« これが逆さ富士だ♪ | メイン | 南アルプス »
2013年02月23日
御師の家と富士講!
御師の家と富士講!
一昨日、商工会議所青年部の会長、山崎君が訪ねて来てくれ、2月23日
フジサンの日に、今年の6月富士山世界文化遺産登録へ向けて地元の盛り上がりも
関連して大事になる。そこで「御師の家と富士講」と云うイベントを立ち上げたので
協力して欲しい旨の相談を受け、御山倶楽部のメンバー2人と参加した。
10時に富士山駅に集合、御師街散歩ガイドの勝俣さんに案内されて駅を出発した。
まずは金鳥居に立ち寄った。交差点の信号下には庚申供養石があり道標にもなっており
右はハ江戸みち、左ハ甲州みちと書かれている。金鳥居をくぐると神域だ、いつもは
車で通るから感じないが、こうして金剛杖を持ち徒歩で歩くと、いつもと違う緊張感に
包まれるから不思議だ。思わず心の中で「六根清浄♪御山は晴天♪」と、唱えた。
御師・外川邸の手前で富士吉田市のゆるキャラ”うどんぶり”ちゃんに遭遇
歓迎を受け国の重要文化財・外川家に入った。中ではガイドの渡辺さんが詳しく
御師宿坊である外川家の説明をしてくれた。富士講の信仰は富士に登山し浅間
大菩薩がいると考えられていた内院(噴火口)を拝む事にあり、その為の世話や
作法を教えるのが御師の仕事の一つで、登山シーズン以外の月は檀家と呼ばれる
講舎を訪ね、布教を広めるのも仕事だ。
次に上文司邸へ立ち寄る。上文司さんは神職で北口本宮浅間神社の神主を
されている。タツ道から入り門被りの松をくぐり長屋門を通ると庭の左側にある
池に滝が落ちている、多分、昔の御師の雰囲気を一番醸し出しているのではと
思われる。
昼食の為、御師・菊谷坊に入った。
食事の前に邸内の観覧が出来て、御神前の間まで開けて見せて下さった。無造作に
置いてある古い通い帳には明治の文字が書かれ、鴨居の写真は昭和初期の年代が
入っている。まるでタイムスリップしたかのようだ。
近年、菊谷坊さんで武田信玄の父上、信虎公の書が見つかった事から信虎膳と
名づけられたお品書きの和食を頂いた。この地方では馬肉を食す習慣がある為
それをアレンジしたもので、初めて食したものは、桜つみれ鍋・桜ハツモト・桜肉の
ユッケ・桜大泉煮・桜ハラミの味噌焼き等である。特筆すべきは桜ハラミの味噌焼き
仄かな油と工夫された味噌のマッチングが良くて、もっと食べたくなるほどだ。
桜肉の部位の特徴を生かした調理方法は専門店が出来る予感を感じた。
つみれ鍋も良いダシが出ており、大根を富士山型に切り椀に沈め、その上にニンジンを
丸く切り、富士山と太陽を演出していたが、創られた方には申し訳ないが、悪戯して
大根富士の後ろにニンジンを半分沈め、ダイヤモンド富士だ~!と、やってしまった。
思い掛けなく美味しく頂けた。創られた方、料理を考えた方に敬意を表し、感謝
申し上げたい。
吉積山西念寺へ立ち寄った。
住職が寺の概要を説明して下さり、いつもは閉まっているお堂の薬師様
釈迦如来様のお顔を始めて見る事が出来て感動した。この寺は分寺が富士山に
あった為ご縁が深く、8月26・27日行われる火祭りの際、神輿巡行の行き
帰りには住職が正装して見送る慣わしになっている。
その後、北口本宮冨士浅間神社を参拝し、神官の田辺さんから神社を一回り
案内して貰った。随神門の背後には鎮火大祭・火祭りの大松明奉納者の名前が
張ってあり、貸別荘パインツリーもそこに名前を連ねているので、ちょっぴり
だけ胸を張った。
浅間茶屋2階でテイータイム。お茶を飲みながら意見交換を行った。
世界文化遺産登録はされるのであろうか?!それも大切な事柄だが富士吉田市内に
こう云った御師文化が過ってあり、何をして来たのかを、まず市民が学び、それが
誇りへと変わって行く事の方が大切に思われるが如何だろうか?まずは足元を踏み
固める地固めが必要だと思う。世界文化遺産登録がされると云う事は、盆栽の
コンクールで言えば特別賞を頂いたようなもの、それを見に人が集まるかもしれない。
しかし、毎日手入れを続けなければ枯れてしまう。愛情を持って接し、陽に当て
水をやり、時には時間制限してまで見せない時も作る。そんな覚悟が必要かも知れない。
投稿者 pinetree : 2013年02月23日 17:38