆が来るのを待った。上天気である、遊覧船に乗らず、眼下に黒部湖を望める大観峰へロープウエーで
行く事を提案すると、決まり。ケーブルカーに乗り黒部平に向かった。



 黒部の印象はトンネル都市だ。トンネルが縦横無尽に走り、トロリーバスやケーブルカーが走り
その中に駅がある。凄い施設を山の中に作ったもんだ。
 黒部平駅から途中に支柱の無いロープウエーで一気に大観峰駅まで昇る、見る見る内に黒部湖が
小さくなり、後ろにはつい立のように後ろ立山連峰が連なったいる。一部の山には樹氷が見えて
残ったカラマツの黄金色を引き立て、見事としか言いようがない絶景となっていた。




 皆、口々に絶景が見れた強運に感謝して山を下りた。



 13時30分 大王ワサビ農場へ立ち寄り遅い昼食を摂った。ワサビ田の間を清流が流れる農場には
沢山の観光客が訪れ賑わっており、この場所が人気の観光スポットになっている事が窺えた。



 ワサビビールを頂いたが見た目は薄いグリーンでチョット、そんな感じだが微かにワサビ味が利いている
グラスの縁に付けてあったワサビをビールに落とし、かき混ぜるとパンチの効いた味になり旨かった。
広大な緑溢れる敷地にキレイな流水と水車小屋、揺らぐ水草に心癒やされるのだろう。



 上田城を訪ねた。駐車場の係りに尋ねると土日は100台を超える観光バスが来るとの事だ、平日だったが
城へ向かう歩道は人並みが絶える事無く続いている。城に向かう途中で前から来た方に声を掛けられた
「遠山さん!」市内で滅多に合わない元金融機関の支店長で、やはり観光で友人と来ていた。



 上田城の規模は城としては想像以上に小さいものだった。
千曲川の分流尼ヶ淵に面し、築城当初は「尼ヶ淵城」と呼ばれ北に太郎山、南に千曲川があり、北側と
西側に矢出沢川を引き込み、東側にも蛭沢川や湿地帯などがあり攻め難くし、自然に手を加えた要害に
なっており、戦国時代を生き抜いた真田氏の知恵の結晶と云ったところだろうか。



 昼は千曲川のつけば小屋で一杯と思っていたら、残念な事に、今年は不漁でもう小屋は閉まっているという
そこでグーグル先生に聞き上田駅近くの”鯉西”へ入店した。イワナの骨酒を飲み、鮎の姿焼きを食べ千曲川の
幸を腹に詰め込んだ。サービスで出してくれた鯉の洗いも臭味が無く完食、思っていなかった店主の心遣いが
嬉しい。土産に子持ち鮎の甘露煮を買い求めバスに乗り込んだ。



 運転手君には悪いが、乗車し直ぐに爆睡。気が付いた時は諏訪湖SAだった。1泊2日の旅行だが
天候に恵まれ美味しいものを食べ、充実した素晴らしい旅になった。富士吉田へ着いたのも予定通りの
18時、遠山旅行社の株は上昇気流だ♪



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