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取り合えず、次回は4月2日検診
2019/12/29

11月28日 血液採取、胸部レントゲン、エコー検査を受ける。

12月 2日 片桐医師の診察を受ける。
       心配していた転移は無いとの事で一安心。

12月20日 血液採取、CT検査を受ける。
    
12月23日 血液採取、エコー検査を受ける。  
       CT検査の結果に問題はなかった。
       CRPの数値が上がって炎症を起こしているようだ、抗生剤を夕食後に服用。    

12月27日 血液採取、下肢エコー検査を受ける。
       下肢エコーも問題ない。CRPの数値が下がって一安心。
       次回の診察は4月2日。取り合えず3ケ月はガンセンターに来なくて良い。 
       良かった♪良かった♪  

検査・診察
2019/11/02

10月31日 血液採取、MRI検査を受ける。

11月 1日 片桐医師の診察を受ける。
       心配していた転移は無いとの事で一安心。先生から2回辛い手術を受けたから、その分長生き
       するようにとのお言葉に胸が熱くなった。また、体重を増やさない様、日頃気を付ける事等の
       指示を頂き、帰って来た。次回は28日、胸部レントゲン・血液検査だ。 

長泉ガンセンター再手術
2019/10/20

9月25日 長泉ガンセンター入院 2回目の手術を受ける
        手術に於ける全身麻酔の説明
        CT体表超音波検査の説明
        手術に於ける輸血した場合の説明
        「左鼠径部脱分化型脂肪肉腫」に対する手術の説明
         病巣部真上に大きな切開を加えて周辺の健常な組織を一層含めて
         腫瘍を切除する必要があり、腫瘍が精索という睾丸に繋がる組織を
         巻き込んでいたので、切除に際し精索と睾丸があった周辺を
         含めて切除する必要があった。
         切除後に腹膜壁が弱くなるような場合は大腿部から皮膚移植したり
         大腿動静脈という血管が露出し良好な皮膚で覆えない場合は反対側の
         大腿から筋肉を取って、その血管をカバーする為に移植もありえるとの事だ。
          
9月26日  手術のリスク、輸血した場合のリスクや麻酔のリスク、手術の方法を細かく
       説明を受けた。手術はチンチンの脇にある前回手術した痕跡周囲をゴソッと
       切除するのだそうだ。
    
9月27日  手術日
         10時、ベッドに乗せられたまま手術室に向かう。3階には手術室が8台位
         あるのだろうか、寝ながら横目で見ると、既に薄いグリーンの手術着を着て
         今から手術を受ける患者の集団が待っていて、用意ドンで、それぞれの
         手術室に散っていった。 
          手術台に繋がれ口元に酸素マスクが宛がわれると、手術が終わっていた。
         左足の付け根が少し痛むので術後を確認する。カミさんと先生が話しているのが
         夢のように聞こえICU(集中治療室)に入った。連絡用ボタンを渡され手元に
         置いた積もりだった。それから何時間経ったのだろう、遠くから女性のマスク越しの
         声が聞こえる「ス・ミ・マ・セ〜ン!」「どなたか居ますか〜!」か細い声だ。
         連絡用のボタンを渡された筈だが、どうした訳だ「ス・ミ・マ・セ〜ン!」また聞こえる。
         知らせて上げようと自分の右手のボタンを探すが見つからない、手は止めてあるので
         指がグルグルその場で回るだけだ。知らせて上げられなくてゴメン!それから何分
         経っただろうか、担当が来て事無きを得たら、そこから先は、また寝てしまい記憶がない。         
         皮膚移植、骨盤を削る手術が共に無しで、7時間の予定が6時間で終わった。
          輸血も移植も無く、また神経も傷つける事無く手術が終わり、術後の傷口からの
         感染症も無く終わったのが嬉しい。  

9月29日   普段、何気なくトイレを使い用を足している訳だが病気になり自由を奪われると勝手が
        違って来る。手術が終了しリンゲルが左腹部に1本、体液のドレインが患部と右脇腹に
        2本、そしてチンチンの先にも1本小便用のチューブが装着されて、まるで人造人間
        みたいだ。一番早くチンチンに付けたチューブが外された。「良かった!」と思ったのは
        束の間、尿意を感じると同時に、念の為履いていたオムツに「シャー!」とお漏らしだ。
        チンチンの感覚がチューブを装着された為に感覚が鈍っているようだ。先生に尋ねると、
        数日で自然に治るとの事だった。
         毎日、2時間程度の睡眠ではきつく、さりとてオムツにするのも気持ちが悪い、フラフラ
        しながら尿瓶で用を足したが、ま、贅沢を述べればどちらも嫌だな。
       
9月30日  CT体表超音波検査
         超音波で体表に近い部分に病変がないかを調べる
        リハリビ開始

       縫い合わせた所が肛門やチンチンに近いので感染症を恐れたせいか便秘になり、ナースに
       座薬を抽入して貰い事無きを得たが、肛門に圧力を掛けられない、だまし、だまし、しながら
       ユックリ呼吸し便座に座っていると、来たー!それも大量だ。スッキリ〜!日常の中では
       普通に排便出来るが病気や怪我で入院し、拘束されると、いかに日常を普通に生活出来る事が
       幸せな事か、思い知らされる事となった。そうならない為にも、常日頃健康に留意し、平均
       寿命を越える長生きをしましょう。

10月1日  手術に向かい浣腸をされたが、毎日少ない量だが食べていれば溜まるものは溜まる。
       術後3日目、深夜の1時、大便がしたくなって来た。両足は血栓防止の為エアーを送り
       加圧する機会が取り付けられており、左右腹にはチューブが計4本で繋がれており
       動く事は出来ない。手元にある連絡用ボタンを押しナースに便意を伝えると、ベッドの
       上でして下さいと、つれないお言葉。もう羞恥心もクソもない(糞はあるが)、やって
       貰おうではないか!便意には勝てない。尻の下へゴム製だろうか、柔らかいオマルが
       入った。暫く格闘したが出ない、瞑想し、その時を待つと、暫くして羞恥心とジジイの
       恥じらいの混ざったウンチがオマルの中へ放出された。人生69年にして、初めての
       大手術とオマル。終わりましたか?お拭きしますからお尻を上げて下さい!」の声に
       「ハイ!」と神妙な気持ちで従うジジイであった。看護師、凄い仕事だ、有難い、地上に
        降りた本当で本物の天使だ。 感謝しかない♪

10月2日  体液ドレインが外れる

10月4日  初めてシャワーを使えた。6階の洗濯場の奥にシャワー室があり、湯船と脱衣場を含めると
       2坪くらいだろうか。まだ左脇腹にドレンチューブが1本、右脇腹には2本のチューブが
       装着されている。その部分が濡れない様ビニール袋の底部分をハサミでカットし筒状にし、
       それを被ってビニールの筒上部を防水テープで一周巻いて止める。当然ビニールは透明で中は
       透けて見える。勿論スッポンポン!昭和生まれのジジイと平成生まれのナースが狭い風呂場
       で・・・シャワー開始。「お背中流しましょうか!?」「は、ハイ!御願いします」ジジイの
       胸は高まった。ナースが濡れぬよう着ている大きなピンクのエプロンが妙に艶かしく感じて
       いると「足を洗いますよ!」 のナースの声で現実に引き戻され「自分で洗いますから
       大丈夫!」と答えた。青春を思い出す夢中の時間は5分、防水の仕度に20分、ただただ
       疲れた夢の時間であった。
        ついでに、シャワーが終わり、防水の為体に巻いたビニールをナースがハサミを上から
       入れ一気に下へ切り裂き防水テープをユックリはがし始めたので、ジジイは両手を上げ
       「アレー!お代官様ご無体な・・・」などと言いながら駒の様に、その場で一回転すると
       ナースに受けた〜!ジジイは明るい馬鹿なのだ。

10月7日  血管超音波検査(エコー)
         血栓の有無や動脈硬化                  

10月11・12日 一時帰宅が許される
           11・12日に帰宅許可が出されるが、折しも台風19号がやって来ている
           大型台風で940ヘクトパスカルでは、もしかしたら138号線・東富士五湖
           道路が寸断されて13日に病院へ戻る事が出来ない事が予想されたので
           12日9時までに雨風の中、病院へ戻った。

10月15日 体表超音波検査(エコー)
         超音波で体表に近い部分に病変がないかを調べる
         左足付け根に体液溜まりあり          

10月17日 左足付け根に体液溜まりにメスを入れ体液を抜く。

10月18・19日 片桐先生から一時帰宅し、リラックスして来ると良いとのお言葉を頂き帰還。
          やっぱり家は良い、病院で睡眠導入剤を2錠飲んでも眠れなかったものが
          2日間共に6時間近く眠れた、好きなウイスキーを頂いたせいもあるかも・・・。
          片桐先生の「少しはアルコールを飲んでも構わない」のお言葉が有難い。
          先生は名医です。少し気になる事がある、左足付け根表面に7x7センチ程の
          硬化した部分がある事だ、もしかしてサルコーマ(腫瘍)だとしたら、余りにも
          進行が早過ぎる。20日病院に帰って診察を受けるが、是非素人判断が違って
          欲しいものであるし、そう願わずにはいられない。 
           
10月20日 帰院後診察を受け  無事退院   

    

定期診察
2019/08/24

 8月21日 10時30分 長泉ガンセンターへ出掛けた。
当初は14時だったが、先生から電話が入り、MRIを撮って貰いたいので13時に来て欲しいとの事だった。
気になるが、しょうがない!定刻時間にドア前で待つと、直ぐに名前を呼ばれ部屋に入った。直径が3メートル程の大型ドラムがあり、寝台が中に滑り込んで行くものだ。防音イヤホンを装着して入ると、アナウンスが流れ「カンカン!ゴンゴン!」と始まる。工事現場の様な結構でかい音が響く。30分程で終了した。
 その後、診察室で説明を受けた。

先生「睾丸に付着した脂肪の中に悪性の肉腫が見つかりました!」絶句。
  「肉腫は整形外科の分野になりますので、そちらの先生と協議しながら進めたい。」
  「残った睾丸と周囲の袋を切除するか、放射線治療になると思います。
  「整形外科の先生と協議し、決まったら電話します。」

 ん〜〜〜〜ん!参ったぜ。悪性だと!転移が心配だなーーーー!   

静岡県長泉ガンセンター入院
2019/07/16

  7月11日、1回目手術
 11時 長泉ガンセンターへ向かった。 12時には着いてしまう。11階にあるレストランで食事をしながら、その時を待った。13時、入院案内のレクチャーを済ませ、東病棟7階726号室へ案内された。若い女性の看護師に陰毛をバリカンで剃られる、クリームを付けて剃刀で仕上げを待っていたがバリカンだけで終わった。病室の夜は早い、もう、すっかり病人となり21時には寝てしまった。

 12日、9時を回ると男の看護師が検温・血圧・心拍数を測りに来る。そして肛門に浣腸し帰って行った。それから5分、堪え切れなくなりトイレに勢い良く排便。スッキリした。点滴の管に繋がれベッドの上でゴロゴロしながら15時30分の手術を待った。  サー!時間だ、看護師が呼びに来た。点滴の器具をコロコ押しながら手術室へ向かう。名前と生年月日の確認して手術室へ向かうが3階全体が手術室で構成されており何と、13室あるのだそうだ。8番ルームへ入った。名前を呼ばれ手術室の上に大の字で横たわる。麻酔をします、横を向いてお臍を見る感じで海老のように丸くなって下さい。チクっとしますよ。前段の麻酔を打つ、次に本物の麻酔だ、脊椎の間にブスっと来た〜!  初めての本格的な手術、麻酔は本当に良く利くから有難い、臍から下の下半身が直ぐに自分の物でなくなった。目耳は見えて聞こえる。使った機具を投げ入れる音が手術室に響き、多少不気味な気分になる。17時には終了した。執刀医が「とったものを見ますか!」「ハイ!」分身は想像通り、卵より大きくマンゴーより小さかった。「病理検査に回しますので次回検診の時にお知らせします。」 最も気にしていた転移のあるなしを尋ねると、大丈夫だと言う、一先ず良かった。部屋へ戻ったが点滴と尿道をチューブで繋がれ身動きが出来ないし寝返りも打てない。昨晩は2時間程寝ただけだった。
 
 13日、午前の検診でチンチンの管が取れ、点滴も取れた。ただ、寝返りを打つ時に傷口が引っ張られて痛い。特に、ベッドから立ち上がる時、腕立て伏せの要領でベッドを押すと、まるで傷口が開いたかと思われる程痛い。普段何気なく使い、お世話になっている筋肉が、こんな所でも結構活躍しているんだなと思った。痛みは、時薬が癒してくれるだろう。カミさんと、兄妹が心配して見舞いに来てくれた、それぞれが、大した事がなくて良かったと心配してくれている。そんな気遣いの出来る身内がいる事が何より嬉しい。

 14日、午後2時、カミさんの兄妹が見舞いに来てくれた、有難い。

 15日、午後2時、カミさんと大きい孫が来てくれた。この孫は今年から看護士を目指し、看護学校へ入学した。冗談交じりに母親とジイジ・バアバの看護するのが夢などとのたまってくれる頼もしい存在だ。しっかり学んで実現して欲しいとジイジも願っている。

 16日、9時20分、カミさんと娘が来た。今日は予定通り退院だ。 会計を済ませ、着替えの入ったボストンバックを持って726号室を後にした。2Fロビー階でエレベーターを下りると前のベンチに同級生の修君がいた。それでも、もしかして・・・尋ねると、やっぱり本人だった。大腸ガンで今日から入院だそうだ。精巣ガンで入院し今日退院の旨を告げ、修君と激励の握手をして別れた。ロビーは連休明けのせいもあろうが患者とその家族で溢れている。凄い事だ、もうガンは特別の病気ではない、普通の病気だ。成人の二人に一人がガンになる時代、もう特別ではない。如何に上手にガンのご機嫌を取りながら共に生きて行くと云う事なのだろうか!?

CT検査
2019/07/09

 2019年7月8日、15時30分 CT検査
余裕を持って13時30分、家を出掛けた。ユックリ走っても1時間10分位で到着する距離で有難い。車内で時間を潰し、15時、受付でチェックインの手続きを済ませ、CTルームが立ち並ぶ部屋の前へ病院着に着替えて待った。座っているベンチの前のスライドドアが開くと、係りが出て来て患者の番号を呼んだ。「435番の方、いらっしゃいますか!」呼ばれた患者が検査室に入って行く。部屋の中には、見覚えのあるベッドに大型ドラムが付いたCTが置いてある。違っていたのはベッドの真上の天井が3メートル四方の写真になっていた事だ。それも、青空に松の枝、南国の花。見覚えがあるぞ、今年の2月に行ったグアム・マンギラオCCの、あの空だ。勝手に、そう思ってしまった。それから10分程して名前と番号を呼ばれたが、入った検査室の天井は普通の天井で、マンギラオの空はなかった。左手に造影剤を打ち10分程で検査は終了したが、マンギラオの空が見えなかったのは、完治し自分の目で見に行けとの暗示なのだろうか!?そうに違いない。

左精巣癌発見!
2019/07/05

 恥ずかしい話だが、今年に入った辺りから陰嚢の中にある左タマタマ(睾丸)が大きくなった気がしていた。それから徐々に大きくなり、令和元年6月29日(土)熱を持った気がしたので、7月1日に泌尿器への診察を決意した。

 1日、富士吉田泌尿器科クリニックを訪ねた。
診察台に横たわりパンツを下ろし睾丸のエコー検査をすると、直ぐに、左睾丸に腫瘍があるので、市立病院で手術を受けるよう指導された。先生に静岡県のがんセンターで手術を受けたい旨を話すと、快く紹介状を書いてくれた。早速、長泉にあるがんセンターへ電話すると、2日に予約が取れた。

 2日、10時30分 カミさんと長泉のがんセンターへ出掛けた。
以前、友人の見舞いに訪れた時、ガンになったら、こちらに入ろうと決めていたのだ。ドクターの病気に対する説明も納得がいったし、施設としても遜色ない。ここで、ダメなら諦めがつく、そんな感じだ。

定期健診
2019/05/16

 5月7日に掛かり付けのクリニックで尿と血液の
検査をして貰った。

 指摘を受けたのは中性脂肪が多少多いとの事だ。
問題のPSAは0.016で問題なかった。
まずは一安心と言ったところだ。

定期診断
2018/03/13

2月26日、市立病院泌尿器科にて診察を受けた。

 PSAの値 0.001 殆ど0で有難い。
 ただ、ホルモン注射のせいだろう、1日に何度かホテリが来るのが辛い。
 カー!っと体の表面が熱くなり汗をかく、出来たら次回5月21日の診断からは
 止めたいものだ。 

1ケ月診察を受けた
2017/12/04

 照射が終わって約1ケ月が経過し、予約診察を受けた。
9時40分、私立病院に入ったが、泌尿器科は相変わらず混んでいる。診察券を出し、呼び出しを待った。
10分程待つと名前を呼ばれた、PSA検査の血液検査である。こちらは直ぐに済んだ。
結果が出る迄1時間30分程掛かるので、放射線科へ行き問診を受ける事にした。地下へ下りると
リニアックの操作室から懐かしい話し声が聞こえるので、チームの皆に挨拶し声を掛けた。
 直ぐに名前を呼ばれN先生の前に座った。「お変わりありませんか?」「深夜のトイレの数が2〜3回
減りました」、順調ですね。
 それからが長かった、泌尿器科前の長椅子で1時間40分、A先生の前に座った。
PSAの値が0,007、数値は随分と下がった、ありがたい。ホルモン剤を服薬しているせいかホテリが
ある事を主張、出来れば止めたい旨のお願いをすると、先生からOKが出てホルモン注射だけで様子をみる
事にした。 取り合えず経過観察!次の診察は2月26日だ。 

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