・祭 神 木花開耶姫命 延暦12年、征夷大将軍、坂上田村麿が東征の折り、この地より (現境内)から遥かに秀麗なる富士の山容を拝し、戦勝を祈願 4年にして大勝のうちにその功業を収めたので、神護を謝し 社殿を建立したという。本殿の北側にある「かつらの木」は、根廻り13m 樹高28m、枝張東西15m、南北14m、樹齢600年と推定。南北朝時代 鎌倉で討たれた大塔宮護良親王の首級をこの樹の根元に葬った 伝説がある。 |
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富士吉田市下吉田の小室浅間神社では、9月19日の例大祭に 流鏑馬(やぶさめ)が行われます。武士が武技練磨のため 騎馬で狩装束を着け鏑矢で的を射る流鏑馬とは異なり、神事として 神社に奉納されるもので、春の播種期に里に降りた祭神が、秋 富士山2合目の山宮に帰るとされ、その秋祭に流鏑馬を奉納し 翌春再び里に降りるまでの間、争い・火事等がないように祈願する 約800年の歴史を持つ神事だ。奉仕者は9月1日から始まる幾つかの 前儀とともに1週間に及ぶ「切火」と呼ばれる男だけで寝泊りする 厳しい精進潔斎があり、特に馬の馳せた蹄跡による吉凶の「馬蹄占い」は 世襲の「占人」の存在とともにこの神事を著名なものにしている。 |
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'01/10/02 |