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2006年12月26日

北口本宮冨士浅間神社

  北口本宮冨士浅間神社

 我が家から1キロ離れた場所に北口本宮冨士浅間神社がある。

   御  祭  神
 木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
 夫神・天津彦火瓊々杵命(あまつひこほのににぎのみこと)
 父神・大山祗神(おおやまずみのかみ)

 社伝によれば110年、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東方遠征の折に
大塚丘より富士山を遥拝し「富士には北側より登拝するのが良い」として
祠と鳥居を建てたのが始まりと云われている。社殿右後ろにある鳥居から
吉田口登山道が富士山頂に向かう起点となっているのは、その為だろうか。
また垂仁天皇の代に富士山の大噴火を恐れる人々の心を静めるために勅令を
もって火山鎮護の神、木花開耶姫を祀ったとする説もある。

 拝殿前の両脇には「富士太郎杉」「富士夫婦檜」の名を持つ御神木があり
参道には杉、檜の巨木の森が広がる中、大きな石灯籠が並ぶ。参道の中程に
礎石があるが、こちらは仁王門の跡で明治初年の「神仏分離令」施行の際
門は撤去されたが礎石だけが残り、その面影だけをしのばせている。
その横にあるのは立行石。藤原富士講の開祖・(長谷川)角行が富士を遥拝し
酷寒の中裸身にて、この石の上に30日間立つ荒行を行なったと伝えられている。

 浅間神社には子供の頃から何十回行った事だろう・・・だが、恥ずかしい事に
先月まで、仁王門礎石と角行の立行石が、参道中程にある事を知らなかった。
5?才の私が知らないくらいだから、恐らく富士吉田市民の9割以上の方が
知らない事だろう。と云うのは、市民が参拝に訪れる場合は車に乗り、300
メートルの参道をショートカットして大鳥居近くの駐車場まで行ってしまうからだ。

 明治初年の「神仏分離令」(神仏習合の慣習を禁止し、神と仏神社と寺院とを
はっきり区別させること)や、富士講(富士山を神とする信仰で、それ自体は
既存の宗教勢力に属さない単独の勢力)の開祖藤原(長谷川)角行の
偉業を忘れてはいけないし、もっと勉強しなくては、不毛の大地を切り開いて来た
ご先祖様に笑われてしまう。身近な地元の歴史を知る事は、強く生きて行く為の
糧になり、誇りになり、自信になる。その為にも、まずは普段の乗車習慣を
チョットお休みし、スローに歩いてみたら色んな発見があるのではないだろうか。

投稿者 pinetree : 2006年12月26日 23:34