松山連合自治会の記録

この掲示板を通して、皆様に松山連合会の活動をお伝えします。
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オーナー Saturday, 12/25 16:38

    松山連合自治会22年度年末総会!

 12月19日(日)11時 松山連合自治会22年度年末総会
総会資料を3日間かけて皆で作ったが、書記さんは、その前から原稿を
10日間以上かけて苦闘された、大変な仕事量だ。

 22年度年末総会資料
式次第から始まり、事業報告・収支決算報告・会計監査報告・松山財産
管理委員会収支決算報告・そして23年年度新自治会長紹介へと続く
 
 23年度 引継ぎ資料 
23年度 自治会名簿・各種団体名簿・自治会名簿・組員名簿
新自治会長・組長宅の住宅地図まで付けたもの。

 書記さんが多忙だった為、会長から原稿を渡され松山ニュース第4号の
製作依頼のお鉢が回って来た。イベント毎にデジカメで撮って置いた写真が
役に立つ、4時間程かけてA4版の裏表を埋める事が出来た。

     松山ニュース第4号

 経ってしまえば短い1年だった。新旧自治会長事務引継ぎの時に見た、新自治会長の
緊張した面持ちは1年前の自分達の姿だった。あれから行事に追い掛けられ時を過ごし
今日を向かえた。自治会が1年交代では、昨年の事業を踏襲するだけに終われ、新規事業を
起こす事は中々出来ない。6人の内、3人が新人で3人が残留とか、任期を2年間にしないと
地に腰を下ろした、本当の自治会活動が出来ないような気がする。

 老齢化が進み、極め細やかな活動が求められる現状の中で、自治会活動へのニーズ・ヲンツは
益々必要になって来るだろう。そう云った希望に答えられる為にも、大胆な組織の改革なども
行って行かなければいけないと思う。問題は山積している。

 1年間、仲間として、また人生の先輩としてご一緒させて頂いた中澤会長始めとする
5名の会長の皆さんには、大変お世話になり感謝申し上げます。これからも自治会相談役・
会館運営委員会や、2ケ月に一度、積み立てをして旅などし、家内共々人生を謳歌しようと
云う事ですから、どうぞ、これからも宜しくお願い申し上げまして、ご報告の締めとさせて頂きます。

                 松山第二自治会会長・会計担当  遠山喜一郎 

オーナー Monday, 12/6 17:27

    会計監査終了!

12月5日9時、松山会館に各会長は集まった。
今日は自治会の会計監査だ。10時から消防第五分団、30分置きに傘下の
団体が次々と監査役の監査を受け、自治会は最後から1ツ手前で受けた。

 3人の監査役の前にテーブルを挟み、中澤連合会長と会計の私が並んだ。
勿論!正座だ、緊張した時間が流れる。

 松山地区世帯数 1200世帯
 予 算 総 額 1700万円  
 繰 越 金     79万円  昨年並

  問題なく無事監査終了!

 同時に19日行われる16ページに及ぶ22年度松山自治会年末総会資料も
 180部作成完了。 その晩飲んだ酒は、いつになく美味しい酒であった。 
 
  パソコンが使えたり、エクセルが出来たからこそ出来た会計業務
 もし、パソコンが出来なかったら会計など引き受けられなかったし、やりたくもない。
  松山会館でコピーを取りながら、キャビネット内にあった18年度の出納帳を見た。
 やはり手書きのもので前任者の苦労が推察出来た。
  ありがとうパソコン!ありがとうビル・ゲイツ!  
 

オーナー Monday, 12/6 16:36

    松山第二自治会 後任人事決定!

 松山第二自治会は55世帯で7班に別れている。
過っては松山地域の中で中心的存在だった第二自治会も、地区内を24メートル道路が
貫通し、住んでいた住民は他へ移住してしまい、今や崩壊の憂き目に遭っている。道路が
出来るのは便利になって良い事なのだが、反面その場所で暮らしていた10世帯が
居なくなり、それでも少ない第二自治会の世帯に、過疎化が益々拍車が掛かった状態だ。

 そんな中、いよいよ第二自治会会長後任を決めるべく10月中旬から動き始めた。
「この方だったら間違いなく良き返事を貰えるハズ!」と、第1・2・5自治会長3人で
19時30分、家に上がり込み、お願いを開始〜延々と23時30分迄頑張ったが
固辞され、その家を後にした。
 勿論、そこに行くまでには、地区直近自治会長3人に集まって貰い情報を収集もし
万全を測っての行動だったが当てが外れた。それから数日後Y君・W君、また数日後
k君・R君と・・・狭い町内を連日ジュータン爆撃状態で探したが見つからなかった。

 その間に、町内各自治会では次々と決まり、結局第二自治会だけが11月まで
取り残される格好となった。23年度後任会長の顔合わせは11月11日と決まっている。
この日迄に後任を決めねば・・・この時、自分の意識の中では2年連続も・・・などと
浅はかにも思っていた。

 再度、直近3年前までの会長にお集まり頂き、話し合いになったが、堂道巡り・・・。
2年連続しての話も出たが、候補者の少ない第二自治会にあっては、2年続けてなどと
した場合、増々ハードルが高くなり引き受けてが居なくなる。ん〜ン!その通りだ。
 見つからない場合はスポット的に会長経験者が2回目を引き受ける・・・結局だれが?は
無いまま、その場は解散となった。

 数日後、会長経験者のKさんの仕事場を連合会長と共に訪ね、お願いしたところ
机の中から離婚届を出されたのには驚いた。奥様説得用に用意したものらしいが、その
覚悟というか気持ちが嬉しくて、思わず涙が流れそうになった。数日待ってお返事を頂き
会長経験者3人と現役である私の前で「会長引き受け書」に署名して頂き、辛く長い
後任人選を終えたが、お陰様で良き先輩に出逢えたし、男を見せて貰う人生勉強の機会となった。
 Kさんには借りが出来たが、返済は利息を沢山付けてお返し出来る様頑張りたいと思う。


オーナー Saturday, 10/30 14:18

  上吉田連合自治会研修旅行


 平成22年10月24・25日 上吉田連合自治会の合同宿泊研修旅行へ出掛けた。
宿泊先は音羽蒲郡・三谷温泉、頂上まで見える富士に送られ、午前8時にバスは出発した。

 最初の研修地は 浜松まつり会館 だ。 
会館は遠州灘、中田島砂丘の近くにあった。館内ではガイドさんの説明を受けながら進んだ。
 浜松祭りは、毎年五月二・三・四日の三日間行われる祭りで100万人以上の観光客が訪れる祭りだ。
中田島砂丘で勇壮な凧揚げ合戦が行われ、夜は中心市街地で絢爛豪華な御殿屋台が引き回される。
3日間楽しめるイベントが盛り沢山で祭り期間中は、町中が熱気と興奮に包まれるそうだ、町民の
声によって生まれた浜松まつりには、現在、市内170の町が参加して老若男女を問わず誰でも
参加できる市民町民の祭りとして楽しまれている。昔からの伝統を継承するだけでなく、町民達が
時代に合わせ、祭りを創って来た事が素晴らしい。

 人口82万人の浜松市、過っては徳川家康が居城していた城下町だが、近くを国道1号線や
東名高速が走り、現在は大企業が立ち並ぶ企業城下町へと上手に変貌して来た事が伺い知れる。
 各町で所有する山車は80台余りと聞いたが、1台5000万円以上し、豪華な彫刻で飾られた
山車を持ち、祭りで引き回すパワーや住民力は素晴らしいの一語に尽きる。

 一方、我が街富士吉田市を顧みれば観光客の足を止める施設が少な過ぎる、これだけ立派な
会館は必要ないが、身の丈に合った”吉田の火祭り会館”など出来ないものだろうか・・・。 
 昼食に、浜松名物ウナギを食したが、レトルトを湯煎したものだった。ツアーだからしょうがないが
本場に来たら現地の名物を食す事を旨としている私としては無念だった。




 昼食後は  航空自衛隊広報館(エアパーク) へ行った。
前回の事業仕分けの対象になった施設だ。広大な航空自衛隊浜松基地の脇にある。
 色々な機種の飛行機が展示されていたり、ドームシアターでは自分が飛行機を操縦している感じを
体験出来る映像を見る事が出来る施設もあり、申し込めば10月中まで無料で見る事が出来たが
11月から500円の入館料が必要になる。各種シュミレーション装置もあったり、制服を着て
コスプレを楽しむ事の出来る施設が、今まで無料だった事が理解出来ないし、500円でもまだ
安い気がする。特に、子供の頃から憧れていた零式戦闘機(ゼロ戦)が天井から吊るされ、まるで
飛行しているかの様子の雄姿に、また逢えた事が嬉しかった。

 東名高速から音羽蒲郡ICで下りオレンジラインを三谷温泉・ ホテル明山荘 に向かった。
寝食を共にする旅行は、懇親を深めるには最高だ。宴会ではカラオケの披露や、我がチーム松山の
メンバー義弘さんがハーモニカの演奏で場を盛り上げてくれ、女性はいなかったが、楽しく?三谷温泉の
夜は深けたのでした。




 定刻8時にホテルをチェックアウトした。
豊田ICで下り、 トヨタ自動車本町工場 の見学をした。
天井に吊るされた通路を歩き、所々で可愛い案内係りのお姉さんがテレビモニターを
使い説明してくれた。トヨタ方式と呼ばれる無駄を出さずに、安全に、より効率的に
機械も、働く人間さえもロボット化された工場で、注文順に車種の違う車が流れ
間違える事無く部品を組み立てて行く行程には驚嘆するしかないが、適当に生きている
自分には、この工場では若くても働く自信は無い。

 元町工場からバスに乗り、 トヨタ会館 へ移動した。
会館の中には、愛知博で活躍したトランペットを吹くロボットや、近未来的乗り物
新車などが展示されており、ハイブリッドのシステムなどが判り易く展示されていた。




 次に、 八丁味噌の郷 を訪ねた。
自動販売機・ゴミ箱が味噌色でGOOD!こう云った所まで気配り出来る経営が素晴らしい。
大きな杉材を使った味噌樽の寿命が100年も持つと云う。製品として出荷出来るまで2年間
熟成するのだそうだ、重しに使う矢作川の底石と杉材、それに古から伝え続けて来た職人の技が
八丁味噌の芳醇な香りを醸し出している。

 帰路、焼津ICで下り、魚センターへ立ち寄った。
各々が土産を買い込み、空だったバスのトランクルームが、旅の思い出と共に一杯になった。

 後、自治会活動は2ケ月を残すだけとなったが、まだ、我が第二自治会は後任が決まっていない
56所帯の小さな自治会で、60歳の年令以上に達した殆どの方が松尾神社総代・自治会会長経験者だ
第一自治会との境を超えて人選し、当ってみたが全て外れの状態で、不徳の致す所だ。
 残す所1週間、何とかせねば・・・苦悩は続く。
   

オーナー Friday, 10/29 22:32

  松山区民歩け歩け大会



 平成22年10月23日、爽やかな秋風の下、松山区民約180名が集い行われた。
午前9時、吉田西小に集合し、佐藤会長のリードでラジオ体操を行いウオームUP
勿論!校庭の向こう側には富士山が見守っている。

 交通安全協会松山支部の皆さんが前後に位置し、区民の安全を計る中で行進は進む
先頭には渡辺会長が松山連合自治会の旗を押立歩く。

 目的地は2キロ先のビジターセンターだ。
139号線を西に歩き、富士急ハイランド入り口信号を超え、東富士五湖富士吉田
ICを左に見てスバルラインを右折するコースだ。

 40分程で到着した。
ビジターセンターでは、展示されている写真や富士山の映画を観て過ごし、11時に
用意したお弁当とお茶を配布し、早めのお昼を摂った。いつになく肌寒い日で
芝生にごろ寝する訳にもいかず、赤くなり始めたモミジに送られ帰路に付いた。
 西小校庭で、記念品のテイッシュを配り解散となった。


オーナー Tuesday, 10/5 19:27

  第60回富士吉田市市民スポーツ大会



 10月3日、第二小学校グランドに於いて8時30分から青空の下、市民スポーツ大会が
開催された。数日前から天気予報が悪く、天候が心配されたが、暑いくらいの上天気で
しっかりと日焼けしてしまうほどだった。

 当日は7時30分、松山自治会は松尾神社に集合し、自治会旗を先頭に第二小グランドへ
徒歩で向かった。各会長を行進組と搬入組に手分けをし、搬入組は会長婦人方の作った
煮物やらテーブル・シートを観戦スタンドへ運び入れた。

 市内には自治会が34あり、選手・観客がスタンドを埋めつくした様子は壮観だ。
楽しく賑やかにゲームは行われ、昼食では用意したお弁当を配り、大根とコンニャクの
煮物も評判良く、お代わりをされる方まで出た。

 地区対抗得点制で行われ、松山の総合順位は14位だった。
誰も怪我することなく、楽しく1日を過ごすことが出来た事が何よりだった。


オーナー Monday, 9/27 09:31

   松山地区敬老会

 9月20日、松山地区自治会主催で敬老会を開催した。
地区内には75歳以上の高齢者が300人以上おり、まずは1月前から各組に
回覧板を回し敬老会参加希望者を募集した。
 1週間前に集計した所、298名の参加希望者があり、当日までに更に
駆け込み参加者が増え、最終的に309名の希望が募った。

 自治会では、19日から準備に入り、テーブルや座布団を松山会館から公民館に
搬入しセットし、自治会長婦人らは当日サービスする煮物や揉み漬けの材料を
買いに走った。公民館へテーブル座布団を並べるが、座れる席は精々200人
多少不安ではあったがGOサインで行く事にした。

 当日は8時に夫婦共々集合し、会館と公民館に分かれた。
会館に集った婦人達は、大寸胴鍋で社会福祉協議会の作ったジャガイモを中心に
昆布・タマネギ・ニンジンの入った煮物やキャベツの揉み漬けを提供し、皆さんに
美味しいと喜ばれた。男性軍は公民館で清掃やら舞台の飾り付けをして時を待った。



 午前10時、開館 外で待っていたお客様が、民生委員の行う受付を済ませ
記念品(お饅頭・赤飯・お茶)を手に入館する。最終的に公民館に入ったお客様は
160名程だった。後の方は、家族や本人が、記念品受け渡しの引き換え券に
なっている封筒を持ち込み、受付で記念品と交換し持ち帰って行った。その後
残った記念品は民生委員さんが、1軒1軒訪ね配って回った。民生委員さんが
しっかり活動している松山地区に、行方不明者や年金不正受給者はいない。



 敬老会は松山区民憲章唱和から始まり、お年寄りへ早川君・宮下さんの感謝の
メッセージが披露され、お酒のない宴会・演芸へと移る。すその琴友会の大正琴の
演奏・ひまわり太極拳倶楽部の演舞・大々神楽子供クラブの出演・好華会による
三味線の演奏・華菱会の日本舞踊・そして婦人会が演舞を行い、地区消防第5
分団長の万歳三唱でお開きとなった。



 日本中で、段々と薄れて行く住民の繋がりだが、自治会活動を通して、地域に
住まう住民にとって、もっとも身近なコミュニテイサービスが自治会活動だ。同じ
富士吉田市内に於いて、既に、敬老会に記念品を配るだけの自治会もあると云うが
お年寄りを大切にして、こうした事業の出来る我が松山地区は、まだまだ捨てた
ものでは無いし、むしろ誇りにさえ思う。これからも、この伝統を守り続けて欲しい。

 自治会はボランテイアの集団だが、その仕事たるや連合自治会長に至っては
市会議員を越えている節まで見受けられる。いっその事、市会議員を廃止して
各地域の連合自治会長が市会議員を兼務する事になれば、議員歳費など
必要無い、議会の時だけ日当制にし、連合自治会長に出席して貰えば、市一般
財政が倹約出来るのではないかと考えてしまった。また、市HPを見ても自治会
活動に対する記述が少な過ぎる。市民と行政の間で潤滑油的仕事をしている
自治会活動を、市が軽んじている事は無いと思うが、もう少し注視して貰いたい
ものである。


オーナー Friday, 9/24 06:54

   第六回 松山区民夏祭り!




 8月15日  
松山連合自治会主催で”夏祭り”が、吉田西小学校校庭に於いて盛大に行われた。
町内各種団体の松尾神社氏子総代・消防第五分団・婦人会・食生活改善推進員・育成会・
文化部が、各テントを張り、ブース内にて総代がカンビールやジュース、冷やしトマト
消防団が焼きソバ・フランク、婦人会が煮物・麦茶、食生活改善委員がおからドーナツ
育成会がヨーヨー・輪投げ・スーパーボールすくい・チョコバナナ、文化部が鳥のから揚げ
ポテトフライを販売した。

 アトラクションンは、太々神楽子供クラブ 子供神楽
             :  保存会  獅子神楽
           よさこいソーラン  同好会
           津軽三味線     好華会
           盆踊り       婦人会       

 沢山の区民が集い、涼しい風の吹く校庭で、夏の夕べを楽しんだ。
各種団体の協力なくして自治会活動は出来ない。各地でコミニテイーの崩壊のニュースが
メデイアで流れるが、こうした活動の積み重ねが町を元気にして行くのだと思う。



オーナー Friday, 9/24 07:09

   泉瑞祭!



 6月5日 7時30分 気温16℃ 
今日は上吉田連合自治会主催の”泉瑞祭”だ。

 泉瑞は、北口本宮冨士浅間神社から2キロ程富士山方向へ上がった場所に
ある水場で、今から約800年前、将軍源頼朝は天下にその威を示さんと
富士山北麓に雄大な巻狩りを行ない、その際、道に迷い渇きに苦しむ勢子の為
頼朝は神に祈りつつ大地に杖を突きたてると、そこから水晶のように澄みきった
冷たい水がこんこんと湧き出した。これが「泉瑞(せんずい)」のいわれがある。
江戸時代、富士登山される富士講の方々に富士八湖の1つとして数えられ
禊所(みそぎじょ)としてまた、喉の渇きを潤す霊水としても珍重された。また
古から上吉田の住民を育む水として尊ばれ、住民の手で祭り守られて来たのが
泉瑞の水だ。



7時30分、上吉田コミニテイーセンター前に6自治会が集合し、役割分担の
確認等を行い泉瑞へ向かった。泉瑞は先日の下草狩り奉仕で、ナメる様に綺麗に
なっていて驚いた。朽ち果てそうになっていた1つの鳥居も新調され、塗装が
ピカピカと光輝いている。10時から式典は始まり、蝉しぐれの中粛々と進み
最後に乾杯し式典は終わった。



 其の後、上吉田コミニテイーセンターへ場所を変え直会(なおらい)兼
泉瑞の水に感謝を捧げる会が始まった。カラオケもあり、婦人会の踊りまで
飛び出す盛大なお祭りで、泉瑞祭が上吉田における自治会、また婦人会の重要な
イベントである事が、イヤが上でも分かった。



 泉瑞の湧水は今は枯れている。
平成12年10月14日撮影した時には出ていたが、平成19年8月9日撮影
した時には枯れていた。湧水が枯れるなんて一体何があったのだろうか?この間に
あったのは、水汲上工場の無規制による乱立だ。上吉田の住人を育んで来た水に
感謝を捧げるのに何らの不満も無いが、何百年も湧き続いていた水源を枯らして
しまったのは、この今を生きる私達の責任で、先祖に大して面目が立たない。
泉瑞祭は湧水に「感謝を捧げると共に、湧水を守って行こう!」と言うのであって
「枯れた水源地を守ろう」では無いハズである。

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オーナー Sunday, 5/2 19:44

   吉田胎内祭


 
  4月29日 11時0分 気温12℃
 富士山が噴火した時、流れる出る溶岩流が自然に創った「樹型群」の一つが「吉田胎内」と呼ばれ
国指定天然記念物にも指定されており、洞窟内は体の内部に似ているところから胎内と
呼ばれ、木之花咲耶姫様をご祭神として祭り、富士講の方々が胎内巡りと称し、過っては巡礼コースに
なっていた。

 4月29日午前11時、吉田胎内神社で、冨士山北口御師団が中心になり「胎内祭」が挙行され
上吉田連合自治会として松山地区も招待された。終盤を迎えた富士桜の林を通り抜け車を止め
沢を2っ超えた向こう側に、赤い鳥居が建っていた。濡れた林道の小道を、お揃いのスーツを着て
革靴を泥で汚してのお参りだった。

 周囲を松林に囲まれたお胎内のある盆地には100人を超える参加者が集まり、神官の
祝詞奏上から始まり神事は進んだ。祭典参加者は婦人会の役員さん、市議会議員
冨士講行者さんや、また諸々の富士山に関連した仕事をされている方々や、この日は1年に
1度、扉に掛けられている鍵が外され、胎内へ入る事が許されるので、そんな目的の方もいらした。

 式典の後、齋藤先達が塩加持の祈祷を捧げた。
大量の塩で広い下地を作り、線香を富士山型に並べ燃やし、祈りを捧げながら燃えた和紙の
灰が舞っていくさまで吉凶を占うのだ。御炊き上げが終わったら、塩を布で包み、参加者が希望する
体の部位に当てて治癒を祈ってくれるのだ。

 こうして、祖先から粛々と吉田胎内は守られている。
平成19年に富士山が世界文化遺産暫定リストに登載されたが、来年の6月、世界文化遺産へ
登録決定がされるのだろうか? 登録されても、されなくても、毎年富士山を愛する方々が
集い、胎内祭は続く事だろう。        


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